0001朝一から閉店までφ ★
2017/04/24(月) 16:33:56.04ID:CAP_USER生きていけること感謝 「死のう」とした東尋坊で恩返し 再スタートの男性「NPOの手伝いを」 /福井
毎日新聞2017年4月24日 地方版
(写真)
試食会で、茂幸雄さん(左)らが見守る中、たこ焼き器に生地を流し込む男性=福井市で、大森治幸撮影
自殺しようと昨秋訪れた東尋坊で保護された男性(69)=福井市=が29日、たこ焼き屋を始める。場所は、命を救ってくれたNPOが活動拠点とする店の軒先だ。一時は決めた死に場所で、人生の再スタートを切る。
男性は「大阪で長く暮らしてきたので、本場の味を舌が覚えている。店の営業の一環として、NPOに少しでも恩返ししたい」と声を弾ませる。【大森治幸】
男性は大阪市生野区で生まれ育った。「自慢できるような人生ではなかったから、名前は明かしたくない」と話す。
高校卒業後に電気通信会社に就職したが、仕事上の人間関係がわずらわしくなり6年間ほどで辞めた。以降は日雇いや住み込みで土木、建築、造園などの仕事に携わってきた。「今も職人としての自信はある。手先も器用だよ」と笑う。
しかし、65歳を過ぎると、年齢を理由に仕事の話が来なくなり、生活苦に陥った。一人暮らしで、子どももいない。姉弟とも没交渉だ。「好き勝手に生きてきた。もう死のう」と昨年9月、東尋坊に足を運んだ。
飛び込む場所を探していたところ、保護活動をしているNPO法人「心に響く文集・編集局」代表の茂幸雄さん(73)に声を掛けられ、活動拠点の茶房「心に響くおろしもち」に案内された。ふるまわれたおろし餅は空腹を満たし、
虚無感で冷えきっていた心を温めた。一時的に住む場所も提供してもらい、自殺を思いとどまった。ただ、生活保護で暮らしながら職を探しても、年齢がハードルになってなかなか見つからなかった。
そんな時、茂さんに「たこ焼きを焼いてみない?」と勧められた。茶房でかつて使っていたたこ焼き器が残っていたのだ。男性は「露店のたこ焼きを手伝っていたこともある。
NPOの活動のお手伝いになれば」と決意した。今までは日銭を稼ぐためにただただ働いてきた。友人もいない。「ここに来て初めて人の温かさを知った。生きていけることに感謝している」
22日にはNPOメンバーらによる試食会があり、茂さんから「素材の味が引き立っている。生地も絶品だ」と好評を得た。「もう少し大きく焼いたら」「店の名前も考えなくちゃ」とアイデアが飛び、ソースのにおいと笑顔が男性を包んだ。
茂さんは「売り上げは本人の収入に」とも考えている。男性は「接客は久しぶりだけど、大阪仕込みのノリのいいしゃべりも出したい」と意欲を見せている。
https://mainichi.jp/articles/20170424/ddl/k18/040/127000c
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