そ。所詮芸大指揮科に入れなかった負け組のたまり場でしかない。
東京音大もいくら売り出し中だからといって、一学年6人もとっていたら、4年間で24人。日本にそんなに指揮者需要ないっつーのw
アマオケは十分にあるので心配ない。
それでも余った連中は湯浅や杉山クラスに行く。
前者はWienの音大でやったらだったら一応大丈夫だが、
後者はほんとのアマの集まりをヤクザが指導している。
毎年1人か2人しかとらないからね。
あまり知られてないだけじゃない?
それでどうするのだろうか?
アマは凄く需要があるのに。
>>13
別に芸大指揮科はアマ振るためにあるわけじゃないしw。
アマなんて東京音大上がりに振らせとけばいいんちゃうかな。
その定員の2人も大野君や上岡君以降はプロオケ振れないだろうが?
もうあそこの指揮科止めろよ。
桐朋は「指揮伴」とか言うのもう廃止しろよ。
指揮者がピアノ弾けなくてどうする?
棒だけだったらどこでもできるじゃないか?
幼稚園みたいだ!
2年前の東京国際は東京音大が一位なしの二位
つかG大指揮科内部でドロドロしすぎ
芸大指揮科にコンプレックスを持ってるヤシが渦巻いているスレだなw哀れwうぇうぇw
コバケンじゃ水準以下だな。
芸大は小澤にさせろよ。
コバケン退任後の指揮科教授は沼尻竜典に内定してるよ。
指揮科教授はその指揮者の将来が見えてくるとなりたがるものなのだ。
>>22
/⌒ヽ、 _,,.-‐=ァ
./″ `;ヽ:. . _ _, ,::''":〆" ,′
.i'" ,ソ;''"´ ̄ ´:: :: .:.:: :'y',,ソ/
:i; _,シ' : :: .:: ::': ::'i
l ゙y ' ::. :: : ::..: :i
:i .: :: :: :. :!
__.. :;;=.;、::.:i ふふっ… なんか必死ねw
: 弋a心. ,イgツヾ;:i
・  ̄ `ノ ヽ ,ノ__..
_、 ,〆、⌒丶`
_.. - -─ゝ‐_ ヽ ノ ,ノ" ヽ、
/´ .ンァ;、=. ,;ィ'^''"´
/ , ' "/
芸大は入学試験がやたらと厳しすぎる。
私立はその反動でどんな馬鹿でも入ってくる指揮科。
〔指揮科入試難易度ランキング〕
AAA 東京芸術大学
AA
−〔天才と凡才の壁〕−
A 京都市立芸術大学
−〔全入の壁〕−
BBB 東京音楽大学
BB
B 桐朋学園大学
>>26
指揮科あったの?存在すら知らなかった…現場でくらしきとか昭和の指揮科出身なんて聞いたことないからなぁ。
ま、ふたつとも「圏外」ってことで。 桐朋の指揮教室?はレベル低いだろうけど、大学の指揮は
数年に一人じゃない?
>>29
数年に一人しか入れないならレベル高いと思うけど、ばか高い学費とそれに見合わない教育の質(特に教授陣)が原因で、数年に一人しか受験しないのです。
去年も今年も、受験者は0。もう「桐朋の指揮科」は昔の栄光なのです。 桐朋はみんな他の専攻から転科さして補充しているだろ?
今のあそこの教授陣じゃ東京音大に水をあけられるのは目に見えている。
更に大学院が偏狭の富山!!!!!
これじゃ誰も入らない!
日本は東京23区内のそれも山手線の内側じゃないとレヴェルは高くならない。
都心の中央に住むと情報も刺激も全然違うよ。
桐朋の指揮科は一人でしょ?
科目履修生はわんさかいるけど。
芸大は今年1人合格。来年から作曲と合わせた募集になるらしい。
作曲自体は食えないから指揮はフランクフルトみたいに必修にするといいですね。
ピアノやスコア・リーディング・理論は共通。
後は棒のテクニックだけだからすんなり指揮科に入っていける。
今年から芸大指揮科にコバケンがいない!!!やめたらしい!!
芸大といえどもWien国立音大のように毎日は学生オケ振れないのだろう。
年に一回程度じゃ全くくだらない指揮科だ。
Wien国立音大はそういう意味じゃ理想的だ!
毎年その学生オケだけに千数百万円使っているとか?
日本人で指揮者はいないってことか・・・お先真っ暗だね
毎日オケ触れなかったら指揮は勉強できないであろうが!
指揮者の弟子はみんな毎日オケを振っていりとでも思っているのだろうか?
Wienはほぼ毎日午前はピアノによる授業で、
午後は大体学生オケを振らしてレッスンしているよ。
すべて集団授業だが、振らないのと振ったのとでは全然違う。
後はドイツも含む日本の他の音楽大学では不可能。
そんな予算どこにも無い。
しかし最近ではドイツあたりではコンクール用や卒業演奏会には安いプロオケ借り出して、
コンサートしてDVD作っているようだが。
とにかくプロオケ振らない限り指揮コンクールには絶対参加できない。
結局カラヤンもそうだったし、金持ちの一人勝ち。
指揮科なのにピアノ弾けないオレサマがやってきましたが何か?
オケを金で買えば宇野みたいにデビューできるさ!
金を貯めろ!
52:オルガンかチェンバロ弾けるだけでも良いですが、何か?
>51
こういう考えの人が未だ居たとは・・(0.0)
てか指揮科の中でもプロで生き残れるのは僅かだろ…
なんかカタルシスだよなぁ
所でオザワや広上や井上や高関や下野やらが指揮科に在籍してたときの学生生活はどんなだったんだろな
Wienは一学年数十人がいるんじゃ?
でもオケは一つだから、一人が常任になったら後は全部失業する。
みんな客演指揮に期待しているが、
それはほとんど無い。
というのは客演指揮者は
のおけオケの常任を彼のオケにお互いに招待し合っているのだから、
外様指揮者の入る余地は全然無い。
コンクールといえども一人しか入らないし、
後は全部失業。
この場合楽器ができないと全くの死活問題!
副指揮は普通のオケは要らない。
欲しいのはオペラの方、
何やるかっていうと、
歌手が落ちた場合のピアノの伴奏で特訓すること。
合唱指揮者は欧米では自分で本番も振るので要らないよ。
舞台の大道具の裏とかで合唱のために指揮したりするよ。
それは合唱指揮者。でも合わないときだけだな。
バンダの指揮があるけどウイーン以外は今はテープでやっているね。
自分でバンダ指揮もやるのでテンポや息が良く合う。音質も同じ。
またはそれもオケピットに入れるか、通常のオケにやらせて振る方法もある。
そのほうが他人にやらせるよりも合う。
またすべて予算削減のためにやる。
見えないので大丈夫!
録音は最高の音質なのでまず気づかないね。
正確なスイッチ入れぼ音響担当が一人いればそれで十分。
本当のアシスタントは合唱指揮者やコレペティなどが暇なときに横で聴いてて注意してくれる。
コンビチニーのように指揮も学んだ演出家もよくいるので大丈夫。
指揮をするのが指揮者
作曲をするのが作曲家
両方兼ねている場合もある。
まともな現代音楽の作曲じゃ食えないからみなまず指揮者かピアニストだな。
譜面を読むということにかけては作曲科は指揮者に断然有利。
しかし、指揮者は演奏家で作曲科は演奏家ではない。作曲家は楽譜は理解できても演奏(指揮)はできない。ゆえに作曲出身の指揮者にろくなやつがいない。
歌出身はしっかり訓練して成功したら、ある意味一番強い!特にオペラや協奏曲のあわせ物では、他の誰もかなわなくなる。
だから作曲科はピアノ科のようにピアノなどの楽器の演奏が厳しいんだよ。
どっち道作曲じゃ食っていけないのでピアノでもやるしかないんだよ。
指揮が下手な作曲家はボウの振り方習っていなかったのであろう。
そういう人はピアノでも弾かせておけばそれで良い。
いずれにせよ作曲家のやつは、人の曲演奏するときも作曲家的観点で見てしまう。要するに、人の曲を自分だったらこうするというふうにあたかも自分が作ったかのようにしてしまう。
事実、作曲出身の指揮者は楽譜を変えたり記号無視したりすることが極めて多い。ゆえに作曲家の意図や気持ちを考えられない。自分の曲をそう演奏されたら、そういうやつらはどんな心境になるんだろう…?
指揮者や楽器・歌の演奏家は、本来作曲家の意図を読み込んで解釈する。ゆえに作曲家と演奏家は全く逆の視点で楽曲をとらえている。したがって指揮者と作曲家は全く正反対の人種。
だからちょっとやそっと演奏技術ついたところで、作曲出身のやつが指揮者はもちろん、演奏家で大成するのはかなり難しい話。演奏技術よりもまずはその視点を切り替えないと限界が来る。
個性のない専業の指揮者よりも良いだろう。
楽譜を変えたり記号無視したりはやっていいのだ。バカの一つ覚えとは違う。
作曲家の指揮は人の作品を基にして自分の解釈・作品を作る。
バーンスタインやブーレーズ・フルヴェンは?????
楽譜を勝手に変えることをよしとするのは、アメリカと日本ぐらいじゃないか。ヨーロッパではそれは論外!なぜならそれは超不自然で自分勝手なわがままだから。
例えばモーツァルトの曲はあくまでモーツァルトの曲で、それ以上でもそれ以下でもない。当然その指揮者のものではない。いくら作曲出身のやつが独自の何かをやったところで、結局は本物にかなうわけがない。それは自然の摂理だから。この世で自然ほど強いものはない。
未だに日本で自分勝手に音楽を自分の勝手でやってるやつが多い。悲しい現実だ。日本が世界に通用しない理由の筆頭だ。もっと謙虚にならねば未来はない!そして、作曲科のやつらは、演奏とは何か、演奏家とは何かをもっと知らねば!
関係ない。それは勝手に変えられる能力があるから。
バーンスタインはマーラーの交響曲をそればっかりでやっているね。
もっとマーラーに近くなった、どこが悪いの?
フルヴェンだってベートーヴェンは倍管以上だ!
そういう効果を彼らは自己の作曲を通してわかっているのだ!
オーケストレーションの経験の全く無い専業指揮者とは能力が全然違うよ。
そっちのほうは作品の本来の持っている凄みが出るからだ。
馬鹿まじめに期待的にスコアどおりにやるノンリントンとかガーディナーのなんと矮小なことか?
そういう能力がない人はロボットみたいにただ単にスコアどおりにやるしかないのだ!
作曲科って演奏レッスンはとても厳しいよ。
入ったことないの?
>>78>>81
こういう救いようのないアナクロ馬鹿にはゲンナリするな。
作曲家/演奏家のような超短絡的で適当な二項対立に落とし込んで
何かを語った気になれてる奴は実におめでたいね。
作者の意図の再現が演奏家として大成する絶対条件だと言ってる時点ですでにトンデモな話だが、
本質的に質を異にする時代に生きた作曲者の頭の中を同定できると思い込む自意識過剰には呆れるばかり。
百歩譲って完全な原型の再生産を演奏の最大の目的とするなら
それは端的にいって実存論的精神分析を自身に試みる必要があるだろう。
つまりベートーヴェンを完全に再現するのならば近代人としてのオプセッションを抜け出さなければならないということだ。
テクストレベルで考えてるお前には一生かかっても不可能な話だな。
お前がもし作曲家の意図を正確に解釈できてると思っているなら
それは文化的な暴力的結合による錯覚に無自覚なだけ。
謙虚さが必要のなのは誰よりもまず君だよ(笑)。おヴァカな四流指揮者さん。
指揮科と作曲家の両方にいたけど指揮科はただスコアを覚えて振るだけ。
後はピアノ弾き。
管弦楽法は全くなかった。
作曲科はそのための特別なレッスンがある。
既成のピアノ曲を貰ってオケ・スコアに直して先生に診てもらう。
そして実際に自分でオケを振って音を出してみる!
大変だったけど毎週パート譜まで書いてやったなあ、
ありがとう竹内さん!
悲しい現実!せいぜい自己満足で好き勝手にやってくれ。
スポーツで、個性だとか自由に変えれる能力だとか言って、ルール違反してもいいのか?それと同じだろ。頭悪すぎというか何というか…。
まあ作曲家=演奏家なんていう日本だけの偏った定義は世界じゃ通用しないよ!その現実だけははっきり認識した方が身のため。お前らがもしヨーロッパ行けば、ごみにもならねえ、相手にされねえぞ!そういう実力ないやつら、わかってない頭悪いやつらが皆そういう発想になる。
現実問題、作曲科系で優れた演奏するやついいないぞ!日本のようなまず形から入る理屈だけの中身のないところではそれで満足なのかもしれないが。もっと素直に外に耳を傾けてみたまえ。
指揮科とか作曲科とかなんだかんだ言うが、実際問題本当の偉大な指揮者は指揮科出てるとは限らない。むしろ出てない、楽器や歌から来る人ではないか…。
指揮科の教育やあり方には問題はあるよなあ。でも作曲家で演奏家育成の教育がなされてないのも事実。それらはそれぞれ全く別の問題。しかし作曲科→指揮者とは驚いたなあ…。
作曲家の楽譜の読み方と指揮者の読み方は違うぞ!求められるものが全然違う。楽譜を理解するのと演奏するのはまた違う話。いくら楽譜読めてもそれを音として表現できなければ意味内だろう。その辺は指揮者の専門分野ではないか。
どうでもいいけど、作曲家諸君は演奏というものを甘く見すぎだ!要するに作曲でやっていけない、演奏でもやっていけないそういうやつらがよってたかってグチこぼしてるだけだなあ、ここわ。
作曲科に指揮ができるわけないだろう。本当にできいてるつもりなのか?そこまで言うなら本場で勝負してみろ!そうしたらすべてが分る。それか現実を受け入れる&認めるのが怖いのか?
自分の曲を振る、自作自演ならそれは素晴らしい!できればすごいと思う。しかしもし他の演奏家が君らの曲を自分の解釈や個性だとかで好き勝手に変えられたらどうする?答えよ!
作曲家の楽譜の読み方と指揮者の読み方は違うのはあったりまえだろうが!
指揮者は覚えればいいのだ。
原典研究でもしてみるか?
ブルックナー協会に入ったほうが早いぞ!
他人が自分の曲を自分の前で変えたら許さない。
自分には支持者に命令する権利がある。
でも指揮者が勝手に内緒でやったらかまわないとも!
ええとオレは指揮で食ってるんだけれど?
すまんお前たちの考えているのは底辺校の話か?
それだったら多いにありうる。
そこまでは考えていなかった。
お詫びする!
矛盾してるよなあ、明らかに。自分がされて許せないこと自分はする。これはもう音楽の問題ではなく人間的問題だなあ。内緒ならかまわない?それは人間社会の汚いところ、ようするに開き直りか。
そんな考えで指揮で食ってるとなると、未来は色んな意味で不安だなあ…。ちなみに、指揮者は覚えるだけでは全然だめだ!最低限度歌えないと。
他のやつらはどうだか知らねえが、俺は一般論的に言ってるんだが…。
とにもかくにも作曲と指揮は全く正反対というのが現実だ。本物の一流音楽家は皆そういう考えだ。実際に聞いたことあるぞ!
わしは日本の指揮科や作曲家のことはよくしらんのだが、少なくともヨーロッパ特にドイツ語圏では指揮科と作曲家とは別世界だぞよ!日本のように作曲科指揮専攻みたいなのはないぞ。この違いは一体なんなんだろう…?
それに作曲科出身の指揮者はヨーロッパではまず見ないなあ。現代音楽系なら中にはいるのかもしれないが、特に劇場指揮者ではいないよなあ。
91様、
底辺校とは、例えばどこのことだ?何かこの辺には色んなところからいろんな感覚によって意見が述べられているように思うが、一体どこをお考えで?
言わなくともわかるだろ?
言ったらみんな怒るだろうが!
ルチツカは作曲も指揮もインテンダントも弁護士もやるぞ。
ハーディングとかグッテンベルクのように指揮科に行かないで指揮者になるの多いなあ。
金さえあれば音大の指揮科はそもそも要らないのではないだろうか?
指揮科も中にはいい先生がいていい教育してるところもあるが、近頃はよくない傾向にあるようだ。現に指揮科学生は質が悪いことが多いし、仮に先生がよくてもそのよさを理解できない頭悪いやつが多い。
指揮科学生は頭が相当悪いことは確かだ。
曲を覚えるところまではいっているのだがその後が何もない。
作曲家は頭が良すぎて覚えるのは苦手だがその後にいろいろアイディアが涌いてくる。
なんだか作曲科と指揮科とどちらがすぐれているかの争いになってるみたいだ。
指揮科で本当にできているやつや頭のいいやつは、その中では浮くだろうしほどほどの時期にほどほどの仕事つかんで出ているだろう。
作曲家が頭いいというのは理論的知識的な意味であって、決して演奏家としての頭ではない。アイデアが浮かぶのはもちろん自分の創作には素晴らしく生きてくるに決まってるが、しかしそれは演奏家としての想創造とはまた別物。
ゆえに、指揮者目指すやつは、演奏する上での創造力を養わねばならない。しかし指揮科というところは、理屈こねるだけで実践が伴わない。そのため、指揮科ではないところ、すなわち楽器や歌から来た人の方がいい指揮をすることが普通。
作曲科と指揮科、どちがすぐれているとかどうでもいいだろう!それぞれ全く別世界なのに比べてもしょうがない。
作曲科の皆さん、高望み&強がりはよしなさい。あなた達はあくまで作曲家であって、演奏家になるための教育を受けてきたわけではないだろ。曲を作ることはそれはそれで専門分野。同様に演奏することはそれはそれで専門分野。
自作自演はともかく、人に自分の曲を演奏してもらう立場ならば謙虚でいなければ!残念ながら専門的に相当訓練した人じゃない限り、作曲家の演奏(自作自演省く)は演奏としては評価されてないんだ。それが世の中の現実。
そろそろ自分達が演奏では太刀打ちできてないという現実を認めて、音楽家として人として見つめなおせばどうだ!
だから作曲家は演奏レッスンも厳しいといっただろ?
読んででないのかな?
厳しくないのは下級音大だけ。
そもそも作曲科にいたことあるの?
良い音大になると指揮のレッスンも必修!
卒業試験で実際のオケを公開で振りますよ。
こういうのないのはただの下等音大に過ぎないよ。
ただの金儲けだから行くの止めたほうがいいな。
それが思い込みの1人よがり!
その程度で演奏家になった気でいるから大変…。ふざけるのもいい加減にしろ!
謙虚な作曲家はかつてこう言った。
彼はある時オペラの合唱を歌っていて…、「自分は作曲家で演奏家ではない、でも歌の曲も書きたい。だから自分も歌う」
自分の師匠にそう言ったら、師匠は勝手にせいと言ったそうな。
この作曲家は正論、先生は悪い意味での作曲科人種。
ちなみに自分は作曲科でも指揮科でもない。1つ客観的に言えるのは、作曲科での指揮というのは指揮になっていない。
こう思っているのは謙虚な人種の多く。作曲科の指揮や演奏評価するのはごく身内だけだ。ていうか、お前はヨーロッパで通用したことあるのか?それでうぬぼれえたら間違えなく無理、あるいは勘違いだ。
作曲科の方が確実に頭悪いだろう…。理屈は分ってるかもしれんが、音楽家として人として一番なってない。被害届け多数…。
指揮科で頭悪いやつは、皆対外作曲科みたいなやつだ。頭いいやつはもっと他の楽器や歌のやつらと通ずるものを持っている。
作曲科とか指揮科とか、学科の問題ではなくて要は個人だろう。
ここで作曲科をよく言ってるやつらは、作曲科の中身を評価する内容ばかり行って、一番大事な音楽の本質的部分や、指揮&演奏のやり方については語ってない。
それどころか、自分が一番で人の書いた楽譜の指示など関係ないと言い放ってるやつが前に数人いた。そんなのでいいのか?
作曲家は演奏家ではない、なるほど!それは紛れもない現実だ。
少なくともここにいる作曲関係者は到底指揮者としては無理だなあ。世の中そんなに甘くないぞ!
某作曲科では演奏や指揮をしっかり教育してるとあるが、仮にそれが事実でも自分の作曲家としての独創性をおさえて楽譜に、音楽に正直になれないと意味がない。
私は元々指揮科ではなかったが、色々あって後に指揮科にいって、指揮者になったが。
個人的には今日の指揮科のあり方や教育法には反対だが、作曲科のそれは指揮と比べようがないぐらい全く別物だなあ。
実際問題、作曲、楽理などの結局演奏の専門家でないものの指揮は、やはり楽譜の読み方にせよ、さらにはオケや歌手との作業でも、演奏者の気持ちや都合が分らない。
またそうやって共同作業すること、すなわち人付き合いも重要だ。それは誰が何と言おうと演奏家の領域だ。
ゆえに、残念ながら演奏家外指揮者は仲間から評判が悪い。その辺をもっと謙虚に見つめなおして欲しい!
作曲家で何をしてきたかが問題ではない。本人が作曲家としてどうか、指揮者としてどうかという問題だ。
そして作曲家と演奏家、それぞれどういうものか、またはどういう関係化を認識するべき。
いや頭悪いからこそ指揮科に行くのだ!
それ以外にどんな理由がある?
じゃなんで作曲科はさらに頭が悪いのだ?
指揮科にも、彼にその良くない空間に気付いて自分なりの方法で進んで言ってるやつはいるよ。
頭がいいだの悪いだのって…。
いくら勉強できて頭良くても、人として生きていく上で人間的に頭よくないと意味ないよ。その点では、ここに書き込んでる範囲では作曲科のほうがはるかに低レベルだということが一目瞭然!
話が抽象的すぎて全然つかめん。
誰か具体例を出して語ってくれ。
せめて「自分の知り合いの作曲科のやつは」とかなら
一つの意見として心に置いておく価値のあるものなのだけどね。
>>89
自分は大歓迎だな。
人によって曲が変化しそれがよりよくなりうるのなら
これほどおもしろいことはない。
>>95
昭和とかじゃねーの。 作曲の底辺だったらなあ、指揮が下手糞とかやりたくないやつはそりゃいるわが。
でも海外では日本と違って作曲と指揮の両方やってるのも多い。
音大なんかでは両方専攻しても授業料が倍じゃなくて同じか無料なので最初作曲やってから指揮科に行くのが多い。
または同時に!
セーゲルスタムやサロネンなんか両方やってるだろ?
あれでいいんだよあれで!
112
お前みたいなやつは一番致命的だ。機械じゃないんだから、人間らしく生きろよ!
そういうのをわからずやと言う。
113
大歓迎とあるが、
それは作曲科本人がそう言うのであれば当然悪くないこと。でも皆がそうとは限らないのでは。まあその辺言い出すと切りないが。
しかし楽譜を自由に変えるというのは、戦後の巨匠達がやったやり方。戦後に強烈な刺激を求めたヨーロッパでそういったやり方が受けた、そういう時代だった。
しかし今は彼ら巨匠はいないし、亡き後は伝統を重んじるヨーロッパは本来のスタイル(楽譜を勝手に変えずに)に戻ったわけである。これは今ではなく元々がそうなのだ。
例えば、カラヤン、べーム、などといった巨匠達は、日本では未だに神様的に言われてるが、ヨーロッパでは既に時の人。
ヨーロッパの学生の多くは「彼らは指揮者としては素晴らしいが、音楽はなあ…」と。ようするにオリジナルが強すぎて、楽曲本来の姿ではなくなっているといことだ。これはヨーロッパでは受け入れられないのだ。
114
どこの話だか知らないが、少なくともドイツ語圏では作曲&指揮はないぞ。
ていうか、作曲やって指揮、一番難しいやり方だぞ!もちろん指揮者として作曲の知識を持つことは必要。しかし全く逆の視点から楽曲を見る人種だから、切り替えなければ、それは一番最悪パターンだ!
どうでもいいが、作曲と指揮、絶対やめたほうがいいぞ!両方やった人でも結局どちらかに落ち着く。それはその人の適正で方向決まるが、そうい人たちは作曲家と指揮者の違いをはっきり認識してるはず。
ここに書き込んでるやつらは、要は自分たのやってることが一番と思い込んで優越感にひたりたいだけだな。なぜなら、現実問題劣ってるわけだから。
114
ふざけるな!作曲&指揮、というのは日本的。ヨーロッパではあるわけがない!いい加減に現実と向き合え。
実際に作曲もやった指揮者は、演奏家としてのスキルがしっかりあってのこと。指揮者になるための知識として作曲学んでるんだよ、結果的には。
「医学部に入学させる」元指揮者ら4人、
詐欺容疑で逮捕2008年7月3日0時10分
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「私立大学の医学部に推薦入学させる」と持ちかけ、受験生側から現金1600万円をだまし取ったとして、
大阪地検特捜部は2日夜、元オーケストラ指揮者の武田章夫容疑者(54)=堺市堺区=ら4人を詐欺容疑で逮捕した。
いずれも容疑を認め、武田容疑者は「大学にコネはなく、入学できないことはわかっていた」と供述しているという。
特捜部は詐取金を借金返済にあてたとみて調べている。
武田容疑者は77年、大阪音楽大作曲学科を修了。
神戸常盤短大講師などを経て「武田博之」の名前で民間オーケストラ「ニューフィルハーモニー管弦楽団」の常任指揮者となり、関西を拠点に活動した。
90年には大阪市が文化振興に貢献した人物や団体に贈る「咲くやこの花賞」(音楽部門)を受賞している。
ほかに逮捕されたのは、会社役員の長尾俊行容疑者(61)=大阪府茨木市▽塗装会社社長の伊藤教博容疑者(58)=大阪市北区▽同社役員の鈴木忠一容疑者(59)=埼玉県春日部市。
調べでは、武田容疑者らは05年10〜11月、私立大医学部に長男を推薦入学させたいと希望していた両親に「教授に1千万円を預ければ合格できる」「あと600万円渡せば確実」とうそをつき、
計1600万円を詐取した疑い。
実際には、武田容疑者らと紹介先の大学とは何の関係もなく、長男は入学できなかったという。(平賀拓哉、川見能人)
やはり作曲出身かあ、こんな非人間的なことするのは。理屈じゃ世の中通用しないよ、結局は音楽家も皆人間なんだから。
近頃の指揮科はそういう作曲科みたいなやつらが多い、だから頭悪いやつが多いんだ。
114さん、ご職業は?どちら在住ですか?もっとご自分を認められてはどうでしょうか。世の中に悪影響がいきますよ。
ヨーロッパという世界をもっと客観的に見てみてください。あなたの考えは、ヨーロッパでは笑いのネタにもならないと思われます。
日本ではなぜか多くの方々が固定観念で指揮者は作曲出身となっているところがいくらかありますが、残念ながら日本だけの狭い考えです。
作曲科は鎖国状態、本当に狭い世界です。これらを読まれた作曲、指揮以外の方々。ぜひともご注意下さい。
指揮が本業の人が作曲するとそれなりに鳴る音を書くから
実際に演奏されやすい。
作曲が本業の人が指揮をするのはあくまで「便利だから」であって
指揮を本業として兼ねるっていうのは確かに現実的ではない。
>>120の指揮者は作曲出身となっているところがいくらかある
というのが全然わからないんだけど、実際そう思われてるの?
むしろ日本をよく知らないんじゃなかろうか。 日本でよく聞きましたよ!
指揮やってる音大生(特に指揮科じゃない人)は、専攻は何ですかと問われる際、ほぼ確実といっていいぐらいに、作曲専攻ですかと。
あるいは音大内の演奏会で学生が振る場合、なぜか作曲科のやつが振るものという固定観念がありました。あるいは楽理も。
>>122
それは愉快だな。
なんか「指揮者って意味あるの?」とか「バンドにベースって必要なの?」
っていうレベルに見える。
実際の作曲科や指揮科の人間がそう思っていないのなら
問題はないんじゃなかろうか。
しかしまぁ自分の知ってる作曲科出身の指揮者(とも呼びたくない)は実際酷い。
まぁ作曲自体も微妙だったらしいから
単に音楽の才能がないだけだと思いたい。 123
おっしゃるとおり、そんなレベルかもしれない。
こう言ってるやつらはに逆にその理由を聞いてみたら、別にこれといって的を得た理由が出てくるわけでもない。
なぜかそんなイメージを持っていたり、勝手に作曲も指揮も理論的と思い込んでいたり。
理論的といえば、確かに和声やったり対位法やったり必要な科目に共通点はなくはないが、でも必要性や使い方はそれぞれなわけで。
しかも指揮者は特に理論的なだけでは限りなくくだらない演奏になるし…。
作曲科出身の指揮者、自称指揮者は多いかもしれないが。実際周りからはどう思われているのやら…。
音楽の才能が本当になかったらやっぱり作曲も微妙になるだろうなあ。
作曲はそれなりにできても、指揮(演奏)すると、自分で音出して人に音楽伝えることできないやつが多い。
自分の音楽を表現する、伝えるのは作曲家も演奏かも同じ目的だが、楽譜に現すのと音で現すのはまったく手段が違うから、それぞれ違った訓練が必要!
そういやかつてこういう話があった。
某音大で、2人の指揮をやってる学生がいた。1人は近年稀にといってもいいぐらいにそこの音大史上注目された指揮者で、122が言ってるような作曲家のやつだった注目理由もまさにそれそのもの。
もう1人は当時声楽科の学生だったが、すでに学外でプロのオペラ団体の副指揮したり、ヨーロッパに研修にいったりと本格的なやつだった。でも学内では上記の理由もあって、さらに声楽科ということで差別にあっていたようだ。
当時の2人への周りからの評価はすでに上記から推測できるとおりのもの。ある意味すごかった。しかし一部のもの分ってるやつらの中では確実に声楽科の方が評価が高かった。
その後2人は卒業して、それぞれの道へ。まず作曲の彼はその流れでちやほやされてプロのオペラ団体の副指揮などやりだしたが、結局実力がなく通用しなかった。
ここまでくると彼は作曲科だから指揮者という固定観念の被害者だなあ。彼は学生時代にちやほやされてその気になったのだろう。
でもう1人はというと、その後ヨーロッパにいったらしい。詳しくはしらないが、今ではもうプロ指揮者として活動し始めているらいいぞ。
結局この2人はそれぞれの実力だったといえばそれまでだが、まあこれは紛れもなく自然な現実だ。
声楽をやってる指揮者は差別されやすいが、彼はその辺をわきまえてよく勉強したんだろう。ゆえに彼の指揮するオペラはなかなかだったと思う!
作曲の彼は、あるやつが言うに、単に自分に酔いしれているだけで、決して演奏として使えるレベルではなかったと。
このような現実が起こらないよう、前述の間違った固定観念はやめたほうがいいと思う。もちろん個人個人の問題ではあるが、この現実は結局演奏家としてどうあるべきかの教訓として成り立っている!
この流れで言うと結局「指揮の実力」って何なんだよー!
具体的に言ってみな?
>>125
これはただ単に授業での振りがよかっただけで
それに惑わされた周りがアホだったとしか思えない・・・ よく素人目では、「作曲科が振るんだからあれが正しいだろう!」と理由もなく思い込んでるやつがいた。
分ってるやつからしたらアホらしい話なんだがなあ。127が言うように。
それか先生がアホだったら、無知な学生どもは先生がいいと言えばかってにそれをよしとしてしまうだろう。
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「香港のデモと同じパターンです。香港のデモを利用してビジネスに勤しんでる人間がいるそうですよ。
例えば、小学生の子供に自社ブランドの服着せてデモの隊列に混じってもらい、
自社ブランドの服を宣伝するのだそうですよ。」