これは現実に思えるがすべて夢だよ、つくられたプログラム。
世界の全てが高知能の連中による飼育かもしれないな。
泣いている赤ちゃんとボケ老人は世界の中心。
昔だったらボケ老人は息子の嫁や女中相手にやりたい放題だったが、これからのボケ老人はどうなるのだろう。
世界の人口は何十億、日本の人口は一億、市の人口は何十何百万なんてのは、このように報道されたからそれを信じているだけのこと。
赤ちゃんやボケ老人になった時には世界人口何十億人の報道すら理解できないほどの馬鹿。
その時には周りの歩いている無関係の人間など猫と同じと判断する状態。
赤ちゃんが猫にするみたいに他人を攻撃しても体力が無いから何も問題ない。
ある程度の子供がそうするならば特別支援学校。
大人になってそうするならば精神病院強制入院。
老人になってそうするならば認知症向け老人ホーム。
俺を中心にして地球が回っていたら、今頃お前らは圧死していたところだ。
俺に感謝しろ。
『君たちはどう生きるか』では
人は成長していくと「天動説から地動説に変わる」とある。
「星々は地球を中心にして回っている」
という自分中心の認識
これが
「地球は太陽系の一員として回っている」
という認識へと進化する。
赤ちゃんは、泣いたら自分の問題が解決するという認識でいる。
「自分が世界の中心」
それが、天動説。
そこから、成長とともに少しずつ社会的な視点で他者の都合を考える心が備わっていく。
天動説から地動説へと転換していくのだ。
『君たちはどう生きるか』では
叔父さんが、主人公をコペル君と呼ぶ。
天動説しかない時代に、地動説を唱えたコペルニクスからつけたあだ名だった。
「叔父さんは、大人になっても、天動説のように自分中心に世界が回っているのではないことを忘れないでほしいからだ」
科学にしろ医学にしろ、すべての理は決して我々の主観的な空想ではない、理は万人に共通なるのみならず、
また実に客観的な実在がこれによって成立する原理である。
動かすべからざる真理は、常に我々の主観的な自己を没し客観的となるによって得らるのである。
意志においてもその通りである。
純主観的では何事も成すことはできない。
意志はただ客観的自然に従ってのみ実現し得るのである。
水を動かすのは水の性質に従うのである。
人と同調するためには人の性質に従うのである、 自分を支配するのは自分の性質に従うのである。
我々の意志が客観的となるだけそれだけ有力となるのである。
赤ちゃんこそが天すなわち神のような存在。人間は7歳までは神。