3getなら、>>2は落ち武者狩りに遭い百姓の竹槍で芋刺し 俺の先祖は当日、何も気づかずに開墾してたんだろうってことは想像付く
スレたって、今日で3日
このかそりぶりは石さんの呪いだな・・・・
絶望した!
西軍の総大将は毛利輝元なのに
石田三成だと勘違いしている人の多さに絶望した!
司馬遼太郎が書いたことが事実になることに畏れを感じる。
西軍の大将だった毛利は許されて大名のまま、石田は首チョンパあら不思議
まあでも西軍の首謀者は石田だったんだから
総大将石田ってのも、あながち間違いじゃないんだけどね
軍事的にはどう考えても毛利が大将だけど
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,r'" `>'"二ゝ
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',. 〈 ヽ i ≡
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慶應文学部の日本史の入試問題で、関ヶ原の戦いについての記述があり、「この事件が起こったのは16世紀である」、という○×式の出題だった。
1600年代は17世紀だから×だとうっかり思うが、正確には16世紀は1501年から1600年までの100年間であり、17世紀は1601年から始まるので、1600年ちょうどは16世紀で正解は○だという、完全な引っかけ問題なのだ。
21世紀の到来を体験していれば間違えないのだろうが、そのちょっと前のことだった。
ちなみに、俺は正解して無事慶應にも入れたのだが、別の意味で勘違いして1600年代=16世紀だと思ってしまっていたのだ。
家に帰ってから、「現在は1900年代で20世紀、しまった、間違えた!」と思ったが、この勘違いと、世紀の始まりの年が00年からでなく01年からということを知らなかったために、正解にたどり着くことができたのである。
>>17
周防など、一部だけになったのでは・・・? >21
慶應は本当にできる奴と、勘違いしてるが要領や運が良い奴の両極端しかいない。
>>17
家康に騙されて全所領没収だったんだけど、裏切り者の吉川広家の必死の嘆願で、広家に加増された所領を与えられたんだよね。 関ヶ原の戦い
豊臣秀吉死後の政権を巡って争われた、
毛利輝元・宇喜多秀家を中心とする西軍と、徳川家康を中心とする東軍の決戦。
この戦いで毛利・宇喜多を支えて勝利に貢献した豊臣氏五奉行の一人である石田三成は
徳川氏の武家政権簒奪計画を打ち破り、豊臣氏の覇権を確実のものとした。
東軍の先鋒を務めた福島正則は、豊臣恩顧でありながら東軍についた裏切り者とされるが、
家康が自軍を見限って逃げる中、最後まで戦場に残り、華々しい討ち死を遂げた事は評価する声もある。
一方、西軍につくも、傍観を続けた末に東軍に寝返った小早川秀秋は、寡兵の大谷吉継勢に討ち取られてしまい、
傍観していた毛利・安国寺・長束・長宗我部勢を西軍につかせて、流れを西軍に向かわせた事から、
戦国史上最も暗愚とされる大名との評価を受けている。
逃走中に捕らえられた家康は京都六条河原で処刑されたが、上田城攻めに敗退し、江戸へ逃げ延びた徳川秀忠は、
正室である於江与の実姉淀への嘆願で助命されるも、15年後の江戸城夏の陣において、豊臣方に攻められ、
再び対決した真田幸村に追いつめられて自害する事となる。
朝鮮出兵などしていなければ、ここまで徳川が勢力を持つに至らなかったかも
しれない。秀吉は外国進出に気をとられすぎて内政と人心掌握を保てなかった
のか。現代の日本も海外進出した企業は、敗退していずれは国内からも撤退する
ことになるのかもしれない。
人的には、温厚篤実で諸大名からの信頼が厚かった弟(腹違い)秀長の死が大きい。
秀長が存命であれば、利休が死を賜る事も無かったし、場合によっては朝鮮出兵さえ止められていたかもしれない。
淀君が誰の子を出産しようが、秀吉と秀次の間を取り持つ事も、秀長なら十二分に出来たであろう。
後に徳川の犬となり、主家である豊臣に災厄をもたらす節操無き裏切り武将の藤堂高虎も、秀長の一家臣で終わった筈である。
秀吉は死に際して他人である五大老に頼るしか無かったが(前田、宇喜多は信頼に足る武将であり、三成の親友であった兼次を擁する上杉も信頼出来たが)、秀長が存命ならその心配も無く、正に後顧の憂い無く秀吉は死の床に就く事が出来たはずである。
豊臣政権のターニングポイントは秀長の死にあった、と言っても決して誇張ではないのである。
…え?オレ、モブシーンでちょっと映るだけなの??!
>>33
朝鮮出兵は仕方なかった。
当時は出世バブルで、皆が「俺も俺も!」状態だった。
しかし、もう国内には新たに分け与える土地は無く、
国外に目を向けるしか方法が無かった。 >>34
おいおい、利休は89年、秀長は90年に没やなかったか?それに兼次やなく兼続なw秀長もそうだが、秀吉の没す前後に、小早川隆景、利家、氏郷も影響大だぜ こういう日本史上に残る戦いとかって当時の一般人にとってはどんな感じのニュースだったの?
ぐるりと何万もの農民が握り飯片手に観戦してるんだ。
そりゃサッカーのW杯なんかより熱狂的声援があったであろう。
そして戦が終わればその観戦農民たちが落ち武者狩りをやるんだ。
敗者は逃げてももう一度戦わねばならんから、戦国の兵士たちはほんと必死よ。
島津のように合戦で全く消耗してなくても、大部分壊滅させられるほど百姓の狩りは壮絶。
今日から始まる龍馬伝とは関係ないスレだな…
このスレの過疎化が進みそうだ
龍馬伝のせいでこのスレ放置してたwww
かなり過疎ってるな
日本の歴史の転換期は三つある。関ヶ原の戦い これは江戸を後の首都東京とした
明治維新は関ヶ原の戦いの反徳川連合の薩摩長州が天皇を担ぎ上げてアジア唯一の近代化を成し遂げた。
第二次対戦敗戦
戦国時代の考えに染まった軍国主義が間違いと気付きアメリカから押し付けられた民主的憲法で前後復興を成し遂げ先進国入り
現在に至る
関ヶ原の戦い当時徳川家康256万石 石田三成18万石
これで石田三成が勝てる訳がない。
しかも徳川本隊38000人はその時信州に居て徳川家康は秀吉子飼いの大名を使って勝った。
つくづく徳川はバカだよな〜、関ヶ原の合戦時やそれ以降も島津を壊滅するチャンスはあったのに。
そのツケを後々払うようになるとは解らなかったのかよ。
島津の撤退は、鶴翼の陣を少数で破った歴史的な出来事だったみたいだね。
両翼から包みこまれたが傷つきなが戦力を一点に集中させ突破した。
孫子の時代からそんな事例はなかった。
伊吹の〜峰に〜こだまして〜♪
これ関ヶ原南小学校の校歌なw
関ヶ原を突き抜け九州に戻ると
戦国最強の軍師黒田如水が待ち構えていた(´・ω・`)
関が原に大規模な風力発電施設を建設してほしい
上手くすれば岐阜や名古屋の冬の季節風を軽減できるし
雪も殆ど降らなくなるかもしれない
正にいいこと尽くめ
島津義弘の関ヶ原敵中突破の苦難と武勇を称え、
今でも、鹿児島の小中高校生は、甲冑鎧兜を装着の上30キロメートルを行進。
関ヶ原合戦歌を詠、とチェストー!関ヶ原 を掛け声に歩いている。
「妙円寺詣り」
昨年福岡から見物に行きました。
ネットアイドル真智宇先生の先祖は、
関が原の戦いで戦ったかはさておき戦場にはいるぞ。
南宮山の毛利勢・吉川勢の中にいる。
「宰相殿の空弁当」よろしく高みの見物だったらしい。
今も昔も真智宇(まちう・知らなければググレ)は変わらないね
誰か昨日の赤穂浪士討ち入り祭りで芝・高輪の泉岳寺に行った奴いないかい?
毛利さん、青学生殺人事件のスレにも一言お願いします
>>75
わかった!
だが、その青学生殺人事件については全く知らないから、事件概要を読んで大雑把にでも把握するまで少し時間をくれ。
休日にでもレスしてみよう。 この合戦で最も勇猛果敢なる闘いぶりを見せたのは、井伊直政率いる赤備え軍団と薩摩・島津の黒武者軍。
強行突破で逃げ伸びた島津は凄い。
下手すりゃお咎めくらうのに、宇喜多秀家もかくまったし。
奥さんだけを守った三成より、2妻15妾を持つ家康の方が戦でも上だったね。
精力も戦も三成に軍配か‥
>>84
歴史にIFは禁物
>>87
昔の女は今と違って日本型食生活だったし、服装も通気性が良かったから、現代の女のほうがマン臭は強いだろうw 石鹸がないのは痛いと思うよ。生理後は水で洗っても臭そう。
関ヶ原の頃は、戦にも女を同伴するようになっているが、風呂に毎日入れないだろうし。
今のように石鹸の香りが‥ってわけにゃいかないし、あっさりしたエッチしかしないのかもね。
春画なんかどぎついシーンあるよ。
いつの時代も、変態がいるって事なのか。
家を守るために、一族で東西に別れたケースも見受けられたよね。
小早川秀秋は小心者。
>>94
その代表的な例が東軍についた真田信綱、西軍についた真田幸村だったかな。
ちなみに、大坂の陣で徳川家康は豊臣方の真田幸村隊に討たれたとう説もあるが、真相はいかに。
暖かくなったら、琵琶湖巡りでもしながら関ヶ原古戦場や彦根城などにも行ってくるか♪
私が死んだ京都の二条城にも立ち寄ってみたいもんじゃ。 前田討伐の兵をあげたがったが、芳春院を人質に出しあっさり引き下がってしまった。
芳春院は賢い女性だったみたいだね。
>>96
芳春院については、たしか前田利家の話の中で少し読んだだけで詳しくは知らないが、封建時代の武家の娘は今の世では想像もつかないほど賢く精神的にもしっかりしていたようだね。
>>97
家康?何で? 秀頼を出せば、豊臣恩顧の大名は家康にはつかなかったのに。
もっとも秀頼を出せば、賢い家康は違う道を取るだろうけど。
関ヶ原の戦いで最も勇猛果敢に闘ったのは、東軍では本多忠勝公、井伊直政公、西軍では島津義久公かな。
本多忠勝公は、ずっと前の三方原の合戦でも軍事力に勝る武田信玄公の軍を相手に勇猛果敢な働きをした。
武田軍の山県昌景と一騎打ちをしても、多分、互角か本多が勝ったのではないかと思う。
関ヶ原合戦で活躍した東軍の井伊隊は、旧武田軍の赤備え隊を受け継いだが、赤い武器・武具には独特の迫力がある。
俺の赤い大刀
http://p2.ms/41ls8
赤備えは、元々罪を犯して死刑や追放になるような命知らずの人間たちを組織したものとも云われるが、それだけに戦場での活躍ぶりも目覚ましかったようだ。
赤くしたのは、戦場で激戦の混乱に紛れて逃亡したり仲間が討ち取った大将首を、味方を殺して横取りしたりなどの卑怯な振る舞いが出来ないように目立たせたわけだが、当然敵からも狙われやすかった。
だから、生きて帰るためには必然的に前進あるのみということになり、敵からは恐れられた。
活躍次第では罪一等を減じられたり赦されたりもしたという。
武田軍の赤備えでは、信玄の長男・太郎義信、その守り役の飯富虎昌(義信反抗事件の責任を負い切腹)、虎昌の弟の山県昌景(長篠合戦で戦死)が有名。 関ヶ原に大規模な風力発電施設作れ
伊吹おろしが弱まり冬の東海地方の気候が少しは穏やかになるし電気も作れる
正にいい事尽くし
風が弱まり行き場を失った雪雲の事は知らんw
後々日本の首都が東京になる、現代日本の重要な一戦でした。
1590年、徳川家康は初めて江戸に来ました。当時江戸は数百人しかおりませんでした。
1600年代初め江戸人口15万、幕末には100万人を超えました。
現任東京人口1300万人
関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利して江戸に幕府が開かれなければ、東京オリンピックも2度開催とはなりませんし、東京に国会も皇居もありません。
現代に最大の影響がある一戦でした。
確かに関東平野は広いが、地震の被害が半端無いし、浅間山や富士山の噴火の影響もモロい受けるなどロクな地じゃない
あと生真面目で融通が利かない関東痴呆土人気質も問題だ 一旦誤った方向に進むと修正できずに突っ走って自滅する
汚バマが日本のような単一民族国家では暴動が起きないとかいったらしいが、アレはとんでもない勘違いだ
東日本大震災はトウホグ土人気質だったからアレだけの被害を出しながら暴動一つ起きなかっただけで、仮に自由人が多い
関西地方で同様の被害が出てたらどうなってたかわからんよw
三成を加藤剛が演じた時は
いい奴と思ったが、官兵衛で見てると腹が立つ。
NHK の黒田官兵衛が茶番劇で驚く
なんで黒田官兵衛が天下を狙うんだよ。
中津12万石だぞ
徳川は、この時256万石
関ヶ原の戦い後、黒田博多52万石、徳川は420万石だ
前田利家に天下人の器じゃないって馬鹿にしてたけどお前も器じゃないだろって思った
>>117
まぁ前田利家も家康と対等ではなかったね〜
死ぬ間際息子の利長をよろしく頼むと家康に頼んだし、
利長も家康から加賀征伐するって脅されて、利長生母の江戸人質と養子利常の嫁を徳川秀忠姫を承知したし まあ日本が現在のような三流国に成り下がることになった分岐点が丁度関が原の戦いだからな
何だかんだ言ったところで未だ日本は江戸の文化に縛られ支配され続けているからね
やっぱトンキン遷都が痛かったな
せっかく形式ばった堅苦しい関東の文化から自由なら西日本の文化に戻れるチャンスだったのに
あれが台無しにしてしまった
>>120
それを言うなら、そのチャンスを奪ったのは明智光秀だ。
東西の戦いを分けた陰の天下人は、徳川家康の知恵袋となった光秀(天海僧正)だな。 私は、生きてる人は尊敬出来ない。
唯一徳川家康を尊敬しています。
>>88 > 歴史にIFは禁物//
むろん、オメの莫迦が治るなんて話はするツモリはないよ、無意味だシネ。 >>126
バカヲルケロンは、自分では理系だと自負しているようだが、てめえは理系でも文系でもなく、脳の指令系統が狂っているだけの廃人。
理系なら、言葉を媒介にして語るにしても合理的な説明が出来るはず。
論理学が全くわかっていないし、中学生レベルの数学で学ぶ証明もわかっていない。
俺の言い回しを多少アレンジして鸚鵡返しするのが関ヶ原、じゃなくて関の山www >>127
普通にガナー
> 関ヶ原、じゃなくて関の山www//
トホホ・・・ http://hideyo-noguchi-mri.com/council
あの神の手、福島孝徳脳外科医も野口英世支持者だ
http://m2.upup.be/j3GS6yJ1hv
野口英世と大隈重信
http://l2.upup.be/CfE8fOSdgr
野口英世と東郷平八郎
http://m2.upup.be/qH7YjpjAGW
日本人最初のカラー写真、野口英世(大正3年アメリカで撮影)
野口英世
学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。
1907年(明治40年) - ペンシルベニア大学名誉修士
1918年(大正7年) - エクアドル陸軍名誉軍医監 名誉大佐、グアヤキル大学名誉教授、キトー大学名誉教授
1920年(大正9年) - サン・マルコス大学名誉教授 名誉医学博士
1921年(大正10年) - ブラウン大学名誉理学博士、エール大学名誉理学博士
1925年(大正14年) - パリ大学名誉医学博士
受賞歴
1913年(大正2年) - 勲三等(スペイン)、勲三等(デンマーク)
1914年(大正3年) - 勲三等(スウェーデン)
1915年(大正4年) - 勲四等旭日小綬章
1920年(大正9年) - ジョン・スコット・メダル名誉章(フィラデルフィア)
1924年(大正13年) - レジオンドヌール勲章(フランス)
1925年(大正14年) - 正五位、コーベル賞牌
1928年(昭和3年) - 勲二等旭日重光章、防疫功労金牌(フランス) 安倍晋三首相の施政方針演説のなかで、
安倍首相は、アフリカ各国への貢献実現と国会議員の姿勢を
示すために、野口博士を引き合いに出し、次のように述べました。
「アフリカの人々のため87年前、アフリカに渡った
一人の日本人がいました。 野口英世博士です。
「志を得ざれば再び此地を踏まず」
ふるさと・福島から世界に羽ばたき、黄熱病研究のため周囲の
反対を押し切ってガーナに渡り、そしてその地で黄熱病により殉死。
人生の最後の瞬間まで、医学に対する熱い初心を貫きました。」
(「第186通常国会 安倍首相の施政方針演説」より抜粋)
↑
http://l2.upup.be/4gKOo5pj82
アフリカに上陸する野口英世 毛利のボケのチンポ超絶ちっちゃいよ。
おれ毎晩アナルセックスされてたから知ってる。
キーマンの小早川さえ寝返らなければ歴史は変わっていた。
日本の歴史は小早川にあり
>>134
> キーマンの小早川さえ寝返らなければ歴史は変わっていた//
小牧・長久手みたいな長期戦の状況になってたんじゃないかな。
その場合は、外交にこずるい・・・秀でてそうな徳川家康に、やはり分があるのでは。
てか、小牧・長久手の時に長宗我部との連携が上手くいかなかったんで家康は、
それを見越してオテマミ書きまくりんだったのでは?
離れた処に布陣してた長宗我部盛親に対しては、今度は上手くやろうぜ、みたいな阿吽の内示でもあったのかもしれない。
小早川の寝返りで機会を失って改易されたとしたら、長曾我部が小早川の最大の被害者かも知れないね。
長期戦になった場合は、地方で東軍方として戦っていた諸将、黒田如水、加藤清正、伊達政宗、最上義光といったあたり、
何れも戦後にそれなりに恩恵は受けたんだが(後に改易されたトコもあるが)、
もっと優遇せざるを得なかったんじゃないかしらん、百万二百万は当たり前、みたいな。
いずれも曲者なんで、家康が勝っても、石田三成が4倍以上増し、てな事だったかも知れない。
>>121
> 東西の戦いを分けた陰の天下人は、徳川家康の知恵袋となった光秀(天海僧正)だな//
ツマンナイよ、どっかの読み齧りを垂れ流してシッタカだけってさ。
フィクションとして書いてるツモリなら、もっと工夫しろ。
>>136-137
こんな処まではみ出すなよアホ
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1364558665/413
> インドの野口英世像・・・//
なお、野口英世博士の事は、むろん尊敬している。
餓鬼の頃は伝記に感動して当時は素直に藁、医者に憧れたクチだ。 >>138
まあ、それは机上パソコンソフトの空論だな。
一度くらい関ヶ原を自分の足で歩け。 >>139 > まあ、それは机上パソコンソフトの空論だな//
何処が?
それと、どこぞの読み齧りを得意になって垂れ流してるオメの如き莫迦はどういうのかね。
> 一度くらい関ヶ原を自分の足で歩け//
歩くとどうなるのかね。
仮にお前が一度くらい関ヶ原を歩いたなら、それは無意味だったとしか云い様がないね。 >>140
てめえが関ヶ原を歩くとどうなるのか?
↑
引きこもりですっかり弱くなっているインドア老人にとっては足腰の良い 運動になる。 >>141 > 足腰の良い 運動になる//
それぢゃあおえは、死沼で莫迦が治らんだろ。オエの足腰は丈夫になっても、
オメの膿味噌は、この辺で島津義久公は奮戦したのかな、なんて考えてたのかね。
これについては、>>114 なんかを参照だ。 小早川が後に発狂した、というのは本当なのかね。
秀吉の正妻ねねどのが、裏切りをそそのかすのに
一枚噛んでいたんだったっけ? 家康はその功労
なのだろうか、その後ねねどのをもてなして粗末
には扱っていないし。
>>142
机上、画面上の空論はつまらんねw
歴史の史跡は実際に行って自分の足で歩き回ってみるほうが比較にならんほど面白いし充実感がある。 >>144 > 机上、画面上の空論はつまらんねw//
何処が? そしてそれは御前だろ。
> 歴史の史跡は実際に行って自分の足で歩き回ってみるほうが比較にならんほど面白いし充実感がある//
御前が莫迦でなければな。残念だったね。 >>145
引きこもりの貧乏アニオタは自宅でNHKの大河ドラマでもおとなしく観ていれば良いんだよw >>146 > NHKの大河ドラマでも//
人様に差し出口を叩いたって莫迦が治る訳ではないし、ドラマ見たっておえの莫迦は死沼で治らない。 >>147
同じことしかほざけなくなってきたな、御莫迦様よw >>148 > 同じことしかほざけなくなってきたな//
最初からオメは同じ事を延々と鳴いてるだけなんだから、なってきた、なんて事はあるまい。
なお、御前は死沼で莫迦が治らんのだよ。死沼で同じ莫迦のまま。 >>149
てめえは最初から妄想しかほざいてねえんだから始まってすらいねえんだよww http://hideyo-noguchi-mri.com/council
あの神の手、福島孝徳脳外科医も野口英世支持者だ
http://m2.upup.be/j3GS6yJ1hv
野口英世と大隈重信
http://l2.upup.be/CfE8fOSdgr
野口英世と東郷平八郎
http://m2.upup.be/qH7YjpjAGW
日本人最初のカラー写真、野口英世(大正3年アメリカで撮影)
野口英世
学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。称号はブラウン大学名誉理学博士、イェール大学名誉理学博士、パリ大学名誉医学博士、サン・マルコス大学名誉教授・名誉医学博士、エクアドル共和国陸軍名誉軍医監・名誉大佐。
1907年(明治40年) - ペンシルベニア大学名誉修士
1918年(大正7年) - エクアドル陸軍名誉軍医監 名誉大佐、グアヤキル大学名誉教授、キトー大学名誉教授
1920年(大正9年) - サン・マルコス大学名誉教授 名誉医学博士
1921年(大正10年) - ブラウン大学名誉理学博士、エール大学名誉理学博士
1925年(大正14年) - パリ大学名誉医学博士
受賞歴
1913年(大正2年) - 勲三等(スペイン)、勲三等(デンマーク)
1914年(大正3年) - 勲三等(スウェーデン)
1915年(大正4年) - 勲四等旭日小綬章
1920年(大正9年) - ジョン・スコット・メダル名誉章(フィラデルフィア)
1924年(大正13年) - レジオンドヌール勲章(フランス)
1925年(大正14年) - 正五位、コーベル賞牌
1928年(昭和3年) - 勲二等旭日重光章、防疫功労金牌(フランス) >>150 > てめえは最初から妄想しかほざいてねえんだから//
それはオエの膿味噌の中の香具師の話だろ。つまり妄想ヴァカは御前だよ。 >>143 > 小早川(秀秋)が後に発狂した、というのは本当なのかね//
それは作り話な気がするな、年齢的に不自然な死を晦ます目的の。
戦場に出てたくらいなのだから、虚弱体質だったという事もなさそうだし。
あと実は、小早川秀秋という人は、豊臣秀吉の実子だったのでは、なんて考えている。
信長四男だった秀勝を養子に迎えるのはチョット不都合、て事もあったのかも知れないね。 >>155
>戦場に出てたくらいなのだから、虚弱体質だったという事もなさそうだし。
歴史について無知な馬鹿だなw
病気でも老体でも武士ならば戦場には出るものなんだよ。
まして虚弱体質くらいなら問題にならん。
越前の朝倉義景も虚弱体質だったが、当主であるからには自分が城で寝ていたのでは家来が動かんのだよ、馬鹿ww
川中島の合戦で戦死した甲斐の諸角豊後は老齢だったため、戦闘時以外は戸板に身を横たえて休んでいた。
大谷刑部は、らい病(ハンセン病)だったが戦場には出ただろ。
まだまだあるが、馬鹿は自分で読書して勉強せいや。
豊臣秀吉は種無しだ。
小早川秀秋が秀吉の実子というのは考えられん。
とにかく、いい加減な知識で語るんじゃねえよ、ヴォケ! >>156
> 豊臣秀吉は種無しだ。小早川秀秋が秀吉の実子というのは考えられん//
そうではなかった、と考えるしかないね。「秀勝」という人物が何人かいた事を知らんのか?
知らなきゃ知らんでもエエんだが、以下は >>157 記載の通りだよ御莫迦様。 >>157
下等生物の色情狂獣・北村有紀恵の兄の分際で一人前にほざくな、馬鹿!
論点をすり替えて誤魔化すなよ。
てめえは、
「戦場に出てたくらいなのだから、虚弱体質だったという事もなさそうだし」
と呆れた発言をしたんだぜ。
戦国武将・武士というものが全くわかっていないなw
身の程を弁えなければならんのはてめえなんだよ下等生物が!
知らなきゃ死んじまう訳でもないんだらさ、知らないんなら知らんでいいんだが、自分を賢く見せようとして却って無知を露呈する様は爆笑モンなんだよ最低脳ww >>159 > 論点をすり替えて誤魔化すなよ//
何処がどうすり替えで誤魔化しで矛盾があるのかね。
>てめえは、「戦場に出てたくらいなのだから、虚弱体質だったという事もなさそうだし」
と呆れた発言をしたんだぜ//
どこがどう呆れてどこに矛盾があるのかね。
>知らなきゃ死んじまう訳でもないんだらさ、知らないんなら知らんでいいんだが、自分を賢く見せようとして却って無知を露呈する様は爆笑モンなんだよ最低脳ww//
云うまでもなくそれはオエだろ。鳴くなよノータリンの寡頭生物が。 >>160
苦しくなってきたようだな、馬鹿ケロンw
言うまでもなく>>156で説明した通りだ。
虚弱体質でもないのに戦場に臨まなかった今川氏真は家臣の信頼を失った。
虚弱体質であっても、それを隠して戦場に臨んだのがほとんどの戦国武将・武士だ。
白髪の武士は黒く染めて出たのだよ、無知な御莫迦様w >>161 > 苦しくなってきたようだな//
どこがどう苦しくて矛盾してるのかね駄々を捏ねるしか取柄のないノータリンの寡頭生物が。
云うまでもないが、しか取柄のないって、何一つ取柄がないの意味だよ御莫迦様。 >>162
てめえが戦国時代について妄想でしか語れないことはよくわかった。
あいにくだが、歴史はアニメのエヴァなどの世界とは異質のものなんだよ。
戦場に出ていたから虚弱体質ではないなどとマヌケな思考しか出来ん無学で低学歴の阿呆が語る資格はない。 >>163
> てめえが戦国時代について妄想でしか語れないことはよくわかった//
どこがどう妄想になってて矛盾していますか御莫迦様。 >>161 > 白髪の武士は黒く染めて出たのだよ、無知な御莫迦様w//
むろん、歳の割に壮健だったからだろ。まぁ、云わんでもいい事云って士気を下げたりもしてるんだがね。
>>163 > 戦場に出ていたから虚弱体質ではないなどとマヌケな思考しか//
当たり前だろ、戦場ににいるのが壮健な人なのは。
どうせなら、長曾我部国親の例でも出せばエエのにな。
但し、国親の死が変死ってのは考えにくいし、流石に歳だったからそんな事もあったと考えるしかあるまい。
織田信秀も頓死の部類だが、やはり変死というのは考えにくい。
元は、小早川秀秋が秀吉の実子(>>155)に対してオエが、秀吉は種無しなんて絡んできたんだが、
秀吉には実子が3名いた(「秀勝」という人物が何人かいた:>>158)事をどう説明するのかね。
出生の秘密なんてハナシをダラダラするのかね。
毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、オエは浅薄にすぎるんだよアホウ >>164
小早川秀秋が戦場に出ていたことを虚弱体質とは考えにくいなどと平気で書く神経が信じられんわw
ましてや天下分け目の戦いだぞ。
あと、てめえの理屈だと戦場に臨むことを以て壮健かどうかの判断基準にしているが、馬鹿だなww
無知・無教養なてめえに教えてやるが、武士は戦場で討ち死にすることを誉として名を残したんだよ。
「畳の上にて死することは武士の為すべき道に非ず」と云ったのだ。
三流本や漫画を読みかじって得られるような表面的な知識の切り売りばかりしていないで、少しは学術書籍を読めアニヲタ爺ケロンwww
>>165
歴史の定説は間違いだらけとはよく言われるものの、やはり定説を覆すには相応の具体的根拠が必要。
てめえのは妄想レベルw
太閤秀吉に実子は存在しない。
秀頼は秀吉の実子ではなく淀の方の実子。 藤堂さまは、ご立派な武将でございます。ただ、戦はあまり、
お好きではないご様子でした。
>>169
駿河の今川義元公もそんなお方だ。
生まれる時代をお間違いになられた。
ちなみに、川中島の戦いで有名な甲斐の武田信玄公と越後の上杉謙信公は猛将のイメージがあるが、個人レベルではどちらもあまり身体が丈夫なほうではなかったようだ。
信玄公があちこちに隠し湯を持ったのは、基礎体力がなく疲れやすかったからと推測される。
また謙信公が兜を被らず白頭巾だったのは、一説には身体が細く身長も低かったため、重い兜だと首や肩が疲れたからだという。
信玄公も謙信公も、意外に性格がデリケートでストレスを溜めやすい性質だったようだな。 >>170
あまり感情的になるとまたボロを出すぞ、無教養馬鹿ケロンよw
>はァ?単為生殖かね。
誰が単為生殖などと言った?馬鹿ケロン。
秀吉の実子ではないが、母親は淀でほぼ間違いないという意味だろうが、この低学歴妄想アニヲタキモ爺がwww
>(「秀勝」という人物が何人かいた)は淀実子なんかじゃないぞ。
誰が秀勝の話なんかしたんだ?w
俺が言ったのは秀頼だよ馬鹿!
あの時代は、血を引いた後継者が居ないと家の盛衰にかかわるため、
他人の子を自分の実子ということにして自分の名から一字を取って付けさせることなど往々にしてあったことで珍しいことではないんだよ。
もっと勉強してから来いや、頓珍漢野郎!w >>172
悔しがって、またいつもの姑息な手かw
>>169はわからんが、>>167はどうせてめえの小細工だろw
そこまでして俺を言い負かしたいのか?馬鹿ケロンよww
残念ながら、てめえの低機能な頭じゃ一生無理だなw
そういえば、てめえの妹の色情狂の豚も理学部数学科を卒業していながらガソリンの基礎的知識も身に付けていない馬鹿だったよな。
点数稼ぎの勉強しかしていないから、そういうボロを出すんだよ、マヌケなデブスだよなww >>171
> 川中島の戦いで有名な甲斐の武田信玄公と越後の上杉謙信公は猛将のイメージがあるが、個人レベルではどちらもあまり身体が丈夫なほうではなかったようだ//
テメェの都合で実在人物を虚弱体質になんぞするなよ藁アホウ もうね、マルでハナシにならんの。
>>173-174
オハナシニナランヨ >>173
> あの時代は、血を引いた後継者が居ないと家の盛衰にかかわるため、
他人の子を自分の実子ということにして自分の名から一字を取って付けさせることなど往々にしてあったことで珍しいことではないんだよ//
マルでハナシにならんのだが、その場合は態々実子と偽証する必要なぞ無いだろ。養子で十分だ。 >>173
> 誰が秀勝の話なんかしたんだ?w 俺が言ったのは秀頼だよ馬鹿!//
秀頼ひとりを他人の子にしたって秀吉は種無しにはならんだろ、莫迦はオエだね。
もうね、ハナシにならんの。オエの莫迦は死沼で治らんよ。
莫迦の幼稚な意地のために虚弱体質にされちゃう実在人物もお気の毒なんだがね。
>>171
> 信玄公があちこちに隠し湯を持ったのは、基礎体力がなく疲れやすかったからと推測される//
基礎体力のないオエの膿味噌は温泉浸かっても治らんぞ。
> また謙信公が兜を被らず白頭巾だったのは、一説には身体が細く身長も低かったため、重い兜だと首や肩が疲れたからだという//
死沼で疲れたマンマオエの膿味噌はかぶり物でも治らない。 >>173
> あの時代は、血を引いた後継者が居ないと家の盛衰にかかわるため、
他人の子を自分の実子ということにして自分の名から一字を取って付けさせることなど往々にしてあったことで珍しいことではないんだよ//
それってさ、実子と記録されているのに実は実子ではない、という事かね。
つまりオエの妄想かね。オエのハナシはホントに詰まらないんだよ。所詮莫迦の妄想にしか過ぎない。 >>175-178
何を意地になって連投してるんだよ、藁アホウw
>テメェの都合で実在人物を虚弱体質になんぞするなよ藁アホウ
朝倉義景が虚弱体質だったことはほぼ定説になっているし、武田信玄、上杉謙信も虚弱体質だったとする説を唱える人は少なくない。
ろくに知りもしないで、意地だけで語るとどんどんボロを出すぞ、無教養の低学歴者ケロンよww
>養子で十分だ。
バ〜カ(・∀・)
てめえが言っている養子云々は、単にお家を継がせるための方便に過ぎない。
越後の上杉家で起きた謙信死後の家督争いである御館の乱に顕著だが、武将としての資質や才覚よりも先代主君と血が繋がりがある者が優先されるんだよ。
いつどこでどんな死に方をするかわからない武士には、一種の血の信仰のような魂がある。
それを理解出来ないてめえはやはり日本人ではないなwww >秀頼ひとりを他人の子にしたって秀吉は種無しにはならんだろ
ではなぜあれだけ子供を欲しがっていた秀吉が五大老を集めた遺言で実子にしなかったんだろうなww
秀吉が種無しもほぼ定説だぞ。
とにかく、憶測だけでペラペラ馬鹿っぽい妄想を喋るんじゃねえよキチガイケロン!ww
>それってさ、実子と記録されているのに実は実子ではない、という事かね。
そういうことも少なからずあっただろうとは容易に推察出来る。
戦国時代の政治的な影響力のあることだから、
記録されていること=真実
とは限らない。
無教養の低学歴馬鹿ケロンよ、てめえはハナシは言うまでもなく存在自体がつまらんぜ。
妄想はエヴァ世界だけにしておけ、キチガイアニヲタキモ変態スカトロ爺が!www
>>180
> ではなぜあれだけ子供を欲しがっていた秀吉が五大老を集めた遺言で実子にしなかったんだろうなww //
はァ? >>181
>はァ?
はァ?じゃねえよアニヲタヴォケ!
てめえが並べている秀の字が付いていることが根拠(笑)の実子ならば、なぜ秀吉は五大老への遺言で秀頼のことだけでなく、てめえが言う実子へのことも頼むと言わなかったのか?
足りない頭を少しは使って考えろデブハゲ!ww >>182 > てめえが並べている秀の字が付いていることが根拠(笑)の実子ならば//
はァ?
> 秀吉は五大老への遺言で秀頼のことだけでなく//
まぁ、そんなコッタろうとはオモたがね。
> 実子へのことも頼むと言わなかったのか?//
公的には実子ではないからに決まっておろう。
>>182-183
はァ? 態々分けて書くには及ぶまいよノータリン 歴史の定説にはまだまだ間違いや誤伝が多いと云われるものの、定説化したからにはそれなりの裏付けとなる専門家の研究の積み重ねがある。
その定説を覆すには、当然ながらそれを超える信憑性のある材料が不可欠となる。
天下分け目の戦いと云われる関ヶ原戦に出ていたことを根拠に、小早川秀秋は虚弱体質ではないだの
頭に「秀」が付いているから秀吉の実子の可能性があるだの
そんな基礎的知識の欠片も無い無教養低学歴者の妄想など面白くも何ともない。
アニメの世界では妄想通用しても、歴史の世界では無意味。
>>185 > 頭に「秀」が付いているから秀吉の実子の可能性があるだの//
はァ? 「秀勝」という人物が何人かいた(>>158)の事かね。秀秋の事は書いてないだろ。
まぁ、書いてないわけではないんだが、そんな意味じゃないよ。従って、
「頭に「秀」が付いているから秀吉の実子」って、オエが云ってる事なんだよ。
> そんな基礎的知識の欠片も無い無教養低学歴者の妄想など面白くも何ともない//
よって、それはな、毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、オエの事だ。 >>186
>「秀勝」という人物が何人かいた
で、その何人かいた(笑)ということが秀吉の実子である根拠だと言いたいのか?
あっはっは、馬鹿だなw
歴史の基礎を学べ!
この無教養低学歴馬鹿乞食爺! >>187
> で、その何人かいた(笑)ということが秀吉の実子である根拠だと言いたいの//
あっはっは、莫迦だなw 基礎を学べ! この無教養毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉。
まぁ、死沼で莫迦なオエが学ぶなんて無理なんだがね。 ロンギヌス坊主カヲルことケロンの理屈なら、徳川二代将軍秀忠やその兄である結城秀康も豊臣秀吉の実子となるw
織田信長の娘の徳姫を正室に迎えた徳川信康は、政治的な理由により家康が同盟者である織田信長から一字をもらって名付けた。
戦国の世にはこうした事例は往々にしてあったのだ。
そんな事情を踏まえず、秀吉の秀の字が付いているから秀吉の実子の可能性があるなどとは笑わせるww
>>189 > ロンギヌス坊主カヲルことケロンの理屈なら//
秀の字ついてりゃ秀吉の子ってのは、猿芝居キャラがケロンの毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、
オエのほざいてる事だろノータリン
> 秀吉の秀の字が付いているから秀吉の実子の可能性があるなどとは笑わせるww//
むろん、それも同じだろ。哂わせるなよノータリン
> 徳川二代将軍秀忠やその兄である結城秀康も豊臣秀吉の実子となるw//
むろんそれもマサにオエがホザいてる事だな。明智光秀も秀吉と親子なのかね。
オエはね、もう確実に気違いなんだよ。
========
なお、光秀も秀吉も、織田信秀から秀の字を貰った可能性はあるの、むろん、本人の承諾を得てではないが。
で秀吉は、信長の幼名からも調子よく一字貰ったのかも知れん。 >>190
実にわかりやすい負け惜しみ&後出しジャンケンだなw
そもそも、秀の字が付いているからだの、秀勝という人物が何人か存在するだの言い出し、それだけの根拠にもならぬことを以て秀吉の実子の可能性を言い出したキチガイアニヲタキモ爺の憶測妄想から始まったことw
秀吉に実子など居ないのだよ、無教養低学歴のお馬鹿爺様ww >>191 > 実にわかりやすい負け惜しみ&後出しジャンケンだなw//
私の書いてる事の一体どこが負け惜しみで後出しで、そして矛盾があるのかね。
なんの自慢にもならんのだがな、オエに勝率10割の俺様には、負け惜しみなぞ介在する余地は皆無だよ。
> そもそも、秀の字が付いているからだの、秀勝という人物が何人か存在するだの言い出し、それだけの根拠にもならぬことを以て秀吉の実子の可能性を言い出したキチガイ//
私が云ってるのはね、小早川秀秋は秀吉の実子であろうという事であってね、
秀の字が付いているから実子なんて云いだしたのは御前だよ。
秀勝という人物が複数存在する事自体はね、根拠ではないんだよ。
> チガイアニヲタキモ爺の憶測妄想//
従ってそれはね、毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、御前自身だよ。
御前ってさ、まごうことなきリッパな分裂症だね。
> 秀吉に実子など居ないのだよ//
アフォ。結局オエは、>>165 に書いた通りで、浅薄にすぎるんだよアホウ
========
まぁ考えるきっかけとしては、何で小早川秀秋って血縁もないのにあんなに優遇されてるの? って事だ。
姻戚だから? 実の、或いは義理の甥というのは多数いるのに、何で彼だけが? という事の説明がつかない。
但し、秀秋が秀吉の実子だったとすれば、鶴松夭逝の後、何で甥の秀次が後継指名されたのか?
というのが説明しにくいね。まぁ、アウトラインは整ってるんだけどもね。 >>192
てめえの発想は、まるでレベルの低い2次元アニメだなw
>なんの自慢にもならんのだがな、オエに勝率10割の俺様には、負け惜しみなぞ介在する余地は皆無だよ。
てめえが俺に勝ったことなど一度もないんだがw
自分で書いたレスを「態々分けて書くには及ぶまい」などという見え透いた低級で姑息な自作自演をしていること自体、正攻法では俺に全く歯が立たないことをよく心得ているからだろww
北村有紀恵についても、一言も批判出来ないことがそれを如実に示している。
>私が云っているのはね、小早川秀秋が秀吉の実子であろうという事であってね、
その具体的根拠が血縁もないのにあんなに優遇されているからか?ww
そんなことは何の根拠にもならんぞ馬鹿アニヲタキモ爺よ。
>秀の字が付いているから実子なんて云いだしたのは御前だよ。
ほう。
それは初耳だ。
レス何番で言っているんだ?w >>194
>そりゃオエの事だよ。
あいにくだが、俺はてめえと違って、そんな姑息な手など使うには及ばんのだよw
>普通に何でかね?
根拠の一だよ。
だから、そんな程度では定説を覆すには話にならんほど薄弱なんだよ。
大学で勉強したことが無い奴にはわからんだろうがなw
上杉謙信の僧服姿の肖像画が女っぽいから、実は謙信ではなく姉の仙桃院だったという愚にもつかないレベルw
>オエは>>185で「頭に「秀」が付いているから秀吉の実子の可能性」なぞとホザいているの。
バ〜カ(・∀・)ww
てめえは日本語を読解出来んのか?
恣意的に引用するなよ。
てめえがそう言っているが、そんな妄想は面白くも何ともないという意味で言っているんだろうが。
185ではなく、なぜ>>185と記入してリンクしないんだ?www >>195
> あいにくだが、俺はてめえと違って、そんな姑息な手など使うには及ばんのだよw//
姑息な手など使うしか取柄がない莫迦だと供述してるに等しいのノータリン
むろん、しか取柄がないって、何一つ取柄がないって事なんだよ。
> 185ではなく、なぜ//
莫迦が伝染ると困るからに決まっておろうが。
> 恣意的に引用するなよ。てめえがそう言っているが、
そんな妄想は面白くも何ともないという意味で言っているんだろうが//
私が云ってるのはね、小早川秀秋は秀吉の実子であろうという事であってね、
秀の字が付いているから実子なんて云いだしたのは御前だよ。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/192
> 上杉謙信の僧服姿の肖像画が女っぽいから、実は謙信ではなく姉の仙桃院だったという愚にもつかないレベルw//
むろんそれは、ンな事をトートツに云いだしてるオエのレベルなんだよ御莫迦様。 >>195
> だから、そんな程度では定説を覆すには話にならんほど薄弱なんだよ//
あのさ、小早川秀秋が秀吉の妻の甥ってのは定説とかじゃないだろ。
諸文献で異動がないというだけのハナシでさ。
諸情報が錯綜してる中で、誰かが秀秋は秀吉の義理の甥と力説して、それが確定した訳ではあるまい。
御前はね、根本的な処がマルで理解できんのだな。
> 大学で勉強したことが無い奴にはわからんだろうがなw//
オエが大学におったなら、それはマルで無駄だったの。
まぁ、毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、おったなら、という事はないんだから、
オエの膿味噌が無駄なシロモノでしかないのは、確定事項だの。 >>196
>莫迦が伝染ると困るからに決まっておろうが。
またまた苦しい逃げ供述だなw
他の部分では何故>>を付けているのか納得のいくように逃げたり誤魔化したりせず合理的に説明せよ!
だから、俺がレス何番で「秀」の字が付いているから秀吉の実子などと言ったんだよ、このノータリンのアニヲタスカトロ糞爺w
>むろんそれは、ンな事をトートツに云いだしてるオエのレベルなんだよ御莫迦様。
またはぐらかして逃げるのかキモ爺ww
とにかく、定説を覆すような根拠には到底なり得ない。
大学でそんなことを書いたレポートなど提出したら、呼び出しを食らうレベルだ。
わかったか?低学歴爺w >>197
>オエが大学におったなら、
「なら」じゃなくて、俺が検事なら言うまでもなく大学におったんじゃないのか?w
高卒、短大卒、専門卒の検事などは、てめえのキチガイアニメ世界の中での妄想だけにしておけ、この無教養低学歴のアニヲタスカトロ糞爺www >>200
>へぇ、ならばオエの云う処の定説によれば、矛盾をどう説明出来るのかね。
思考のプロセスが違う。
定説支持側が説明するのでなく、定説に異を唱える側が定説の矛盾を覆す具体的作業が前段階となるべきものだ。
矛盾?
そもそもてめえが勝手な妄想で矛盾と決めつけているに過ぎないだろ、スカトロアニヲタ馬鹿爺w
>>201
顔でも洗って熱を持った馬鹿頭を冷やし、>>195を何度も読み直せスカトロ老害野郎ww >>202 > 思考のプロセスが違う//
最低脳のオエに思考なぞない。ありもせんモノをあるやに云うなよノータリン >>203
何ともショボい言い返しだなw
そんな中身なら、いっそレスしないほうが潔い。 >>204 > 何ともショボい言い返しだなw//
何がショボくて矛盾があるのかねノータリンの毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉よ。 >>205
何がショボいって、てめえの存在そのものがショボ過ぎるんだよw
>>206
石田三成もそうだが、惟任日向守(明智光秀)ファンもハゲが多いかもww またウジ虫が涌いてるな。
>>207
> 何がショボいって、てめえの存在そのものがショボ過ぎるんだよw//
私の書いてる事のどこがショぼくて矛盾があるのかね。
> ハゲが多いかもww//
毛があろうがなかろうが中身が死沼で治らん莫迦ではどう仕様もなかろうが。
> 惟任日向守(明智光秀)//
ンなこといちいちただす必要ないよノータリン
知らなきゃ死んじまう訳でもないんだからさ、知らないんなら知らんでいいんだが、
自分を賢く見せる様はね、爆笑モンなんだよ最低脳。
オエってこういう擬態ヴァカりだね、この寡頭生物が。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/157 毛利良勝はキチガイだから相手にしない方がいいよ。
この板の角田スレに行ってコイツの書き込みを読んでみな。
マジで精神異常者だから。
あと2ちゃんの学歴厨が低学歴なのは常識だから、そのつもりで相手しないとw
このウソつき毛利とかいうクズは画像さらされたヘタレなんだよ
このウソつき毛利とかいうクズはコンクリスレとタケノコスレと
日野スレでフルボッコされ書けなくなったヘタレなんだよ
___
/ ⌒ ⌒\
/ (⌒) (⌒)\
/ ///(__人__)///\
| u. `Y─┴──┴──┐
\,, :| ウソつき朝鮮人 |
/⌒ヽ(^う 毛利良勝は. |
`ァー─イ. 地獄に落ちれ.|
/ :|_________|
/ /
/ ⌒ヽ
___/ / ̄ ̄`) ノ
(__r___ノ (.__つ
>>209-211
態々分けて書くには及ぶまい、毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉。
オエには脳味噌なぞ存在しない。 >>208-210>>212
態々分けて書くには及ぶまい。
ノータリンアニヲタ爺。
てめえにもてめえの妹のウンコ漏らし色情狂にも脳味噌なぞ無い。
関ヶ原の戦いの中身については早々とギブアップか?ww >>213 > 関ヶ原の戦いの中身については早々とギブアップか?ww//
そりゃオエだろ。最初から莫迦下駄ことなぞホザかにゃええのにね、身の程を弁えなアホウ >>214
小早川秀秋が秀吉の実子だの馬鹿げた妄想をぶちまけたのはてめえだろ、アニヲタスカトロ爺ケロンww
俺は秀吉に実子はいないと繰り返し言っている。 毛利良勝はキチガイだから相手にしない方がいいよ。
この板の角田スレに行ってコイツの書き込みを読んでみな。
マジで精神異常者だから。
あと2ちゃんの学歴厨が低学歴なのは常識だから、そのつもりで相手しないとw
このウソつき毛利とかいうクズは画像さらされたヘタレなんだよ
このウソつき毛利とかいうクズはコンクリスレとタケノコスレと
日野スレでフルボッコされ書けなくなったヘタレなんだよ
毛利良勝はキチガイだから相手にしない方がいいよ。
この板の角田スレに行ってコイツの書き込みを読んでみな。
マジで精神異常者だから。
あと2ちゃんの学歴厨が低学歴なのは常識だから、そのつもりで相手しないとw
このウソつき毛利とかいうクズは画像さらされたヘタレなんだよ
このウソつき毛利とかいうクズはコンクリスレとタケノコスレと
日野スレでフルボッコされ書けなくなったヘタレなんだよ
>>219
無意味でつまらぬ意地を張って歴史の定説を勝手にねじ曲げるような幼稚なマネはおやめなさい。 >>220
> 無意味でつまらぬ意地を張って歴史の定説を勝手にねじ曲げるような幼稚なマネはおやめなさい//
毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、そりゃ普通に御前なんだよ。
そして死沼で莫迦の治らんオエが幼稚なマネはおやめになる方法は、ただ一つしかないんだぞ。
莫迦が治るという伝統的な民間療法に縋る事のみだ。
> 歴史の定説を//
あのな、>>197 でも書いたんだが、秀吉に実子が三名ってのは定説ってのではなく、
諸文献で異同がないというだけのハナシだろ。誰か力説して、それが確定した訳ではあるまい。
オエはなぁんにも分からんのだな。で、結局さ、そんなウワサを聞きました、ってだけみたいだな、オエの根拠とやらは。
死沼で治らん莫迦に何を聞いても仕方がないのだが、秀吉の実子が三名ってのは、オエの云う処の定説だろが。
オエは一体どういう根拠で定説を覆してるのかね。
なお、むろん私は批判を受けるにはヤブサカではないんだが、批判をするなんて知的行為は莫迦のオエにはマルで無理の様だね。
「秀吉には実子が実は四人いた、と云ってる訳ではない」については、全く理解が出来ん様だシネ。
毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、無意味でつまらぬ意地なんぞ張って糞投稿を鳴きながら垂れ流したり、
莫迦げた猿芝居なんぞにウツツを抜かしてるんじゃなくてさ、莫迦は身の程を弁える事だね、この寡頭生物が。 >>221
まずは日本語のテニヲハからしっかり学んだほうが良さそうだな。
>そして死沼で莫迦の治らんオエが幼稚なマネ【は】おやめになる方法は、ただ一つしかないんだぞ。
【】の部分は、
は×
を○
>そりゃ、普通に御前なんだよ。
??????
秀吉に実子が4人居たなどという定説は聞いたことがない。
秀頼は形式上は秀吉の子とされているが、実子説には疑問視する見方が多い。
これが定説。 >>222
> 秀吉に実子が4人居たなどという定説は聞いたことがない//
「秀吉には実子が実は四人いた、と云ってる訳ではない」については、全く理解が出来ん様だシネ。
莫迦はオエは、いつ死ぬのかね?
> 秀頼は形式上は秀吉の子とされているが、実子説には疑問視する見方が多い//
なんの説明にもなってないね。
> これが定説//
マルで違うし、何も分からん様だなオエは。 >>222 >【】の部分は、は× を○//
はををに治すとオエの莫迦が治るのかね。 >>222 > 秀頼は形式上は秀吉の子とされているが、実子説には疑問視する見方が多い//
莫迦なりに文言を捻くり回したってさ、それってさ、
そんなウワサを聞きました、ってだけにしか過ぎん事には、いい加減に気付けよな。 >>224
いや、おまえが何をどう歪曲しようとしても、決定的な証拠や具体的根拠が発見されない限り、現時点では定説は変わらない。
>莫迦はオエは、いつ死ぬのかね?
この部分も普通の日本語ではないな。
明らかな主語の重複で、文法上の明確な誤り。
>>225
>はををに治すと
その場合は【治す】でなく【直す】と書く。
テニヲハ以前に、平仮名と小学校過程の漢字から学ぶべきだ。
>そんなウワサを聞きました、ってだけにしか過ぎん事には、いい加減気付けよな。
ウワサではなく歴史学上の定説だ。
ついでに、文法上の指摘をしておくと、「過ぎん事には」の部分、【は】は要らない。
「そんなウワサを聞きました、ってだけに過ぎない事にいい加減気付よな。」
↑
これで良いんだよ。
ムダに副詞などが多くて読みにくい。
相手にもっと配慮すべきだぞ。 >>226 > ウワサではなく歴史学上の定説だ//
そんなウワサを聞きました、ってだけにしか過ぎん事には、いい加減気付けよな。
> 【は】は要らない//
毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、オエの膿味噌はない方がマシ、つまり要らんのだよ。
まぁ、伝統的な民間療法に縋るしかオエには選択肢は無いけどな。莫迦は身の程を弁えな。 >>227
漢字もテニヲハも一人前でない無教養人が、いくらバカバカ叫んでも効果は無いぞw
実に恥ずかしい奴だ。 >>226
> いや、おまえが何をどう歪曲しようとしても、決定的な証拠や具体的根拠が発見されない限り、現時点では定説は変わらない//
はァ? 私の書いてる事のどこに矛盾があって、どう歪曲なんぞしてるのかね。
定説ってモンについては >>197 でも書いたんだが、オエはなんにも理解できないんだな。
それとさ、秀吉が子供が出来にくい体質だったという様なハナシもね、見直しが必要なんだよ。
まぁ、そんなウワサを聞きました、ってだけに過ぎない程度にしか過ぎん死沼で莫迦の治らんオエにさ、
ンな事云ってもしょうがないけどな。
> この部分も普通の日本語ではないな。明らかな主語の重複で、文法上の明確な誤り//
その部分については、単にさ、莫迦なオエは、いつ死ぬのかね、の誤記にしか過ぎんよ。
なお、オエが死沼で治らん莫迦なのは、別段文法上の問題ではなかろ。 >>228 > 漢字もテニヲハも一人前でない無教養人が//
だからさ、私の書いてる事のどこに矛盾があるのかね、無教養で死沼で莫迦の治らん毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉よ、
てかオエはすっとリロード猿だったのかね藁
> いくらバカバカ叫んでも効果は無いぞw//
当たり前だ。オエの莫迦が治る訳もなかろうが、伝統的な民間療法に縋る以外はな。
実に恥ずかしい奴だな、オエは。 >>230
悔しいのはわかるが、おまえの言っていることは定説ではない。
定説でない主張をするには、それなりの具体的根拠や確たる証拠が無ければ無効なのだよ。
いくら無教養人でも、一度言われたらそのくらい理解しろよ。 >>231 > 悔しいのはわかるが//
はァ? オエが死沼で治らん莫迦だからって、何で私が悔しいのかね。
> おまえの言っていることは定説ではない//
私が何時さ、これが定説ですなんて云ったんだよ、支離滅裂だな、毎度の事ながら。
定説ってモンについては >>197 でも書いたんだが、オエはなんにも理解できないんだな。
まぁ、そんなウワサを聞きました、ってだけに過ぎない程度にしか過ぎん死沼で莫迦の治らんオエにさ、
ンな事云ってもしょうがないけどな。同じ事を何遍も云わせるなよ、死沼で治らんノータリン
> 定説でない主張をするには、それなりの具体的根拠や確たる証拠が無ければ無効なのだよ//
で、私の書いてる事のどこに矛盾があるのかね。 >>232
>私が何時さ、これが定説ですなんて云ったんだよ、
おまえは定説という言葉すら初耳っぽいし、当然ながら意味も理解していないようだから言っていないが、秀吉に実子が複数人存在すると繰り返し妄想を吐いている。
そんな妄想など現実の学会では門前払いされるだろうから、一度やってみろw >>233
> 秀吉に実子が複数人存在すると繰り返し妄想を吐いている。
そんな妄想など現実の学会では門前払いされるだろうから、一度やってみろw//
莫迦かね、そりゃ普通にオエだろ。
そんなウワサを聞きました、ってだけにしか過ぎん事には、いい加減気付けよな。
フィクションとして読んだって、マルでダメダメなんだよ御前さんはね。
> おまえは定説という言葉すら初耳っぽいし//
御前さ、秀吉に子供が何人いたか知らんのだろ。鶴松の存在すら知らんかった、としか思えんの。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/219
オエは鳴きながら鸚鵡返しをしてるしか過ぎんね、この寡頭生物が、身の程を弁えな。 >>234
都合が悪くなってきたからといって今更前言を翻そうとするなよw
いいか!
記憶力が弱くて頭が悪いおまえのために再度言ってやる。
秀吉の子は秀頼。
しかし、実子かどうかは否定的な意見が強い。
秀吉には実子は皆無か、万一居たとしても秀頼だけ。
これが定説。
無意味な意地を張っても何にもならんぞ。
定説を覆すだけの証拠を学会で示してみろ。 カヲルことケロンの妄想の根拠はこれの類か?w
『秀吉の子供は10人以上いた? - 歴史|教えて!goo』
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1852273.html
これのベストアンサーに豪姫のことが書かれていて思い出したが、かつてケロンは日野OL不倫放火殺人事件スレで豪姫をコテに使っていたことがあったなぁwww
まあ、こういう巷の珍説はいかにも大学で本格的に学んだことがない低学歴者が街の書店でタイトルを見て読みかじって物知りになったと自負したり好みそうなネタだなw
著者と出版社が共に画策した売らんかな本だ。 毛利良勝はキチガイだから相手にしない方がいいよ。
この板の角田スレに行ってコイツの書き込みを読んでみな。
マジで精神異常者だから。
あと2ちゃんの学歴厨が低学歴なのは常識だから、そのつもりで相手しないとw
このウソつき毛利とかいうクズは画像さらされたヘタレなんだよ
このウソつき毛利とかいうクズはコンクリスレとタケノコスレと
日野スレでフルボッコされ書けなくなったヘタレなんだよ
>>235
> 都合が悪くなってきたからといって今更前言を翻そうとするなよw//
はァ? 私が何時前言を翻したのかね。そして、私の書いてる事の何処に矛盾があるのかね。
> 秀吉の子は秀頼。しかし、実子かどうかは否定的な意見が強い。秀吉には実子は皆無か//
秀吉には三名の実子がいたというのが記録上の異同がないという事であり、定説とかそんなハナシじゃないよ。
まぁ、死沼で莫迦の治らんオメの云う処の定説ではあるがな。
> 万一居たとしても秀頼だけ//
何前言を翻してるんだよ、鶴松の存在すら知らんかったノータリン
> これが定説//
はァ? 定説が何かが問題なのかね。上記の通りで、オエの云う処の定説なら、秀吉の実姉は三名だよ。
記録はあてにならんてなら別段それでも構わんのだがね、オエのハナシってさ、
どこぞで読み齧ったフィクションか、当時からトタとしては語られてはいたであろうウワサ話を並べ立てるだけなんだしさ、
フィクションとして読んでもツマラナイだけなんだよ。
>>235-238
態々分けて書くには及ばんだろ。
>>238 > もっと本格的な勉強をしろよw//
島津兄弟といえば基本だろ。何が、義久公かな、だよノータリン
別にさ、知らなきゃ死んじまう訳でもないんだからさ、知らないんなら知らんでいいんだが、
自分を賢く見せる様はね、爆笑モンなんだよ最低脳。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1429363635/696 >>237>>239>>240
態々分けて書くには及ぶまい。
>秀吉には三名の実子がいたというのが記録上の異同がないという事であり、定説とかそんなハナシじゃないよ。
いやいや、そんな簡単に済むハナシならば歴史マニアは誰でも歴史学の教授や助教授の椅子に腰掛けられるわww
実に平和で脳天気なアホだな、カヲルことケロンはw
鶴松の存在?
ああ、父親不明の側室腹の人だということしか知らんね。
秀吉の子に鶴松などおらんのだよ、ノータリンw
>島津兄弟といえば基本だろ。何が義久公かな
単純な勘違いレベルのことで、鬼の首でも取ったような得意ぶりだなwww カヲルことケロンはかつて日野OL不倫放火殺人事件スレで、
ユキリン(北村有紀恵のこと。爆笑)は実は堕胎した子供を密かに育てていた(笑)
とか
ユキリンには子供を産んで育てて欲しかったな(笑)
などという泣き言を、俺に甘えながら垂れていたww
秀吉に実子が居たなどという世迷い言も、そういう哀しい願望から生じてくるのだろうな。
情け容赦なく6歳の子供と1歳の赤ん坊を焼き殺した鬼畜外道の人非人・北村有紀恵には人間の子供は言うまでもなく、犬や猫や小鳥の子さえ育てる資格は無い。
ゴキブリやムカデや蠅でも飼育してろや。
>>244
まったく頭の悪い奴だw
秀吉は側室を300人(誇張はあるにせよ)有していたが子供は生まれなかった。
医学的見地からも少しは考えてみろ能無し!
つまらんのはおまえのハナシだ。
洞察力が欠片も無い。
>死沼で治らん莫迦のオエには、支離滅裂な妄想しか涌かんのだよ。
おまえが、「ユキリンが堕胎した子供が〜」と泣きながら言った事実は消せんのだから、今更照れるには及ぶまい。
>何でオエの如き虫けらを飼育せにゃならんのかね。
人殺しが一人前の主張をするな、馬鹿!
おまえの鬼畜外道人非人の糞芋は人ではないことを忘れるな!
そして、血税で生かしてもらっていることもな。 >>241 > いやいや、そんな簡単に済むハナシならば//
秀吉には三名の実子がいたというのが記録上の異同がないという事自体は、簡単に済むそれだけのハナシだろ、莫迦だね御前は。
オエにはモノを考えるなんて所詮ムリなんだよ。 >>246
ずいぶん恣意的で無理な解釈だなw
>秀吉が子供が出来にくい体質だったというハナシもね、見直しが必要なんだよ。
へぇ、そうなんだ。
見直せば見直すほど、ケロン婆や北村有紀恵と同じで小梨だと思うんだがねww
細かい点を指摘しておくと、「秀吉が」でなくて「秀吉に」と表記するのが正しい日本語だ。
よく学習しておけよ、能無しw
>なぜお茶々様としか子供を作らなかったのか、が正しい疑問のありようなんだよ。
それは、単におまえ基準の「正しい疑問のありよう」なだけだろw
茶々が産んだ子供は秀吉が父親ではなく大野治長あたりだろうよ。
秀吉と秀頼は体格が違い過ぎるし顔つきも似ていない。
北村有紀恵は、子供2人を焼き殺した鬼畜外道の人非人であることを忘れるな!
人非人とは、文字通り人ではないということだ。
よく肝に命じておけ、キチガイ加害者擁護派ケロンよ。 >>247
>秀吉には三名の実子がいたというのが記録上の異同がないという事自体は、簡単に済むそれだけのハナシだろ、莫迦だね御前は。
その三名も実は実子ではないと云われていることを知らんのか?
その点だけ、記録上の異同がないということを根拠にするのはご都合主義だろ。
莫迦だねおまえは。
おまえにはモノを考えるなんて所詮は無理なんだよ、能無しケロンww >>249
> その三名も実は実子ではないと云われていることを知らんのか?//
はァ? オエがグダグダ喚き出すより前にこう書いているがね。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/165
> 出生の秘密なんてハナシをダラダラするのかね//
叙位通達
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1187877023/110
> オメには【おえ】という位を授けようぞ。このエテ公にも劣る御莫迦様//
毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、御前はね、人様の手のひらの上で踊ってるにしか過ぎんのだよ。
> その点だけ、記録上の異同がないということを根拠にするのはご都合主義だろ//
記録上の異同はないだろ。そういう事実を述べてるだけであって、それを何らかの根拠になんかしてないよ。
>>248
> 茶々が産んだ子供は秀吉が父親ではなく大野治長あたりだろうよ//
むろん、オエがそんな事をダラダラ書き出すことなぞ最初から想定済み。
> 秀吉と秀頼は体格が違い過ぎるし顔つきも似ていない//
別段、チビからデカが生まれても構わんけどな、母方にデカいのがいるって以前にな。
>(なぜお茶々様としか子供を作らなかったのか、が正しい疑問のありよう)
それは、単におまえ基準の「正しい疑問のありよう」なだけだろw//
これが正しい疑問のありようなんだよ。なお、この疑問の答えは実は、凡そ日本人なら誰でもが知ってる事なんだよ。
>>222
> 秀吉に実子が4人居たなどという定説は聞いたことがない//
「秀吉には実子が実は四人いた、と云ってる訳ではない」については、全く理解が出来ん様だシネ。
莫迦はオエは、いつ死ぬのかね?
そりゃどうかなぁ、ってのならそれはそれで構わんのだが、オエってさ、何を意味してるのかすら分からんのだな。 >>251
>別段、チビからデカが生まれても構わんけどな、母方にデカいのがいるって以前にな。
構わんが、そんな確率は少ないだろ。
秀頼が秀吉の実子でないことは当時の豊臣家臣団でさえも半ば公然と噂になっていた。
顔つきも体格も全く似ていないよりは似ているほうが確率は高い。
おまえのは無理やりこじつけている。
その下の部分は文意不明でレスしようがないw >>252 > 構わんが、そんな確率は少ないだろ//
ならばオエのたわ言なぞなんの根拠もなかろうが。
> 秀頼が秀吉の実子でないことは当時の豊臣家臣団でさえも半ば公然と噂になっていた//
その根拠は? オエのたわ言かねノータリン >>252 > その下の部分は文意不明でレスしようがないw//
小早川秀秋が秀吉の実子だからといって、「秀吉には実子が実は四人いた、と云ってる訳ではない」については、
全く理解が出来ん様だなノータリン >>253
ググれ、歴史音痴の馬鹿ケロンw
>>254
理解していないのはおまえだろうが、馬鹿ケロンよ。
まともな日本語で分かりやすく無駄なく明解に書き記せ、この漢字苦手知恵遅れ野郎ww >>255
小早川秀秋が秀吉の実子だからといって、「秀吉には実子が実は四人いた、と云ってる訳ではない」については、
全く理解が出来ん様だなノータリン
それは違うってなら分からんでもないんだが、それが何かすらも分からんとはね、それ自体は単純な事なのにね。
なお、各種資料では異同なく小早川秀秋の実母とされる女性と、秀吉様がやっちゃった、なぞと云ってる訳ではない。
> まともな日本語で分かりやすく無駄なく明解に書き記せ//
まともで無駄なく明解な日本語なんだがね。まぁ、オエの膿味噌にはそういうのは分からんのだな。
この人が小早川秀秋の実母なんだろうね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E8%94%B5%E4%B8%BB
> 豊臣秀吉の正室・北政所付きの筆頭上臈で、後に徳川秀忠付き上臈となった。
「孝蔵主」は上臈としての雅名であり、実名は不明//
秀吉の正妻と、秀吉の子の実母が奥向のツートップだったという事だ。 >>256
俺は3次元世界で生きているから、2次元の言葉は意味がわからんのだよw
誰が実子とかではなく、そもそも秀吉には子供など一人も存在しなかったのだよ。
少なくとも、そう見る人は多い。
北の政所ねねと淀殿の間の確執は有名だが、その原因の一つに、子が産まれない(秀吉が原因)ことを公にしている北の政所にとっては、他の男の胤を秀吉の子にしてしまう淀殿は潔さがないと思えたのかも知れない。 >>257 > 子が産まれない(秀吉が原因)ことを公にしている北の政所にとっては//
そういうのって相性の問題だろ。まぁ、皇帝といった立場だったんだが、
子ができなかったのが離別の理由のひとつだったナポレオンとジョセフィーヌだって、
各々は実子を儲けてるんだしさ。オエはね、単純すぎなんだよ、身の程を弁えんから死沼で莫迦が治らんのだ。
> そもそも秀吉には子供など一人も存在しなかったのだよ。少なくとも、そう見る人は多い//
そういうヨタ話を聞き知る人は多いんだろうが、マトモにそう見てる者なぞおらんよ。
なお、仮にそう見る人が多くたって、それは何の根拠にもならんの。
> 北の政所にとっては、他の男の胤を秀吉の子にしてしまう淀殿は潔さがないと思えたのかも知れない//
はァ? 「秀吉には子供など一人も存在しなかった」の根拠が「他の男の胤を秀吉の子にしてしまう淀殿」で、
「他の男の胤を秀吉の子にしてしまう淀殿」の根拠が「秀吉には子供など一人も存在しなかった」なのかね。
まぁ、単なる循環理論ってヤツなんだが、オエはホントに莫迦だね。思考力・論理性が皆無だよ。
これに尽きる。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/246
> なぜお茶々様だけにしか子供が出来なかったかではなく、
なぜお茶々様としか子供を作らなかったのか、が正しい疑問のありようなんだよ//
オエにはさ、オエがグダグダ喚き出す前に、こう呉れてやったんだがね。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/165
> 出生の秘密なんてハナシをダラダラするのかね//
御前はね、人様の手のひらの上で踊ってるにしか過ぎんのだよ。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/251
発想を変えて正しい疑問に至れば、そんなグダグダやら循環理論に惑う必要なぞ皆無だね。
オエの如き莫迦に云っても仕方がないんだが、他の人も見てるんだろうから書いて措く。
閨房管理なんて君主にとって基本で当然だろうし、自分の子くらい分かんだろうよ。
秀頼には自分と似た部分もあったんだろうよ(これは小早川秀秋についても同じなんだろうさ)。
そもそもね、オエみたいな莫迦でもさ、お茶々様だけにしか子供が出来んのはヘン、なんて原始的な疑問が涌くならさ、
秀吉がそれを疑問に思わん訳もなかろうが。天下人なってからのお猿さんはね、
お茶々様としか子作りをしなかったんだよ。これで何の矛盾もなくなり、アホなヨタに構う必要もない。
なお、その理由は上記引用の >>251 に端的に書いたが、凡そ日本人なら誰でもが知ってる事なんだよ。
これを理由、正しい疑問の正しい正解として結びつけるのは、まぁ、多少の思考が必要だがね。 >>258
会話に飢えた孤独な引きこもりの暇人降臨w >>257 > 俺は3次元世界で生きているから、2次元の言葉は意味がわからんのだよw//
違うね。毛利こと頭の悪い気違い検事の佐久間達哉、オエみたいな莫迦の単語なぞを引くのも莫迦らしいんだが、
オエの膿味噌はね、投影図しか見えないんだよ。従って、三次元の言葉も二次元にしか見えない。
そうやってさ、自分の莫迦さ加減を人様のせいになぞしてるからね、オエは死沼で莫迦は治らない。
で、小早川秀秋が秀吉の実子だからといって、「秀吉には実子が実は四人いた、と云ってる訳ではない」については、
全く理解が出来んのだなノータリン まぁ、誰でも聞き知ってはいるだろうヨタ話なんかに惑わされて、
ンなもんをグダグダ垂れ流して得意になってるようなオエにはさ、死沼でなんにも理解なぞ出来ないよ。 >>259 > 会話に飢えた孤独な引きこもりの暇人降臨w//
莫迦は笑点、じゃなくて昇天しないと治らんぞ。
まぁ一般的にはそうではないんだが、オエには伝統的な民間療法しか選択肢は存在しない。
てか、オエは会話を求めてずっと貼り付きだったのかよこのエテ公藁
だがな、支離滅裂な妄想を一方的に垂れ流してるだけの病気のオエの糞投稿なぞ、
会話なんかじゃないんだよ。コミュニケ障害の死沼で治らん莫迦は身の程を弁えな。 神奈川県小田原市早川の石垣山一夜城跡を巡ってみた。
http://imepic.jp/20151010/712820
http://p2.ms/fd2ba
標高250mで眼下には相模湾や小田原城が見える。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉率いる大軍が小田原城の北条氏を攻略。
この山に城を築きつつ、関東各地の支城を次々に落とし、一夜城が完成した時に小田原城側の樹木を一斉に伐採して北条氏を驚かせた。
北条五代氏直は降伏し城を明け渡し出家して高野山に入ることを条件に助命され、四代の氏政は自刃。
早雲以来の小田原北条氏はここに滅亡した。
大阪城、岐阜城、越後の春日山城などと並んで難攻不落と言われた小田原城もあっけなく落ちた。 >>263
歩いて来たんだよ。
史跡巡りとはそういうものだ。
そのついでに写真を撮ってきた。
乞食のおまえはそれすら出来んだろww >>264
要するにほっつき歩いて写真撮ってきただけかい。 >>265
要するに、金が無い乞食のおまえにはそれすら出来んのだよw >>266 > 要するに//
要するにほっつき歩いて写真撮ってきただけかい。
> 金が無い//
だとしたら何かね。オエの資産なぞどうでもエエんだが、仮にオエが金持ちだったとしても、
それは単に、如何に金があってもオエの莫迦は死沼で治らんってだけのハナシだろ。
>>262 > 早雲以来の小田原北条氏//
北条早雲については最近こんな事が云われてて、何だか定説みたいになってるが、どうかと思うね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%97%A9%E9%9B%B2
> 幕府申次衆の書状と駿河国関連の書状を照らし合わせたところ、記載された史料の「伊勢新九郎盛時」なる人物が同一である事も決め手となった
・・・荏原荘には文明3年(1471年)付けの「平盛時」の署名の禁制が残されている//
新九郎って実はよくある名乗りだ。浅井長政なんかもそう呼ばれている。
要するに、伊勢姓の者の中から新九郎という名乗りの者を拾い出したら新九郎盛時という者がいて、
今度は盛時という名の者を拾いだしたら平盛時という者がいたんで、三者を同一だなんて云ってるだけにしか過ぎんな。
>>267
> ちなみに、石垣山一夜城跡はマムシが出るから、ボケーッとほっつき歩いているわ//
マムシに尻でも掘って貰えよ、死沼で治らんオエの莫迦も治る鴨試練だろうが。
なお、斎藤道三が新九郎と名乗っていた時代があった事とも無関係じゃないよ。
北条早雲の妹に北川殿という人がいて、今川義忠の側室として、龍王丸(後の今川氏親)という子を儲けている。
義忠の戦死後に法永長者という人物の下で母子ともども保護されていたそうだ。
この法永長者というのが実家筋になるんだろうな、と、普通になんで考えないんだろうかね。 >>218
> >>216>>217 コピペ、しかも他人のコピペで対抗とはwww//
216、217 ともにデフォだろ、誰ともワカラン投稿なのだが、
何でオエがさ、それが他人だと断言できるのかね。
答えは唯一つ、それがオエの投稿だから、以外にないよな、この分裂症が。
> 情けない蛆虫だな//
それはオエ自身だろうがノータリン
小早川秀秋については、最近他カテで書いたんで、貼っとくわ。
http://2chb.net/r/ranime/1232041547/582
> まぁ個人的には、石松丸 = 小早川秀秋、南殿 = 孝蔵主 ではないかと思ってるんだが。
小早川秀秋って姻族で、お猿さんとの血縁はないのに、優遇されすぎだと思うし。
お猿さんは第六天魔王の子を養子に迎えてるので、実子の存在は不都合だったんじゃないかな//
>>219 補足
> 秀吉には実子が実は四人いた、と云ってる訳ではないんだよ//
については上記の通りで、石松丸 = 小早川秀秋、鶴松丸、秀頼の3名だ。