慶應理工(藤原工業)に次いで二番目の私立理工系大学である千葉工大はなぜ後発の4工大以下となったのか?
華々しい千葉工大出身者
政治家
木村哲也 - 衆議院議員、元千葉県議会議員
三浦信祐 - 参議院議員、元防衛大学校准教授
片庭正雄 - 元茨城県つくばみらい市長、元衆議院議員秘書
畠山稔 - 埼玉県上尾市長、元埼玉県議会議員
軍人 編集
秋元一峰 - 元海上幕僚監部分析室長、元海将補、秋元海洋研究所代表
企業家
郡司明郎 - コンピューターエンジニア。アスキー創業者の一人で、アスキー元会長
賀来龍三郎 - キヤノン名誉会長。元経済同友会副代表(工学部中退)
駒口克己 - 元東洋ゴム工業会長、元京セラドキュメントソリューションズ社長
貞末良雄 - メーカーズシャツ鎌倉創業者・会長
武内智 - オーガニックパートナーズ創業者、元ワタミファーム代表取締役
戸倉貴史 -コンピューターエンジニア。テクニカル・ユニオン創業者
松本好雄 - きしろ社長、日本馬主協会連合会会長(冠名「メイショウ」の馬主)[2]
湯浅浩 - 元日野自動車社長
山村明義 - 日本の鉄道技術者。東京地下鉄株式会社(東京メトロ)社長
研究・教育
上村雅之 - 技術者、立命館大学教授。任天堂ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン等の開発主任
王福平 - 哈爾濱工業大学副学長、南京航空航天大学元学長
大野篤美 - 千葉工業大学名誉教授、トロント大学客員教授
五味努 - 上智大学名誉教授。上智大学理工学部の創設に貢献
佐藤健吉 - 元千葉大学工学部・大学院工学研究院准教授。
立本英機 - 千葉大学名誉教授
豊田耕作 - 千葉工業大学第11代理事長
中山大樹 - 山梨大学名誉教授
中山昇 - 信州大学准教授
乗富一雄 - 九州大学元教授、秋田大学名誉教授、日本地震学会元会長
本間禎一 - 東京大学元教授
吉田祐夫 - 東京都市大学名誉教授
渡邉久藤 - 千葉工業大学名誉学長、哈爾濱工業大学・北京理工大学・吉林大学名誉教授
岡田晴恵 - 白鷗大学教育学部教授[3]。
建築家・デザイナー等
野生司義光 - 建築家
吉田裕一 - 建築家
むっく - 漫画家、イラストレーター
戸田誠二 - 漫画家
若狭たけし - 漫画家(デザイン科学科卒業)
作家・文学
青橋由高 - 官能小説家、同人作家。
赤根和樹 - アニメーション監督、脚本家
岡崎裕信 - 小説家、ライトノベル作家。
平木国夫 - ノンフィクション作家
先川原正浩 - サイエンスライター、編集家、ロボット工学者
下山真吾 - CGアニメ監督、プロデューサー
芸能
伊勢正三 - ミュージシャン。元かぐや姫(工学部工業化学科 中退)
加藤ひさし - ミュージシャン。ザ・コレクターズボーカル
舘ひろし - 俳優(工学部建築学科 中退)
栩野幸知 - 俳優(土木工学科)、映画「この世界の片隅に」では声優を務めると共に、広島弁を指導。
舘ひろしは名古屋千種高校卒
伊勢正三は大分舞鶴高等学校卒
どちらも名門で現在の偏差値は68
出身高校のレベルからかつては今のマーチ理系くらいの格があったと思われる
千葉工大は東大教授まで出している
本間 禎一(ほんま ていいち、1936年(昭和11年) - )は、日本の研究者、工学者、東京大学工学博士。金属表面科学の権威者[1]。
経歴
1958年 - 千葉工業大学卒業[1]
1966年 - 東京大学より論文博士にて工学博士の学位を取得[2]。
1986年 - 東京大学助教授[3]
1987年 - 東京大学生産技術研究所 教授[3]
一説によると準国立大学として設立された経緯からか一般の私大理系より受験科目数がかつては多く偏差値が流行し出すと比較が他大学と困難になり偏差値序列から除外されたため敬遠されるようになったという
とはいえ倍率はかなり高い
千葉方面には偏差値低めの理工系が少ないから滑り止めにされているという説が
>>7
1950年
旧鐵道第2聯隊跡地(現・津田沼校舎)を取得し、大学機能を移転。
興亜工業大学は1946年には、国策色の強い旧名称を廃止し、現在の大学名となっている「千葉工業大学」に改称した。
1950年には現在の場所、名称になってるから関係ない >>9
慶應理工とほぼ同じ歴史の長さ
ファミコン開発者も千葉工大卒 よくテレビに出てくるコロナ解説のおばちゃん教授もここの出身じゃなかった?
>>11
そうだよ
上村雅之 - 技術者、立命館大学教授。任天堂ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン等の開発主任
1967年に千葉工業大学電子工学部電子工学科を卒業し、早川電機(現・シャープ)に入社[1]。電子回路の技術者を志しての入社だったが、「これからはコンピュータや半導体の時代だ」といわれ、コンピュータや半導体の技術者としてキャリアを積み始める[1]。
太陽電池の開発を手がけていた際に、当時の取引先の一つに『光線銃シリーズ』を手掛けていた任天堂があり[2]、1971年に任天堂に引き抜かれる形で入社(当時、シャープから海外転勤[3]や奈良県天理市への転勤[4]の話があり、任天堂では転勤がない事も決め手の一因となったと語っている)[1]。
『光線銃シリーズ』の延長線上で生まれた「任天堂レジャーシステム」のゲーム機開発、据え置き型ゲーム機『カラーテレビゲーム15』などの開発に携わり、1979年に新設された製造本部開発第二部部長となる。
1981年にファミコンの開発責任者となり、開発に着手。開発コスト削減や発売後の初期不良など多くの問題を解決し、ファミコンを大ヒットさせることに成功する。
その後、ファミリーコンピュータ ディスクシステムやスーパーファミコンなどの開発に携わった。サテラビューでは開発の他にも、衛星放送事業部部長も務めた。 >>10
いや偏差値高かった時期の長さよ
偏差値という概念ができた頃にはもう扱いが悪かった でも今はまた見直されてきてるよね
千葉方面は千葉工業、神奈川方面は東海が工学部では力がある
>>13
だから
一説によると準国立大学として設立された経緯からか一般の私大理系より受験科目数がかつては多く偏差値が流行し出すと比較が他大学と困難になり偏差値序列から除外されたため敬遠されるようになったという
偏差値至上主義の犠牲という説がある
今でこそ国立の偏差値は私立より低いのは誰でも知っているが偏差値が公表され始めた頃に千葉工大だけ科目数が多くて偏差値が低く出てレベルが低いと思われた説 >>16
学費はどうなん?
私立大の学費で津田沼とはいえ、千葉ではそんなもんに落ち着くでしょ
東海とか日大生産工とか 偏差値やランキングの概念が出始めた50年前の段階から千葉工大はずっと底辺だろ。旧武蔵工大のように良かった時代があるわけではない。戦前は知らんけど。
>>18
1944〜1950年代までどうだったか知らないけど
戦中戦後しばらくとか難易度云々の時代ではないし、凋落したというより難関大になれなかったと言った方が正しいな
理由はやはり千葉だからかな 上智理工創設のキーマンの一人が千葉工大卒
五味努 - 上智大学名誉教授。上智大学理工学部の創設に貢献
1951年 - 千葉工業大学機械工学科卒業
1951年 - 千葉工業大学助手
東京大学生産技術研究所研究生
1953年 - 千葉工業大学機械工学科講師
東京大学生産技術研究所研究員
1961年 - 上智大学理工学部機械工学科助教授
1970年 - 上智大学理工学部教授
1978年 - 自動車技術会編集担当理事
1994年 - 自動車技術会名誉会員
1997年 - 上智大学名誉教授
乗富一雄
福岡縣中學傳習館(現・福岡県立伝習館高等学校)を経て、興亜工業大学(現・千葉工業大学)に進学
元日本地震学会・物理探査学会会長、九州大学・秋田大学・東北大学・東京大学地震研究所・工業技術院地質調査所(現・産業技術総合研究所)教授等を歴任。
初期は確かに慶應理工や東工大に近い格があったんだろう
>>21
格というのがわからん
歴史なら大正大学とかも凄いが 設立時の理念は立派だったが、中身が追いつかずすぐに失速。今は理系単科大でありながら志願者・偏差値操作に熱心な地方の三流大学、という印象。
>>23
需要はあるし、津田沼という立地は悪くないから伸びてきてはいるよ >>12
この人がいなかったらファミコンも無かった訳だし
そうしたらコンピュータゲーム文化が今のように盛り上がってなかったんだろうな >>22
優秀な人が行っても良いと思える理由かな
SFCにも少し似ている 慶應という格があっただろ
中身は空っぽかもしれないが
>>28
今は歴史的な格の話をしているのでは?
それなら千葉工業が立教や青学より下なのも大学名からだろ 昔津田沼の駅から見えたボロボロの校舎知ってるから
その程度の大学だと思ってたよ
今はずいぶんと綺麗になったらしいな
いや国立が私立より格上とか創立者が有名人だと格上とかいろいろあるだろう
千葉工大は準国立 創立者が玉川大創立者で政府要人のサポートがあり当時の国策に沿っているという点で格が高かった
>>17
学費は私立理系として平均的で年160万程度だね
玉川系だったからと言って高いわけではない(玉川は高い) 国公立には格があるが、私立にはない
千葉工業は半官営だったけど戦後は私立大になったから人気投票で負けたんでしょ
私立だって慶應と帝京平成のどちらが格上か聞かれたら100人中100人が慶應っていうんじゃないか
千葉工大なんて昔からFランじゃん
ていうかそれどこ?みたいな無名大学
>>35
Fランでこれだけの卒業生出してる大学言ってみ 無知はいけない
キヤノンの賀来龍三郎会長はのちに九大に入ったが第五高等学校を経て千葉工業大学工学部に入学
アスキー社長 インプレス創業者の郡司明郎も千葉工大卒
駒口 克己(こまぐち かつみ、1951年3月5日 - )は、日本の実業家。京セラドキュメントソリューションズ代表取締役社長や、東洋ゴム工業取締役会長を務めた。1974年千葉工業大学工学部卒業。
湯浅 浩(ゆあさ ひろし、1937年10月20日 - 2009年2月18日)は、熊本県出身の実業家。1997年から日野自動車代表取締役社長を務めた
1960年3月 千葉工業大学卒業
立本 英機(たつもと ひでき、1942年 - 2016年5月2日)は、日本の研究者。専門は衛生工学、環境学。千葉大学名誉教授
1966年千葉工業大学工学部工業化学科(現・生命環境科学科)卒業 >>36
そんな数人しかいない大昔のレアケースあげるのは低学歴の特徴で恥ずかしいぞ
その他大勢のアホには無意味な話だし
偏差値Fランだったのが今はガチFになったという事実だけ かく【格】 の解説
1 地位。身分。また、等級。
私立大学同士で等級があってなんの不思議もない
実際偏差値だってそう使われている
>>41
さすがに過去に優秀な出身者が多かったことまで否定するのは病的だな
今優秀と言ってるどころかその逆なのに 受験せずとも全入時代の昨今の質なんてヤバいほど落ちぶれてるのに
遠い過去のデータ出してくる低脳って何もわかってないアホなんだろな
僕の今いる世界線だと
千葉工大と東京理科大と芝浦工大が日本3大工業大と呼ばれている
>>20
上智大理工学部は千葉工業大が創設したの?
初めて知ったわ ただでさえ人気の無い私立大理系のそれも単科大の中でも
理科大→4工大→千葉工大
とかいう滑り止めの滑り止め
終わってる
そもそも名前がFランぽいんだよなあ
千葉経済、千葉商科、埼玉工業みたいな流れで
こんなお買い損大学ないだろ
興亜工業大学のままだったらカッコよくて高いレベルがキープできたのに
確かに。今じゃ千工大、恥垢大、チンカス大だもんな。
千葉もともかく東京工業大学?工業か 勉強出来なかったんだね っていうコピペが出回るくらい「工業」のイメージが悪い
Fランではないが限りなくFランに近い
県内の理工系志望者の中では日大の滑り止めで完全にゴミ扱い
本部が千葉県にあるからでしょ
東京都にあれば四工大に加わっていたでしょう
いちお文系学部の社会なんちゃら学部があるんだから「千葉学園大学」とか「東東京大学」とかに改名して総合大学ぽくする
志願者は近大と同じく併願無料による割引が大きく実志願者数を見ると対したことはない
千葉県内の評価は…日大の理工学部に落ちた奴が行く大学という扱い
ライバルは同じく日大の生産工学部でぶっちゃけ一長一短だが、津田沼駅近くという神立地や日大理工に対するコンプレックスが少ないぶん千葉工大のほうがマシだと思う
実家通いなら家から近い方に行けばいい
戦後都心が戦災で荒廃し都心で働くエリートサラリーマンの多くは多摩地区のニュータウンや戸建てに引っ越し千葉方面の開発が遅れたのも影響してるだろうな
東京外大 早稲田所沢 中央 法政町田 法政小金井 明治生田 青学相模原などマーチ以上は多摩から通いやすいところに多い
千葉大は何度も千葉工大を合併しようとするけど千葉工大側の強い抵抗があってついに実現しなかった
千葉大なんてしょぼい大学に合併されるのは名門千葉工大のプライドが許さなかったんだろうな
一時は千葉大学や芝浦学園、早稲田大学、中央大学、法政大学等との合併も検討されたが[13]、1950年(昭和25年)に同県津田沼町(現・習志野市)の津田沼校地へ移転し現在に至る。
だな
1948年 12月
千葉大学(当時設立準備中)への統合案が出るが教員・学生が反対し回避される。
はっきりした時期は分からないが検索すると1980年代頃まで英語、数学、理科、社会の4科目入試だったようだ
社会ってなんだよ
これで私立理系志望者から敬遠され、偏差値表も別枠か低めに出て人気を下げたことは容易に想像できる