討幕・新政府樹立はもちろん薩長両藩の主導によるものであるが、
強大な武力を温存しながらあっさり不戦敗を選択したことは、逆説的に言えば、
幕府⇒新政府の“平和的”政権移行の最大の功労者は慶喜であったかもしれない。
また近年 尾張慶勝が再評価されてきている。徳川宗家を見限り、
いち早く東海地方を新政府側にまとめた尾張藩の行動は、本音は単なる保身策だとしても,
維新の「無血革命」に大きく貢献した。
薩長連合もイギリスの支援が無ければ自力で討幕が出来たかどうかも疑問が残る。
イギリスのグレートゲームを踏まえた維新史にも留意して、旧来の薩長史観を見直してみればどうか?
>>1
尾張家が早々に徳川宗家を見限ったのは、
8代将軍の吉宗から14代将軍の家茂まで、
紀州家の流れを汲む将軍だったってこともあったんだろ?
幕末期、尾張家から見れば徳川宗家=紀州家で、
本音では自分たちと同じ御三家の一つぐらいに認識だったに違いない。 尾張家の家訓に勤王精神がある。これは藩祖義直の遺命によるもので、代々の尾張家当主に受け継がれてきた。
だが、この尾張家の勤王も額面通りに受け取れない、という説もある。少し珍説ぽいが、
「尾張家の勤王は家康の深慮遠謀」という見方である。外様大名が天皇を担いで討幕軍を起こした時は、
尾張家は官軍側に付く、という戦略である。官軍と幕府、どっちが勝っても取りあえず「徳川」の家名は残る。
少し「出来過ぎた話」だが、徳川慶勝の行動はまさに「家康の計略」どおりだった。
それと尾張家では「御三家とは将軍家・尾張家・紀伊家を指す」という意識があったことが文書にも残っている。
これも義直の時からのもので江戸初期からの将軍家に対する同格意識の証左である。
英国の猿って東インド会社の恩を仇で返した恥知らずだろ?
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
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維新の三傑は「グラバー、パークス、アーネスト・サトウ」とか言ってたスレがあったな。
アーネスト・サトウと違ってパークスは幕府寄りだったろ
パークスは慶喜の助命で西郷に圧力かけてたが、別に幕府寄りってわけではないだろう。
白旗掲げている慶喜の首を獲るのは無理筋であるし、イギリス本国からの別の思惑があったと思われる。
折角 無血革命に近い形で幕府を降参させたのに、やりすぎると反対勢力が激昂して内戦が長引く。
イギリスは日本が長期的内戦になるのを嫌がったのだろう。
明治政府は江戸幕府が敷いた路線を踏襲しただけって気がしないわけではない。
だが、幕府のままではあそこまで急進的な改革が出来なかったのも事実。
慶喜は回想では幕府の滅亡は不可避と見て、 鳥羽伏見の敗戦後の混乱回避のため敢えて兵士を置き去りに東帰したとうそぶいている。
(本当は錦旗を見て戦意喪失だけ。)それはともかく、後年 明治政府から「維新の功労者」にカウントしてもらったことは
慶喜にとっては面子も立ち、まんざらではなかったろう。明治政府側の政治的意図・思惑が一致した。
近年小栗上野介が「近代化の父」みたいに再評価されてきているが、明治政府に出仕した旧幕臣たちの業績にも焦点をあてて
明治前期を再検証することは大きな意義がある。
>小栗上野介が「近代化の父」みたいに再評価
大隈重信だっけ? 最初にこれ言ったヒト。 まあ、過大評価されまくりの坂本龍馬よりは
マシだわね。
>>1
廃藩置県は山県有朋ら若手が木戸や西郷を動かして断行した「上からのクーデター」だったが、
実はそれ以前より西日本の知藩事(旧藩主)たちから廃藩の建白書が多く寄せられていた。
その中に徳川慶勝(名古屋藩)、池田慶徳(鳥取藩。水戸斉昭五男 徳川慶喜の実兄)の名が見える。
また、廃藩置県は明治初年の和歌山藩の急進的な藩政改革をモデルにしたとも言われ、
明治政府最大の改革 廃藩置県に“徳川色”が垣間見えるのが興味深い。 明治維新の功労者は小笠原長行
ビルマの戦いの功労者は牟田口廉也
>>14
何で小笠原なんだよ? 長州征伐で惨敗したからか? 江戸時代には仏と神が共存していた
それが、明治には「神仏分離令」により、沢山のお寺・仏像が破壊され、修験道も廃止させた
新設した神社を古代からあると偽った
正月には国民を神社に「初詣」をさせた
天皇が伊勢神宮に参拝するようになったのも明治から
英国傀儡イカサマ明治政府は何故そんなことをしたでしょうか
基本的に、
仏教、お寺、餃子は中国大陸系であり
神道、神社、天皇は朝鮮半島系である
徳川幕府が中国大陸系であり
不正な英国傀儡明治政府を設立した長州の下級武士が大内氏で百済王族だった
百済王族が民主国家を作るはずがなく、南朝=百済朝廷による支配が始まる
ただ、英国が銀行を支配する都合上、民主国家を装ってある
どうりで議会も司法も、まともに機能していないと思ったろお前らバカだから
>>13
戊辰戦争では薩長に付き合った諸藩も別に心底薩長に平伏したわけではない。あくまでも薩長が担いだ朝廷に従ったまで。
であるから当初の明治政府は薩長を中心とする大名連合政権。 同時代の北ドイツ連邦みたいなもの。
これが廃藩置県のクーデターによって武力が政府に一元化されて中央集権国家になった。
慶喜は「第三次長州征伐」を考えていたようだが、仮にそれが成功して長州藩を無力化できたとしても、
その後 廃藩置県まで進むのは無理だったろう。 第二次大戦の敗戦・米軍の占領で日本はダメになったとよく言われるが、
そもそも明治維新が間違いだった。
徳川慶喜による緩やかな近代化が最も理想的だった。明治維新が無ければ日本は列強の植民地になったという者もいるが、
それは有り得なかっただろう。 資源に乏しく戦略的な価値もあまりない日本を占領するのは
列強にとってコストが高くつき過ぎる。
>>13あたり、かなりの低能だよな
ああいうバカな人間にはなりたくないもんだ
英国が薩長を支援した理由は何だ
これ知らなきゃ日本人やめた方がいい
というか邪魔だから死ね >英国が薩長を支援した理由は何だ
教えてくれよID:jdyNMkg50
ぜひご教授願いたい
島津と毛利が手を組めば、徳川を倒せることくらいは当時の人であれば誰でもわかっていたことらしい。
徳川の武力って、現代は過大評価されてると思うな。
島津と毛利だけでは頭数が足りないよ。鳥羽伏見はたまたま勝っただけ。(幕府の油断・譜代の裏切り)
王政復古のクーデターの時点で徳川が薩長を叩いておけば維新は無かったね。
まあ、いずれも慶喜の戦略ミスが原因だから、そういう意味では徳川の敗北は不可避だったとは言える。
王政復古のクーデター時点で軍事的にも打つ手がなかったから大阪城に退いたんだが、それはわかっているかな?
>>26
慶喜が何故大坂城に退いた理由が全然わかってないね。
軍事的に打つ手が無かったからではないよ。 やい直し 王政復古の時点で準備万端の薩長とやりあっても負けてるよ
薩長の主力が揃ったのは王政復古のクーデター後
鳥羽伏見の戦いの勝利は装備の差もあるが地形の要因が大きい。
もう一度やり直し
幕府も王政復古の後で諸藩の兵隊を動員してるけどな。
鳥羽伏見での装備なら、むしろ幕府の方が良かったよ。
はい、やり直し
はいはい、頭の弱い人のために懇切丁寧にやり直して説明してあげますよw
>26・28
都合の悪い>>27に答えられなかったのは許してあげるよ。知らないものは答えられないもんね。
>王政復古のクーデター時点で軍事的にも打つ手がなかったから大阪城に退いたんだが
間違ってますよ >>27の答えは、「徳川慶勝ら 公議政体派の意見に従ったため」でしたw
まず慶応三年12月9日時点の在京兵力は旧幕府・会津・桑名>>>薩摩 で兵力数では徳川が圧倒していた。
で、一気にケリつけなかったかと言うと、公議政体派は両派の武力衝突を望まず、政治工作でもって慶喜の新政府入りを目指し慶喜もひとまずその案に乗ることにした。
で、この工作中に不測の事態が起きないようにするために二条城の兵力を大坂城へ退却させた。
尾張慶勝らの工作によって岩倉が折れて12月末 慶喜の新政府入り(議定就任)が内定したのでありました。
はい次 >>30
>鳥羽伏見での装備なら、むしろ幕府の方が良かったよ。
はいはーい。最近目にする「実は幕府軍装備良かった説」ね。知ってるよ。
これは徳川方の内のいわゆる「幕府陸軍」の装備のことを指して言ってるんだが、よく言われているのが
伝習隊が新式の元込め式の銃を持っていたことに着目している。しかしこれ数が少ないんだよね。
幕府陸軍兵の多くはやっぱり旧式のゲベー銃だったんだね。会津桑名その他の兵装と来たら(ry
薩長軍は同じ先込め式でもゲべーより射的距離や殺傷力で勝るミニエー銃を大量に保有していたんだね。
大山巌(だったかな)は後に「鳥羽伏見の戦いの勝敗を決めたのは火力の差」とかナントカ述懐している。
まあ火力以外に陣形と現場指揮官の差の方が致命的なんだけどね。
というわけで>>26>>28>>30の無知を訂正してみました。
おしまい 結局、現場指揮官も戦略的地形眼も薩長側がすべて優っていたから、数で圧倒的に優位な幕軍に勝てたというわけですね?
よくわかりました。
鳥羽伏見に展開していた薩長の兵力は実際のとこ1500ほど。残りは京を守備していた。
王政復古時に薩摩サイドは3000近くいたのだから、在京の幕府・会津・桑名程度じゃ勝てんだろ。
>>33
そうです。鳥羽伏見の戦いはね。 先に書いた現場指揮官の差とは 鳥羽伏見の幕府軍指揮官は戦争をやるためではなく
示威行為が目的の上洛でしたから「本気度」に少し問題がありました。それとバカな人はまたまた都合よく「陣形」のクダリを飛ばしてくれていますが
幕府軍は街道を長く縦に進む陣形を取っており、ここを先頭から薩長軍に銃撃されて崩れ、これが後続部隊にまでおよび隊列ががたがたになった。
このがたがたになった理由は指揮官間の連絡ミスや指揮能力不足が挙げられます。これが京都市街での戦闘だったら別の話です。頭が弱い人はすぐ一緒くたにしますので
要注意です。
これが王政復古のクーデター時だったら、徳川が勝っていたでしょう。薩長はまだ装備が整っていませんでしたからね。
薩長の兵力・装備が整ったのは鳥羽伏見の直前でした。
>よくわかりました。
26氏の無知が解っていただけたらそれで結構です。 指揮能力なし、士気も低そうだから、王政復古時ならなおさら市街戦でも薩摩軍にあっさり負けてるだろ
まあ、 イギリス フランス ドイツが総合的には一流国家といえる
明治維新が薩長だけの力では結局完結できずに、徳川一族の中では異端者であった慶喜や慶勝のアシストがあって成功した事は、
それでそれで歴史の一側面として事実であったろう。しかしなから、これが無ければ明治維新が起こらなかったわけでもあるまい。
その場合はもちろん史実とは違う過程を経ることになるが、方向性として史実とそう違うことも無かったろう。
むしろ急進的な脱徳川色を帯びた政策を取っただろう。
また、戊辰戦争が史実より大規模な内戦となれば薩長を支援する英国の影響力が増したかもしれず、明治政府の英国依存が強まったろう。
戊辰戦争後の日英関係は現在の米・イスラエル関係に似たような庇護者・被庇護者の関係になったろう。
こちらの方は、慶喜がさっさと薩長に降伏したおかげで脱英国が図れたと言える。
いや、起こらなかったと思うわ
斉昭と斉彬の仲が良くないと幕府批判の機運が盛り上がってない
もし、徳川家茂が長命で独裁志向の将軍だったら、反主流派の慶喜は薩摩とつるんで、
雄藩連合政権樹立に動いたかもしれない。 ・・・・・というのは俺の妄想なんだが、
その可能性はありそうだ。
共産党内の権力闘争でやぶれたエリツィンが外部から共産党を潰して自らの政権をうち立てたような。
世間では坂本龍馬が人気だけど、一介の素浪人が数十人の男を束ねて武器の売買をするなんて
一体その資金はどこから出てんのかと考えると謎は残る
薩摩にとって坂本は都合のいい駒であり、英国商人にとっても御しやすい相手だ
薩摩と英国にエージェントに取り立てられたのが坂本龍馬、ということだろう
龍馬は明治の中ごろまで無名の存在だった
>>45
近江屋てあれ、メインで殺したかったのは中岡ていう説もあるんでしょ?
>>1
>幕府⇒新政府の“平和的”政権移行の最大の功労者は慶喜であったかもしれない。
それは間違いない
慶喜の大局的な判断があってこそ 大局的判断ねえ・・・・・
単に朝敵のレッテル貼られたのがこたえたんだろう。
実は打たれ弱いノブりん
朝敵とされて堪えた、錦の御旗で戦意喪失したと巷で喧伝されるけど
作家が面白おかしく解釈してるだけだよね
非協力的な幕府の連中の尻拭いをさせられるより、そっちの方が慶喜は幸せだっただろうな
鳥羽伏見の戦いが全てだったんだよ。
慶喜は武力討薩に腹をくくることが出来なかった。
頼朝以来の全ての天下人は己の人生全てを賭けてこの一戦に臨み、勝利して天下を得る。
慶喜はこういった覚悟と決断が出来ない人だった。
所詮はお坊ちゃん
討薩の表を上奏する課程で部下が戦闘行為を始めちゃったんだから、現場指揮官に大いに問題があるように思う
慶喜を殺してでも戦争した連中がワンサカ配下にいる状況じゃお手上げ
勝利したらしたで内乱が長期化するだけなので、さっさと恭順するのが後々のためにもベスト
鳥羽伏見戦役は幕府側ではなく薩長側から火蓋を切った。 旧幕府軍は興奮度の割には“本気度”が足りなかった。
総帥の慶喜自身が「おまえら進軍したいなら勝手にやれよ」程度だったから現場指揮官だけの責任とは言えない。
当時の慶喜は尾張義勝らの公儀政体派の周旋に比重を置き、武力討薩には乗り気ではなかった。
すでに旧幕府軍が進発した段になってもこのフンドシの緩さが、後世の史家に「優柔不断」「ひ弱」な印象を与えている。
もはや「賽は投げられ」ているのに、まだ握りしめているつもりだったのだろう。
この阿保桜満開ぶりは、おそらく腹心の原市之進の死と無縁ではなかろう。
>>54
本気度という言葉にデジャブを感じたんだけど、もしかして>>35の人?
監督責任というものが存在する以上、現場指揮官だけの責任とは言えない
(慶喜に全責任があるとも言えないが)
原市之進が殺害されてるのは痛いね
しかも犯行が幕府側の人間という…
でも戦端を開かぬよう指示は出していたし、
幕府軍暴発後は徹底して恭順謹慎を貫いてるのは良い判断だと思う
>>1の「幕府⇒新政府の“平和的”政権移行の最大の功労者は慶喜であったかもしれない」に繋がる
慶喜を贔屓目で見てしまう俺としては阿保桜満開と断じるのはいかがなものかと個人的に感じるが
未だ評価が定まらない人物なので、このように言われてしまうのも止むなしとは思う
慶喜の評価ってその人の思考や性格が結構出るところだよね 芹沢鴨ってどうなん。ほんまに水戸出身だったのかね
見回り組ではなく、浪士組に参加してるから無役の御家人より零落した人だったのだろうけど
尊王攘夷の浪士組がなんで内ゲバ大好き新選組に変わっていったのだろう
渋沢栄一、前島密、榎本武揚、福地桜痴、西周・・・・・・
明治国家は旧幕臣が作ったんだよ。
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
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明治前期 政府の役人の3分の1が旧幕臣。現代で言う中下級のノンキャリに旧幕府の役人が維新後も そのままスライドして新政府に出仕していた。単純に政府内の最大の藩閥勢力は、実は旧幕府だったりする。
また、民間でも渋沢栄一 福沢諭吉 西周などの俊才を輩出した。 日本の近代化は実は旧幕府によって為されたと言っても過言ではない。
日本人は誤った維新史観を捨てる時が来た。
渋沢栄一 福沢諭吉 西周を旧幕臣と言うのは違和感あるな
外様から優秀なのを中途採用しただけじゃねえか
関ケ原以来の家臣でイキがいいやつを紹介してくれよ
本来の譜代幕臣は文字通り明治維新で殲滅された。
蕃書調所出身とか、全国募集組をインスタント「幕臣」に採用、これが明治新政府に転職して活躍した。
数字的に旧幕臣勢力が多いのは遠国奉行・町奉行などの下僚、いわば地方ノンキャリが多いため。
>関ケ原以来の家臣でイキがいいやつを紹介してくれよ
再調査の結果、該当者はいませんでした。
>>3
それ、尾張でなく水戸のことなんだが
嘘をそうやって流布しちゃダメだなあ 63についてはwikiにソースが乗ってたな
調べる気にもならないが、水戸藩編集のなんとかって書物っぽいよ
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆
>>63
徳川義直 尊王(尊皇)でググれば色々出てくる。
尾張藩が江戸時代ずっと尊皇で縛られていたのは基礎中の基礎知識だろ 尾張16代藩主の徳川慶勝(よしかつ)は、尊皇攘夷の立場をとる大名だった。
そんな背景から、孝明天皇からも厚い信頼が寄せられていた。
慶勝はコ川家そのものよりも、むしろ朝廷を尊ぶ、尊王思想だったという。
「尾張藩の初代藩主である義直の『王命に依って催さるる事』を秘伝の藩訓としてきた。
つまり勤皇思想の家訓を受け継いでいたからです」
徳川美術館(名古屋市東区)の原史彦主任学芸員がそう語ってくれた。
>>63>>65
水戸藩が尊王になったのは二代藩主の光圀からだから、家康は関係ないでしょ。ていうか、 江戸の近郊に尊皇藩を配置しても
徳川家家名存続に繋がらない。西に置かないと。
それと、 尾張義直の強烈な尊皇思想(つーか、 将軍家へのライバル心)は尾張吉通が義直の遺訓を記した「円覚院様御伝十五箇条」から伺える。
そのあたりから『家康の深慮遠謀」とか俗伝にまで発展したものと思われる。
光圀の尊皇思想も義直の影響もあるし>>63は話がごちゃごちゃになったのだろう。 戊辰戦争前に内戦で崩壊した水戸藩は尊王攘夷思想の藩だったとしても主導権は喪失したものとみる
明治維新の黒幕は本当はトヨタを生んだ尾張と松下を生んだ紀州の両徳川で
田布施、田布施と騒ぐ陰謀論者はそれを隠す為に騒いでいるのではないか?三菱も三井も住友も長州出身ではない
安倍の後ろにいる二階も竹中も紀州人だ そして皇室によりつながりの深いのは薩摩の方だ
長州人は反対派の前に出て矢面に立つ人間で、首相は輩出しても黒幕はまだ別にいると思われる
フルベッキ写真の周りにいるのは長州人だけではない 紀州人の陸奥宗光もいるのである
廃藩置県のモデルは和歌山藩の改革だしね。
やっぱり明治維新は尾張・紀伊・慶喜の自演だったのか。 薩長とか坂本とかどうでもいい脇役だったんだ。
小中学生の授業で近代史が掘り下げられない理由だわな
あまり深くやるとバカでも気が付く
明治維新後の列強との関わり見てたら、その後の太平洋戦争含めた近代の戦争が不可避だってのは普通に気付いちゃう
現代人がいくら「太平洋戦争は間違いだった」とか言っても、ポジション的にどのみち侵略はされてる
積極的に戦争してなけりゃ今も日本は発展途上国だし、お花畑な事を言う自由も余裕も無かった
少なくとも明治維新から冷戦終了あたりまではワンセットの流れで強制イベントなのを極力気付かないように誘導して教えてると思う
今の北チョンの火遊びと、対比しながら学ぶといい。
上手く乗せられて火遊びを繰り返したあげく、
利用価値がなくなり目障りになってきたら
白人様に始末されてしまう運命。
こういうのは、御主人様の目から見ると
東アジアに共通した「東アジア的 退嬰」なんだってよ。
北チョンは、日本を真似た、遅れてやってきた劣化版日本だそうな。
猿にも等しい東アジア人が、害悪を振りまかないように、
御主人様による「善導」と「教化」が必要なのである www
幕藩体制が中央集権だったら世の中がひっくり返る。
徳川将軍がいくら高圧的だからってそれは領地達の中の大領主でしかない。
各藩の領主達がそれぞれ自分で税金取りながら軍隊も自前で持ってる中でそれを英仏と同じ近世と呼ぶのは無理あり過ぎる。
事実上、日本は近世を経ず中世から近代へ突入したくに。
明治維新の攘夷、下級士族の役割を評価しすぎると進歩史観的には反動革命とされマイナス評価になるので
ここはパトロンになった商人に焦点を当てることで、ヨーロッパと同じく日本もブルジョア革命の段階に発展していたとするのが反論としてはベター
そもそもヨーロッパ史には「近世」が無いんだが?
「近代」の始まりはルネサンスなんだが、それじゃああんまり早すぎる、ということで「近世」というのを
付け加えただけで、意味のない話。 歴史区分は基本「古代 中世 近代」の3区分。
来年西郷隆盛が大河ドラマの主人公になるというのに、実際の明治維新は徳川の自演だったとは、
NHKもがっくりだな
サビエルが書簡で日本民族は滅ぼさなければならないと書いているからな
以来、イルミナティの小間使いイエズス会は虎視眈々と攻撃してきた訳だ
自分が作った明治政府に討伐された西郷のことを考えれば、慶喜は完全に勝ち組に入るな
実際は
慶喜→戦争してみたけど勝てなくて恭順に切り替えた
英国→戦争で賠償金踏んだくっただけで中立
なだけだからな
>>75
明治維新の時に輸入した兵器が南北戦争の残りもの
終戦で不要になった在庫一掃に行き場として内戦したのも
薩長に英米死の商人が巧みに近ずいて幕府の転覆企てた
こういうのが周知されるだけでも明治維新とかインチキ
だったとわかると思うんだよね
日本植民地化ギリギリ回避改革みたいな
龍馬は結局内戦を激しくさせないために働いてしまい
グラバーやジャーディンマセソンに損をさせたので
殺されたんでしょう? 坂本龍馬が何で維新の英雄みたいに評価されているのかさっぱりわからない。
幕末維新史を詳しく見れば、坂本は薩摩や英国のパシリだと理解できるはずなのにねえ。
で、今NHKで鳥羽伏見の戦いのドラマやってます、と。
ヨーロッパ人の中では、特別優れた思想家のカントは「永久平和のために」の中で、ヨーロッパのならず者国家がアジア、アフリカを侵略している中で、日本が鎖国体制を取っていることを高く評価している。
水戸や薩長のバカは攘夷を叫んでいたが、幕府は開国にあたっては、まず筒井、川路(川路は柳田国男が最大級に賛辞した数少ない日本人)という底の知れぬしたたか者にのらりくらりと対応させて、
切羽詰まると、岩瀬、堀、水野という希代のキレ者たちに対処させた。
水戸斉昭は堀織部を切腹させろと幕府に迫ったが、老中が何とか堀を守った。
堀は外国奉行、箱館奉行、神奈川奉行兼務という超人的な仕事をしたが、特に日本列島初の天然痘に対する大量予防接種をアイヌのために行った。
このままでは、深刻な人口減になると考えたため、しかし、松前藩と明治政府のせいで残念なことになってしまった。
また、幕府は朝鮮(韓国)のために開国のアドバイスの使者を送ったが、大政奉還で、呼び戻した。
薩摩が奄美、沖縄でムチャクチャなことをやっていた勢いで、明治帝国から征韓、満州進出の黒歴史を作ってしまった。
昭和に入って幕府・賊軍側が台頭し
賊軍勢力が対米戦争を主導したが
日本惨敗
やはり結果的には薩長主導の方がよかった
太平洋戦争を主導した賊軍勢力
■陸軍
板垣征四郎(岩手・盛岡藩)陸軍大臣
畑 俊六(福島・会津藩)陸軍大臣
小磯國昭(山形・庄内藩)総理大臣
東條英機(岩手・盛岡藩)総理大臣・陸軍大臣
石原莞爾(山形・庄内藩)
■海軍
米内光政(岩手・盛岡藩)総理大臣・連合艦隊司令長官・海軍大臣
及川古志郎(岩手・盛岡藩)海軍大臣
山本五十六(新潟・長岡藩)連合艦隊司令長官
嶋田繁太郎(東京・幕府)
南雲忠一(山形・米沢藩)
井上成美(宮城・仙台藩)
まあ、幕府の外国奉行クラスに匹敵するのは、横井小楠と薩摩の重野安繹くらいだろう。
昭和に入れば、陸軍よりも海軍のほうがまだマシで、非戦派の山本、井上、
昭和天皇の懐刀で、終戦工作を任された光内あたりはマシなほう。
攘夷、公武合体・大政奉還というのは、あくまで方便で、
実際は、良くも悪くも西郷が居なければ、コトは進まなかった。
クーデターが終われば西郷は用済みで、
重野安繹は政治の世界から降り、学問の道へ入ったので、
あとの懸案は、共和制志向の横井小楠を消しておくことが必要だった。
今年の大河ドラマが西郷だから「薩摩推し」は今年一年続く。
大河もいい加減 戦国と維新ばっかりのをやめて、神功皇后とか天武天皇とかやれよ
>97
元禄はさんざんやってるだろ。 寛永・天保なら誰を主人公にするの?
>96
古代ってあんまり映像化されないから観てみたいね。 壬申の乱 三韓征伐・・・・・
ドラマ性高い。
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
E8MSR
西郷隆盛は西南戦争で何をやりたかったんだろうか?
明治維新が失敗だったとしてもそれは自分のせいだ。 だから、自らもう一度やり直したッ方のかもしれないが、
それって、自分がバカだと再証明することだろ。
やっぱり、慶喜がゆっくりと近代化するのが一番正解だったんだよ。
江戸時代中期、大奥生まれの大奥育ちの将軍の子は虚弱ですぐに死んでしまった。
出産は多いのに成人するまで生きられるのは少なく、将軍たりうる器量を持つ者はなかなか育たなかった。
なんとか育って将軍の地位についても白米に偏った食生活のせいで脚気を発症して死んだ。
だから御三家の人間を迎えるようになったわけだが、そもそも大奥の育児がダメダメだったのは何故か。
「大奥」「目隠し」でぐぐったらわかる。
春日野局のような乳母が国政に影響を持つのを忌避したためとはいえ、大奥では子どもが健常に育つための
母性がとことん排除されていた。
そりゃ健康な後継者、大奥じゃ育たないわー。
最近 第二次日英同盟論がマスコミに出てるね。
亜米利加よりは信頼できそうだな
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
MIQ
アンチ薩長史観とかイギリス黒幕説とか流行ってきたね。
まあ、あくまでも異説の域を出ないがね。
>>101
西郷は長州の連中がおかしいと、途中で気付いた
長州の連中が英国の手先であり
それを放置すれば日本は英国の傀儡になってしまうと恐れた
ま、薩長の下級武士が機関銃とか最新の銃器を誰に与えられたか考えれば
後ろになんか黒幕がいるなと誰でも気付くわな ■「反薩長史観ブーム」の捏造を許すな■
「○流ブーム」に続き、新たなブームの捏造を極左マスゴミが仕掛ける動きがあったので、注意喚起を兼ねてここに公表する。
そのブームとは「反薩長史観」。その名の通り、薩摩長州の志士をボロクソに中傷する史観のことである。
誤解しないで頂きたいのは、この「反薩長史観」とは新選組や白虎隊などに心酔した結果の、一種の判官びいき的な「親幕反薩長」感情・史観のことではない。
反日パヨクが仕掛けた反日極左史観に他ならない。
イデオローグである武田鏡村は
「歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。」
「薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。」と言い、
「反薩長史観」のバックボーンが、反安倍、反日、反皇室のパヨク思想であることを図らずも吐露している。
奴らの狙いは何か?それは2018年を見据えた反日パヨク運動の扇動である。
2018年は明治維新からちょうど150年目である。またこの年のNHK大河ドラマは「西郷どん」である。
この歴史的な節目の年に便乗する形で反日パヨク運動を激化させる危険性がある。
例えば
・政府主催の明治150年式典に対するテロ
・「鹿児島県民と山口県民は日本最凶のDQN県民」というプロパガンダを垂れ流し、日本社会の分断を図る。(いわゆる「田布施陰謀論」もこれの変種である)
・「明治維新を評価する奴はネトウヨ」キャンペーンを繰り広げ、評価する人に対する嫌がらせやテロをする。
・「(アメリカ南軍のリー将軍像のように)西郷隆盛の銅像をぶっ壊せ!!」と喚き、西郷像を破壊する。
・西郷像のみならず維新の元勲の像も破壊され、靖国神社や松陰神社などの元勲由来の神社もテロの標的となる。
・「皇太子の娘の名前を改名せよ!」と喚き、東宮御所前をデモ行進する。(御名前の由来が西郷の座右の銘である「敬天愛人」だから)
このような奇痴害活動を絶対に阻止しなければならないし、反薩長史観を称揚するマスゴミを厳しく指弾しなければならない。
かつてはあの時代にもっとも最低限度な内戦だけで
スムーズに近代国家に移行した世界史上でも奇跡的な事例と
世界から賞賛された明治維新だが、
最近の反薩長ブームに便乗した連中(仕掛け人は左翼)にぼろくそに言われていますね。
>>108
英国の手先は長州ではなくて薩摩だろフツー
何言ってんだか 薩長陰謀論をそのまま放置すれば、将来「反薩長武装戦線」を結成して、反日テロを起こす危険性がある。
かのナチスも発端はミュンヘンのビアホールに集まって「ユダヤの陰謀」を愚痴る少人数政治サークルに過ぎなかった。
ところがある日加盟したチョビヒゲおやじによって躍進を遂げ、ホロコーストを起こすまでになった。
日本でテロを起こし陰謀論を唱えていたオウム真理教も、前身は只のヨガ教室であった。
そんな他愛もない集団から暴悪テロ組織に成長したのである。
陰謀論を叫ぶような連中は公安当局の監視下に置くべきである。
それこそが「オウム事件」から汲み取るべき教訓である。
薩長陰謀論=ナチズム=オウム真理教
薩長陰謀論に出合ったら、精神病院と警察に連絡しよう。
>>109
田布施システム信じてるやついんの?ww 事実だろ
日本は米英とその手先の薩長に操られている
日本人のための政治なんてやってない
陰謀論否定は愚民を思考停止させる権力者の陰謀
>>115
田布施システム信じてる馬鹿発見!
陰謀論は国民の共同体意識を破壊するパヨチンの陰謀 市民がなにもせず与えられるのを待っているだけなのに
市民にとって理想的で都合よい世の中が訪れるわけないだろ
立ち上がって世の中変えた人間が自身に都合よい世の中にするのは当然
>>20
自分はこれを支持してみたい。
幕末に徳川幕府がいずれもの列強諸国と不平等条約を結んだのも、どの列強からも攻め込まれないようにするためだったのでは? 関税自主権を認め安い毛織物・綿織物が入ってきて多くの綿農家を路頭に迷わせ
生糸は品不足を招き織物職人を失業させ、金を大量に流出させ物価高を招いて
戦争せずとも庶民の暮らしは死にかけてたけどな
>>118
列強諸国と不平等条約結んだのは最恵国待遇によるものであまり関係ないよそれ
西欧の列国ならそうだけど
フィリピンを手に入れた新興国アメリカとロシアにとっては地政学的に日本は重要な地域
世界ナンバー2のロシアと組めば
もっと条約の内容が厳しいものになるうえに
イギリスと敵対するとこになし、火事場泥棒何度もしてるロシアに呑み込まれる可能性が大
当時のアメリカは中等国にがやや強くなった程度の新興国でしかない
故に条約の内容は融通がきかせられる
しかもアメリカと結んだゆるい条約内容が基準となり最恵国待遇がしかれるため
日本にとっては最悪だけどそれでも最良の選択肢となる
更にアメリカは国内に大問題かかえていて近い将来日本にかまってられなくなるのは明白
こんな当時の日本に都合のいい相手はアメリカしかいなかった 日米和親条約も日米通商条約もその交渉過程をつぶさにみれば、日本側は結構頑張っている。むしろ現在の害無能省よりもいい仕事をしている。
孝明天皇と長州藩が居なければ、幕府は幕末の動乱を上手くソフトランディングできたかもしれない。
法権は当時の日本法が身分刑法であることを考えたら当然のことだし、
税権は日本側に比較的有利な従価税固定税率を採用したから論じる必要がなかった
幕府が最も神経質になった商圏については厳しく制限されている
不平等条約と認識されるようになったのは攘夷の混乱で不利な改正がされた明治以降だな
とくに政権交代期の明治1〜2年頃の条約がひどかった
>今年、日本は1868年の明治維新が
>始まって150周年になる年だ。
>今の安倍総理は明治維新勢力の子孫だ。
>明治維新勢力は植民支配と太平洋戦争を
>起こし、私たち民族はその勢力の
>最大の被害者だ。
キム・ヨンデ(弁護士)
ソース:金泉新聞
まず日本は植民地支配なんかしてないし
明治維新の勢力は太平洋戦争を起こしてない。太平洋戦争は東北系が起こした戦争だろ。
おまけにその時代生まれてない安倍批判www
明治維新批判はパヨクと朝鮮人がやってるんだよ。
松平春嶽 横井小楠 橋本左内 由利公正
越前藩が無ければ明治維新は無かった。
終わったことだから何とでも言えるが
結局は実行したやつらが全て
会津庄内は改革を邪魔した負け組
ネトウヨさんは頭が弱いから、人間は努力次第で何でもなれると勘違いして止まないんだよな
イギリスは会津庄内榎本らがプロイセンに
接近しているのを察知したが故に早く内戦を
集結させるように西郷らに圧力をかけたのかな?
ところで官軍側についた尾張藩の地でトヨタが生まれた訳だが、旗本と親藩の地であった群馬はいかに自民党の中心になっていったのだろうか?
今の首相である安倍は山口だが、自民党の幹部の多数は実はひと昔前群馬→今和歌山なんだよな
首相輩出県は戦前も含めてなら山口だが、
戦後だけなら群馬が最多だ
薩長がヒーロー気取りで気にくわないから、いろんな意見が出てくるのは仕方ない 別にいいよ徳川でも