1スレ消化まで約5年近くか
2021、2年までもまだお元気でおられることを願う
そのうち 「フォークの神様が死去」 という見出しで・・・
岡林だったら大きく取り上げられるだろうね
初めて「STORM」を聴いたが…
う〜〜〜ん…といった所か…
コミックソング集だと思えば面白いんだが
それは「イエイエ」とか「ドーラクレディー」とかそこらへんの感じか。
80年代ふうの軽薄な女子大生ノリをからかうみたいなのは、後の
サザンやBOØWYにもそういう曲出てきたが、コミックソングふうであれ、
御大のほうが早かったんだなと思っている。
文字化けした。「サザンやBOØWYにも」、だよ
あれ、なんでストローク符号入れたら文字化けすんの(苦笑)
ボウイだよ、氷室の、布袋の〜(苦笑
>>8 ストーム は ニューウェーブ的なノリを意識したんでは?(レコーディングの前にロンドン行ってきたわけで) ありゃ1980年だからテクノ・ニューウェーブ全盛期で拓郎・陽水・泉谷もそんな事やってたね
どれも今聴くと?だしみんな過去の人になっていった
数年後陽水だけ復活したけど
泉谷は80のばらっどでブレイクしてたよ 拓郎だけ落ちぶれた 84,
僕笑っちゃいますくらいしか話題がない
>>16
そうでもないだろ
「唇をかみしめて」とか引退詐欺つま恋とか「Ronin」出演とか
TVにもちょこちょこ出てた
むしろ泉谷がブレイクした記憶がない 泉谷、普通にタレント、俳優として知名度としては
一番成功してんじゃん(それがいいか悪いかはべつとして、
紅白まで出た)。そこらへんにいる若い奴誰でもに聞いてみりゃ
いい。
「不滅の男」逝く。 ご冥福を・・・
ついこないだは、加川良・・・
次は誰だ、みたいなジャンボリー世代のロシアンルーレット
が続いております。
普通ならとっくに定年退職後にゆっくりしてる歳だから、御大も
含めて、70前後で無理があるようなら歌やめてゆっくりしてた
ほうがいいかもね・・・体と命には代えられん。
。。。。は、これで未来永劫返って来ないのであった。
借りたままになったので10万で買ったらしい(1970)
で、岡林はD-50を買ってそれは椎名和夫→山下達郎へと渡って現在もレコーディング用dr活躍中。
>>27-28
月賦払いにしてもらい、頭金の10万円だけは払ったが
それ以後月賦は支払われなかったのが真相のようだ >>28
その初代ギルドはトップが割れてしまったので、川´3`)は同じ型のを買い換えている。 岡林さんって、90年代の前半に田原俊彦主演のテレビドラマに
ゲスト出演したことがあるんだね。 まったく知らなかった。
憶えている印象としては、あんまりセリフ(っていうか、喋ったら俳優としては
なんか棒っぽいw ここらへんは慣れた泉谷みたいにはいかんな)ないんだよ。
寡黙な巻き割り(ここらへんは早くからの山暮らしで得意)オヤジといったところ
の役。セリフ無しに、黙って巻き割ってたらけっこう存在感あった・・という記憶。
かまやつひろし、加川良、エンケン、はしだのりひこ が今年逝去。
御大には長生きして欲しいな。。。
止まらないロシアンルーレット、エンケンからすぐにはしだへ
転がる・・・
はしだは、70年のフォークジャンボリーの司会から、72、3年
頃の「四人の会」(西岡たかし、ミカバンド)で御大と共演した
写真が「信康」の中にありましたね・・
性格悪いとか、加藤北山との不仲とかいろいろ言われてました
けど、「メジャーなヒット曲」の多さという意味では、フォークル時代
から恵まれていた人だったと思います。ご冥福を。
いいかげん、恐ろしい連鎖は当分止まってほしいですな・・
京都フォークを黎明(れいめい)期から支えた歌手で、ヒット曲「風」「花嫁」などを作曲したはしだのりひこ
(本名端田宣彦)さんが2日午前1時16分、パーキンソン病のため、京都市内の病院で死去した。72歳。
京都市出身。
まあ、ある意味御大よりも先に売れた人だたからなあ
ご冥福をお祈りします
中津川の映画『だからここへ来た』の中の
キャンプファイヤーのシーンで岡林さんとはしださん、二人仲良く踊ってたのが印象的でした。そういえば、四人の会の写真でも踊ってた 笑 流石は同じ同志社だ!?
御大にとっては神学部の先輩でもあるんだね、はしだのりひこ
いい人生だったと思います。
人気もあって、
大成功を収めて一度ならず何度も天下取ったんですから。>はしだのりひこ
>41
岡林御大のファンだったので、中学生の頃だったかな、四人の会を見に行きました。
御大は当時こもっていた山から下りてきて、主演し、26番目の秋やホビットをサディ
スティックミカバンドをバックに歌っていましたね。
この前、亡くなったはしだのりひこ氏もエンドレス?を引き連れて歌っていました。
加藤和彦はもちろん、ミカバンド。
ああ、なつかしい。
御大は確か、別にこちらから(四人の会に)出る気はなかったけど、気の合った加藤やら
はしだやらが誘ってくれたから重い腰を上げたんや・・」てなことを言っていた記憶があります。
はしだ氏とは大学のつながりもあって仲が良かったのかもしれませんね。
「四人の会」 のコンサートのポスターが、俺の地元・福岡市の街に
貼られていたのを思い出した・・・
>>44
レスありがとうございました。中学生であの顔ぶれの演奏聴いたら、感性がますます育ちそうですね。
ミカバンドをバックに歌う御大も貴重ですね。高中氏とも何かと縁がありますね。
写真を観ると、あの時代でメンバー金髪でしたね。
四人の会、オムニバスと加藤氏の「URC レア・ライヴ・コレクション」(これは発売延期?)くらいでしか聴けませんので、
御大を始め、エンドレスや西岡氏の演奏も聴いてみたいのですが、権利関係とかで難しいのですかねぇ…。 四人の会の西岡さんの単独演奏部分は、
この間出た満員の木の再発盤に入ってるよ。
ミカバンドの演奏で歌う岡林聴きたいよね。
>>47さん、
そうなんですね、ありがとうございます!!聴いてみます。 四人の会(1973/4)時点でのミカバンド
加藤和彦(G、Vo)・ミカ(Vo)・高橋幸宏(Dr)・小原礼(B)・高中正義(G)
世代じゃないですけど、始めて「おまわりさんに捧げる歌」を聞いた時は衝撃を受けた
71年の中津川フォークジャンボリーで「それで自由になったのかい」で微かに聴こえる
荒っぽいストロークは、新宿ゴールデン街から招聘したマレンコフ氏のギターかな?
>>52
ソ連の最高指導者...じゃなくてそれに似た風貌の流しのギター弾きらしいね そういえば昔、『驚きももの木20世紀』の新宿の流しマレンコフの回を観ていたら、
急に御大の話が出てきて驚いた記憶が。
マレンコフ氏は数万人のメインステージでの演奏で震えたと。三上寛とも交流のあった方らしいです。
もう亡くなられたんだよね?
最後に見た時は流しには珍しくスティール弦を張ったアコギを弾いてたな
ググったら出てきた。二千九年に八二歳で亡くなった模様
>>15
陽水復活は安全地帯と一緒にやるようになったからだね〜♪
安全地帯も日本のトップバンドになったし〜♪
井上陽水と安全地帯は日本のディランとザ・バンドだね〜♪ 安全地帯の玉置は、石川さゆりとデュエットで ペンノレを歌ったことがあるz
玉置は プロの中で歌唱力の評価が高い。
岡林は 伝説のバンドであるサディスティックミカバンド、はっぴいえんど、ジャックス(フォークキャンプにて)をバックに歌った稀有な存在だなぁ。
あとムーンライダース、ダウンタウンブギウギバンド、鈴木茂ぬきハックルバック、ウシャコダ、センチメンタルシティロマンスも。
・・・なんだけど、エンヤトットになって「電気仕掛けを蹴散らして」に
なっちゃって、その時期が長過ぎたからもったいない・・
サンボとかの若手(息子世代)にリスペクトされるようになって
から、ようやく、かたくなさが抜けてきたのはよかったと思うが。
昨日のライブ、地方だし年齢層高いかと思ったけど、
30代ぐらいの人もちらほら見かけた。
鎌倉でのブレバタ兄のライブから帰宅
春に岡林さんがライブした場所と同じオーリンドーです
バックメンバーにドクター徳武ジュニアと鈴木茂ら
鈴木さんはTシャツ、タオル、エコバッグ、お手製キーホルダーなど並べて
フリマのように自ら販売してました
サイン&握手してもろた ちょっとお話できたし良かった
気さくな人でびっくりしたわ すごくにぎやかなライブで楽しかった
最後は何故か「ふるさと」合唱でした
来年も岡林さんのライブ行くぞー
東京近郊で予定が決まったライブはまだないかな
>>63
わー、握手羨ましいなぁ!
私なら緊張して顔を見れないかも…。 エンヤトット生で聴くと楽しいよ
50周年公演は久しぶりにエンヤトット聴きたいね
申し訳ないが気分がいいってあるだろ
あれどう思う?
>>68
アングラな感じがカッコいい気もするけど
もっと評価されてもいいはず。
来年節目だし。
60〜70代の人の間では、かなり有名なんだね。
職場の年配者が皆知っていて嬉しかった。 「申し訳ないが気分がいい」は、良質部分での当時の
ヒッピー的エコロジー回帰で今でも大好き
ヒッピー的というとマイナス面もあるが、御大はハッパ
とかそっちのほうには全然いかなかったから。ナチュラル
な禅とかそっち方向で。
くそくらえ節のLIVEバージョン良いね
天皇様もトイレに行けばカミに頼っとる
面白いな
☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆
>>72
右にも左にもツッコミ入れてるとこがいいよね! 懐かしいです!
この頃はまだ岡林さんを知りませんでした。
いいもの見れました。
ありがとうございます。
>>67
あれはとても好きな曲です。特に狂い咲きのスキャットがあるバージョンが良かった。
なんか当時、日暮れの野音での彼に漲るものがあって、咄嗟に出てきたようにも思う。
あの曲とつばめは「俺らいちぬけた」の中でも特に聴きました。 >>67
今やってる弾き語りツアーで歌ってほしいな 4,5年前だったか、札幌の大通公園ジャズフェスでライブをやったことあったね
巨大テント内の会場で行われたが、好きな料理を注文して食べながら観るライブって
初めてだったんで結構楽しかった
掃除してたら45周年ライブのチラシが出てきた
行けばよかったな
50周年ライブは必ず行きたい
封印してしまった(?)ラブソングなんかも多いからトリビュートで聴きたいな。
普遍的な名曲も多いので、
多くの人の耳に届くきっかけになると思います。
鈴木茂さんの自叙伝に4,5ページ岡林さんのことが出てきた
はっぴいえんどがスタジオで練習してたら、レコード会社の人とサングラスの男が現れて
「みつけた。こいつらや。こいつらしかおらへん!」と言って帰って行った
そのサングラス男が岡林さんで、レコード会社の人から「1人30万円出すからバックバンドを
やってくれないか」と言われ、お金目当てで受けたと
おかげで楽器を買うことができたらしい
当時は、はっぴいえんどのほうは「完全なビジネスとして割りきって
いた」とのことだが・・・「金色のライオン」のときは松本のプロデュース
は熱が入ってたように感じるし(自筆のライナーノートも丁寧だったね)
近年の美空ひばりのカバーソング集(私は今だ未聴ですけど)のときも、
細野のほうも「ぜひやらせて」みたいな感じで御大のレコーディングに入
ったという感じだから、悪くはないんでしょう。
はっぴいえんどがベストCD集だした時に、岡林のライブ曲を入れる際には、松本隆がお願いしたらしい
岡林が忙しくて練習に来られなかった
なので担当だった早川義夫がはっぴいえんどをバックに歌った
それを見ていた慶一とあがた
>>88
>こいつらや。こいつらしかおらへん!
ワロタ >>93 これ タイトル間違い 71/4/1 レコーディングでの細野&大滝のバッキング演奏が最後 未収録の音源も全部出してほしいね、岡林&はっぴいえんど。
>>93
この「音がらみ大歌合せ」コンサートの後、御大は円形脱毛症になったそうな。 はっぴいえんどとは記録では71年1月に「これが最後やでー!」の新宿厚生年金で終わりみたいですが、
音がらみ大歌合って1972年春に武道館だけでなく、少しツアーで地方も回ったみたいで、
>>93 の画像だと鈴木氏がファイヤーバード持ってたり、御大も絞り染めシャツを着ているから72年っぽい感じもするけど
やっぱり再演はなかったのかな・・・?
>>97 音質悪くても全公演聴いてみたいですね。 >>97 >>99
地方公演だとPA最悪だし、URC/アートが録ってないと思う。
はっぴいえんども72年は、大滝のソロプロジェクトなど、バラバラになりつつある状況。ツアー後の72/8に一旦解散。 音搦大歌合は一部のミュージシャンが音源化されていて、これは流石に武道館だからか音質は悪くない
是非御大の演奏も聴きたいが、72年って本人的にはかなりしんどい時期だったのでは?
夏は風船のゲームは終わりにも出ているし、蒸発しても1年以上の空白とかはないんだな、大変だっただろう
柳田ヒログループとは「狂い咲き」「フォークジャンボリー71」の2回だけ?
「音搦」の出演者リストを見ると、御大の他は、吉田拓郎、遠藤賢司、六文銭、
加川良、五つの赤い風船、かまやつひろし、井上尭之バンド、ガロ、高田渡、
武蔵野たんぽぽ団、三上寛、山下洋輔トリオ ということ・・
御大は「いち抜けた、もう歌はやめる」って現在の奥さんと共に岐阜の山奥
に引っ込んだが、オファーがあると断りきれずに、しかし人前で歌うことに
そうとうのプレッシャーがあっての円形脱毛症ということみたいね
>>106
そうだったんですね、情報サンクス。
&はっぴいえんどがよく取り沙汰されるけど&柳田ヒログループも好きだな。
「狂い咲き」はイマイチだけど「フォークジャンボリー71」なんか結講いい感じだよね。
「それで自由になったのかい」はベストテイクだと思う。 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
2AQ8M
落ちそうなので、あげていいでしょうか?
大昔に行ったライブのチケットが出てきた
2800円 LPレコードの値段とほぼ一緒ですね
未成年でお金がないので、たまたま「ぴあ」で当たったチケットで行けたんですが
とべもしないのにニワトリが トサカの先まで赤くして
とぼうとぼうと悪あがき 可愛らしいじゃありませんか♪
今売ってるユリイカの臨時増刊号・総特集=遠藤賢司に収録されている
岡林の寄稿「マーチンD-35」は面白い、てか泣ける。
いい貌してるよね。
俳優になっててもそこそこの役者になってたろう
FBより転載
山下達郎 京都拾得ライブにて。。。
今日を超えて(岡林信康カバー)
「これは僕の長年の夢なんですけど、京都でライブするならこの人の曲は絶対やりたいと思っていました。
それが岡林信康さん。彼はフォークミュージシャンの中で最も優れた人。
関西といえば西岡恭蔵さん、あとは東京にも高田渡さんという素晴らしい方がいて、こういう曲を書いてましたね
(『コーヒーブルース』をワンフレーズ演奏してくれました)」
ちなみにアコースティックライブ(山下達郎、伊藤広規(E.Bass)、難波浩之(Key.))
「5月にはあの方とレコーディング」って、誰かな?
泉谷しげる と予想(ライブ共演などはあるがレコーディング参加は今まで無い)
大穴で松山千春か山下達郎と予想w
6/25くらいに情報解禁みたい
泉谷、松山、山下達郎 の誰かだろうな
岡林って去年の夏の沖縄コンサート ドタキャンして年末にリベンジコンサートしたが、
体調不良が理由だったらしいが余り良い気がしなかった
公式サイトでも謝罪は無かったようだし・・・
齢70だからね。でなくとも、岡林に限ったことではないが、当日のいきなりの体調不良、
不慮の事故なんて誰にどこで起こるなんて判らないものさ
それでキャンセルになったものをドタキャンとは言わない
山下達郎がライブ途中に高い声が出なくなって中止にしたこともある。(振替公演に)
〇岡林のサイトを最初見た時、顔を両手で隠した画像が載っていた。
〇現在はどうか知らんが、岡林にアポを取る時は必ず関西在住のM氏を通してという事だった。
その後の岡林の行動を見てると常になんか勿体つけてるような気がする。
初期のメッセージソングはもう唄わない。
今の政治や社会に「俺は無力だからコメントしない」と言いながら
いまだどこか肩肘張ってるんだな
初期のメッセージソングを唄わないという事は唄う事による反響に対して責任が持てないという事みたいな
だろう?
要するに初期のファンの過重な期待が重荷になってるわけだ。
岡林自身は現在の自分を一人のアーチストとして見て聞いてもらいたいという事なんだが、俺みたいな
ファンはやはり「くそくらえ節」とか骸骨の唄」とかを歌う凄い岡林でいて欲しいしそういう岡林の復活を
望むのだが、、、(泉谷しげるも同じような事書いてた)
、岡林はその種の唄はもう歌いたくないらしい。その気持ちはわかる。だったら肩ひじはらず自然体
で唄えば良いのだが、どこか行動に「凄い男に見られたい、凄い男でいたい」みたいなのが
あるんだよなぁ。。
逆ですよ、何十年も前から言ってるし歌ってるでしょ
「凄い男なんて、まっぴらごめんだよ。俺は弱い弱い
面だって、それも俺の一部として隠さずに見せていく」
というのが、「金色のライオン」以降からしばらく続いた
流れで。
カリスマであり続けようとすれば、下手すりゃ破滅すると、
だから「三島の自決を知ったときは吐きそうになった。
あれはやばい・・」と、自分にも重ね合わせて怖くなった、
尾崎にしてもしかり・・「俺は生きてて、本当によかった」と
くそくらえ節みたいのは今の時代に合わないだろ
歌としてはおもしろいが今ライブで歌うのはなあー
そういうのは中川五郎にやらしときゃ
岡林は自分の唄で、自分が高石友也と出会いフォークにのめり込み様になり自分も
プロテストソングを唄い喝采を浴びその後「熱い化粧の俺の顔 ばれる怖さに逃げたんだ〜」と
半生を告白した唄があるよな。
そこまでして過去を否定しているのだが、当時のファンはそれでもあの頃の岡林の復活を期待して
してしまうんだよなぁ
そこが岡林氏の悲劇ともいえる。
岩崎良美のコンサート行ってタッチ歌えという奴らと同じだなw
そこは御大も笑い話のように語っていたが、
「サンタナのコンサートに行ったんやけど、「ブラックマジックウーマン」とか
昔の曲はやらへんのね。歌えや、こっちは客やで!・・・って、あれ?(笑)」
ところで、〜金沢大学へ仕返しの殴り込み ホビットへ行くのは死んでももう嫌だ〜 とかいう歌もあったよね
唄のタイトルが知らん 誰か知ってる人いますか?
だから、そういうのと離れたら「あそこに行くのは
ぜったいもう嫌だ、死んでももうイヤだ〜〜」
岡林はステージで「Mr. Oのバラッド」歌うときってあるのだろうか?
近年で、、誰かコンサートで聞いた人いる?
ラブソングスの曲はライブではしないんじゃないかな。
ミッドナイトトレインとベイビーはメドレーでやりそうだが。
今日の川´3`)のサンソンで、ライブハウスで歌った「今日を超えて」をオンエアしてた。
ラブソングスの曲は近年だと
2009年の九段会館でみのりをやったのと
2012年の南青山マンダラでベイビーをやったのは聴いた。
>>146
どこにあるの?行ってみたい
てか、まだあるのか? このホビットはユーチューブでは凍結されていて聞けないね
ミスターOのバラッドも同じ
>>155
違う。
佐世保か岩国の米軍基地の横にあった、みたいな記憶だが。
西荻にも「ホビット村」っていう店があるのは俺も知ってるが、
そこは岡林のホビットとは関係ない。 吉田拓郎と岡林はどちらが古いの?
レコードデビューは?
拓郎とは同学年だが岡林の方が先
拓郎の広島フォーク村時代のアルバムに「友よ」が入っている
違うんでないの
岡林は7月生まれで拓郎は4月生まれで拓郎が先
拓郎は高校の時からフォークやってたけど岡林は大学に入ってから
ただレコードデビューは岡林が先
アマ時代を入れると拓郎が先
拓郎は高校大学時代は当時流行っていたGSのコピーバンドでフォークが流行りだしたらギター弾き語りになった
加藤和彦はGS全盛期にフォークルでフォークが主流になったらミカバンド
岡林はフォーク(メッセージソング)を流行らせて持ち上げられたら一抜けた
>>154, 157
岩国な。
岡林の「ほびっと」と浜田省吾の「いつかもうすぐ」に出てくる店はこの同じ喫茶店を歌ってる。
今はもう無いんじゃないかな? 山下達郎のライブ また岡林信康「今日をこえて」を「希望という名の光」の途中に入れてた。
引用の長さも前より増えてたw
2011年7月に出版された岡林の自著「岡林、信康を語る」にホビットについて詳しく書かれている
ホビットってのは岩国にあって、左翼がかった人が米軍基地の反戦的な兵士が集まって気兼ねなく喋れるようにとの思いで作られた喫茶店
岡林自身、田舎暮らしを始めた頃に訪れたことがあり、自著にはホビットはまだあると書かれている
死んでも行きたくないと歌っていたが、田舎暮らしを
始めた頃にまた訪れたのか・・ただ、「金色のライオン」
の時期からすると(72、3年)微妙なとこだな・・
ホビットを歌った後は、さすがにもう行けないか
アルバム「うつし絵」の中の「実録 仁義なき寄り合い・橋」 の村の橋はどこですか?
>拓郎は高校大学時代は当時流行っていたGSのコピーバンド
違うだろ
デ・スーナーズは研究したと言ってたが
ホビットって当時見た悪夢を歌にしただけのもので
実際にほびっとで嫌な思いしたわけじゃないはずだよ。
だから岩国から金沢大学なんて滅茶苦茶な展開になる。
イヤな吉田拓郎と鉢合わせになるしな、そりゃ悪夢だww
どこで読んだか忘れたが…
岡林、拓郎、高石ともやがTVに一緒に出て、
拓郎のギターで岡林がチューリップのアップリケかなんか歌ったって事だけど、
これって本当?
拓郎自身はラジオで「音搦大歌合」の時トイレで一緒になったと言ってたが
話としては面白いね あったかもしれん
少し話が逸れるが
俺がリアルタイムで見たのは、数年前に報道ステーションで古館が拓郎にインタービューした時に
拓郎の口から「岡林さん」という言葉が出てきたとき。
へぇーあの拓郎でも岡林には「さん」づけするんだな〜って変に感動したよ
今やってる拓郎のラジオでも「岡林さん」って言ってるやん
呼び捨てはむしろブレイク前のアルバム「よしだたくろう オン・ステージ!! ともだち」の中の
MCと歌詞の中で聞ける
拓郎がそんなに頻繁に岡林の名を口にするようになったっていうのは、拓郎も72歳
残り少ない人生、晩節に一度は岡林とジョイントしてみてもいいかな?くらいの気持ちがあるのかも
どこかのテレビ局、、誰かがプロモートしてくれれば・・
もっとも岡林にその気があるかは知らんが・・・
>>15>>18>>19
新参者だがこのへんって60過ぎか下手すると70過ぎのお年寄りか?
ルーザーも知らんとは…
泉谷90年代もそこそこ売れてたんだが? 1990年頃フォーク氷河期に泉谷や拓郎は俺もともとロックだからとか言い出したなw
清志郎とチャボはその10年前のニューミュージック全盛期にいち早くフォークからロックに移行したけど
岡林はエンヤトット
>>175
いや、一瞬名前を出すだけで言及はしない
でも拓郎にとって御大は終生ライバル的存在だろう
肝心の御大の方は拓郎なんかどーでもいいだろう 拓郎や陽水が出てきた時、岡林が二人のレコードを聴いて「こんなんが最近は売れるんかいな」
と言ったとかDJの所太郎が話していた。
拓郎はデビュー前はふつうに岡林のファンだったんだよ
ファンつうか好意的に岡林の歌を聴いていた。
>>177
恥ずかしいレスだな
そもそもロック的なことはむかしからやってたし
何も知らない聴いてない人か まあ、拓郎のソノシートに岡林の曲に似たのがあるらしいから
当初は意識してたんだろうけどね
ライバルって意識はさすがにないだろ
岡林自体表舞台から去ったわけだし、拓郎は学生運動のつきあいはきっぱり切ってメジャー一直線だし
数年前のラジオでは「あの人よく解んない」とか言ってたな
今でも事あるごとに岡林氏に言及する拓郎に対し
岡林氏は拓郎のことはまったく無視 w
間を取り持つ役目の泉谷とか坂崎とかが可哀相だ
事あるごとに言及なんてしてないし、
泉谷とか坂崎とかが間を取り持ったりしてないよ
そりゃ岡林原理主義者の妄想
拓郎に限らず、時々の泉谷を除けばべつにフォーク仲間
との交流とかず〜っと無いし、一人で好きなようにやってる
ほうがいいんでしょう。今どき「青春の懐かしフォーク仲間たち」
的なもんは、こうせつあたりが地方地方でやってるイベントぐらい
のもんでさ
早川義夫が何十年振りで復帰した時は岡林君にジョイントしてくれないかと頼んだが断られた。
>>186
184だけど、憶測じゃないしジジでもないしケンカでもないが?
>>187>>188
あの人は同窓会的なものには一切出ない
早川義夫も、岡林に会いに行ったら終始冷たい感じだったと言ってたよね
中川五郎が「URCの誰も岡林を守らなかった」みたいに言ってたけど、複雑な感情が
あるんでしょう 「守らなかった」と言えば、秦政明(・・だったかどうかわからないが)
と、レコード原盤権のことで裁判沙汰になったんだっけ
>>190 8000万円ね
1986年に裁判。 カネが払えないので岡林分のアート音楽出版の著作権や原盤権? を岡林に譲渡。
秦氏は アート音楽出版も89年にSFC音楽出版に売却.(現在は売却されてシンコーミュージックの子会社)
秦氏は 70年頃 そのカネで馬主になったりしてた。 URCも、学生運動の衰退とともに秦政明がやる気なくして金儲けに走るようになったのが実情でしょ?
第3回ジャンボリーの前から商業主義だと批判があったらしいね
フォークルやジャックスの面々は良い思い出になってるかもしれないけど
岡林は一番嫌な部分を見ていたんだと思う
そうなの?
西岡たかし氏なんかは、何も知らない僕たちに秦さんはとてもよくしてくれたと言ってるけど
加藤和彦もヨッパライで稼いだ金でギンガム作ったわけでしょ
帰ってきたヨッパライは自主制作 つまり東芝に原盤権はない
原盤権はフォークル本人たちにあるから
むちゃくちゃ儲かったはず
>200
おお!ありがとう
「それで自由になったのかい」の新録は是非とも聞いてみたい!
サンボは、アンサーソングで「これで自由になったのだ」って
歌ってたからね・・憧れの岡林御大とのレコーディングだから、
期待できるだろう
エンヤトットアレンジも無さそう
オーケストラ、坂崎、矢野、サンボマスター、山下洋輔G
山下洋輔と矢野顕子は昔893時代の安部譲二が経営していたジャズクラブ「ロブロイ」に出演していたな
他にもプカプカのモデルになった安田南とかも出演していた
もう今の岡林さんには、自分がフォークシンガーという意識はないんだろうね
犯罪者の38の童貞の豚生活保護同然の40にもなって童貞でハゲててチビ、豚で不細工な糸目の不細工wwww
小中高とずっっっと帰宅部、友達皆無の人生
自分の顔鏡でみなよ自殺したらいいのに
120キロの巨体の頭だけ出してるデブ
https://imgur.com/a/aqAWUkH
かわいそ
生きてて無価値だよ
家族も友達もいないんだから死ねばいいよ
死ねばいいよ、お前豚で家族もいないキチガイなんだからwwww
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
さびしいんだね、かわいそう
死になよニートの38のネットストーカーデブスキチガイ犯罪者のデブスじじい
こいつまじで創価のネットストーカーの犯罪者だよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
実名だして誹謗中傷してるのは創価の嫌がらせしてる
この38のデブスのニートじじいだよ!!!!みんな!!!!!
デブスの38の童貞ハゲw
さびしくてさびしくて哀れな孤独なデブスのニート38の童貞精神疾患の哀れ不細工ハゲw >>209
いや、むしろフォークシンガーの原点に戻るという意識があって
今はギター1本の弾き語りスタイルを中心にしてると思われる 7/7相変わらず山下達郎は「希望という名の光」に今日をこえてと自分の蒼氓をincludeして唄ってた
>>213
歌う前に大雨災害のコメントはありましたか? >>214
150人会場に来られなかった人がいたようで、被害に遭われた方、来られなかった皆さんへ、という言葉が最初にあった。
空席が目立ったのは前の方(関係者席)だと思う。半分から後ろの一番席は空席が無かった。 昨晩のNHK 「ラジオ深夜便」 で岡林特集
かかった曲
1.山谷ブルース
2.友よ (アルバムヴァージョン)
3.私たちの望むものは
4.今日をこえて
5.月の夜汽車
6.ベイビー
7.君に捧げるラブソング
8.エンヤトット宣言
9.申し訳ないが気分がいい
エンヤトット宣言なあ
あれつまらないと一笑に付すわけにはいかないし
>>216
NHKでは糞食らえ節や手紙はまだ深夜でも厳しいかな 昔、自分が「手紙」聴いたときは、NHKだった。フルタイムで。
DJのねえちゃんが、「普通は流せない曲だと言われてますが、
今日は最後までかけます」と
岡林の曲を初めてラジオで聴いたのは1970年代前半の中学生時代
NHKのリクエスト番組で 「チューリップのアップリケ」
多感な時期だったのでショックを受けたなぁ
聴いていて涙ぐんでしまった
周りが吉田拓郎だの泉谷しげるだの言っているとき
時代に逆らって岡林のアルバムを買ったよ
ビクターから出ていたベスト盤 『岡林信康の世界』
「くそくらえ節」 は途中でフェイドアウトされていた
NHKのシンパ率の高さは年俸のそれの比では無い気がする。NHKのフォークのDVDの比率を見ても。
いみじくもNHKに捧げる歌を歌った歌手。
その昔セイルボートと組んでいた時FMラジオでライブを流したのもNHKなんだよなぁ
岡林信康、西岡たかし、高田渡
この辺はMCが上手くて面白いのに何故かラジオ番組の仕事はなかったね
>>221 ジャックスのカバー「ロールオーバー蔵之助」の息子がバックで演奏w >>224
朝日放送だったっけ?確かサバイバル宣言というタイトルだったような気が。
自分のところは電波の入りが悪くて半分くらいしか聞き取れなかったが、番組特製のカレンダーが当たった事がある。 西岡たかしは奥さまマガジンとかいうのをやってたような気が
そう大阪のABC朝日放送ラジオの「サバイバル宣言」
1979年8月から1年間放送された。
1980年2月に加藤和彦がゲスト出演、ロンドン行きを薦められ3月に旅立つ。
帰国後に加藤と新しいアルバムの構想を練り始めて9月に「ストーム」発売した。
連投スマソ
西岡たかしは1970年代後半にMBS毎日放送でラジオの深夜放送で「ヤングタウン」「チャチャヤング」
1980年代後半にラジオ関西で毎週日曜朝に「奥さまマガジン」やってましたわ
「ヤングタウン」「チャチャヤング」はお笑い芸人のDJ? と思わせるぐらい面白くて好評だったそうな
岡林や風船の知名度は大阪のローカル芸人とは違っていたのだから
関西限定ラジオでは聞けない地域は残念でしたね
岡林がアミューズ系の事務所にいた頃?
当時はTVもいろいろ出たみたいだね
サバイバル宣言聴いてみたいなあ 誰かつべに上げてくれ
サバイバル宣言
放送時期から察すると番組タイトルは関白宣言のパロディーかな
田舎暮らしの時期の話をしていたのだろうか
70年代から80年代に変わる事はニューミュージックからJ-POP(とはまだ言わなかった)に代わりかけのミロだったと思うが、メディア上では岡林はまだ「フォーク」の人としてしか評価されていなかった気が。
いや、当時は岡林も何も、全部引っくるめて「ニューミュージック」に
されてたね。今のJ-POPは、まだいくらか線引きはされているほうだが
当時はアイドル歌謡と演歌以外はなんでも「ニューミュージック」と呼べば
いいぐらいな、いいかげんな時代だったから。そもそも「ニューミュージック」
という言い出しっぺはユーミンなのか、音楽ライターの富澤一誠なのか、
よくわかってないのだろうか。
ちなみに富澤のライターデビューは、岡林が71年に山奥に引っ込んだときの
「岡林よ、逃げるな踏み留まれ」みたいな文章だったようだが、当時は批判的に
見られたかもしれないが、それは「岡林に期待しているからこそ」と後に書いていたね
しかしユーミンはユーミンで、特に荒井時代は「フォークはなんか
貧乏臭くて嫌い」とか言ってたのは知られているが、初期のバックや
アレンジはティンパンとか、「はっぴいえんど」のメンツだから、
フォークも含めた流れとの関わりは無視できなかったゆえの
「ニューミュージック」 だったのかもしれない
吉祥寺ライブ行ってきたぞ。
「今日を超えて」を久しぶりにライブで聴けた!
ツアーは、加藤さんとデュオで回るのか?
平野さんはどうしてるのか?
>>239
私も行きました!
加川良さん、エンケンさん、はしだのりひこさんへの追悼コメントが嬉しかったな
往年の関西フォークファンとして 1980年頃だったか、テレビでジュディ・オングと共演したこともあったなあ
何かのテレビCMで 「グッバイ・マイ・ダーリン」 が流れていた頃
>>242
へえー意外だな、御大が他の音楽家のことに触れるの珍しいから。 グッバイ・マイ・ダーリンはアミューズ移籍で最初の仕事だったんだよな。
ライオンも初の男性化粧品取り扱いで話題にしようとしていたが盛り上がってはいなかった気が。w
ところであのストリングアレンジ付きのシングル盤はまだCD化されていないんだっけ?
アミューズといえば、サザンでの合同結婚式で神父役をやったらしい。
桑田らと岡林は面識があったということ
>246
>何かのテレビCMで 「グッバイ・マイ・ダーリン」 が…」
『警部マクロード』のデニス・ウィーバーが出ていたCM
>>248
ライオンの化粧品のCMだったか
CMではデニス・ウィーバーがフェンシングをしていた
ちょうどこのころ
テレビの「ミュージックフェア」でデビュー当時のチェゲアスと共演
一緒に「グッバイ…」を歌っていた(以前のスレでも書いたことだけど)
そういえば「君にささげるラブソング」も80年代にCMで使われてたな 岡林信康なんて高校生のときに初めて知ったわ
それまでは岡林とか高田渡とか知らなかったな
「今日の〜仕事はつらかった」の箇所だけを流す
入浴剤のCMなんてどうだ?
焼酎のCMでは? と考えたけどダメだな
いまどきの焼酎のCMは、しゃれたイメージのものが多くなってるし
徹子の部屋 ゲスト予定
9月3日 月曜 梅沢富美男&研 ナオコ 被害者VS加害者?「骨折事件」の真相は
9月4日 火曜 副島 淳 英語が出来ない身長2メートル越えの僕…
9月5日 水曜 ガレッジセール 下積み時代…悲惨すぎて笑える貧乏話
9月6日 木曜 岡林信康&坂崎幸之助 フォークの神様が美空ひばりさんとの秘話を
9月7日 金曜 DAIGO 結婚2年…家事の手伝いにチャレンジ!
情報ありがとう
徹子の部屋の出演は2012年5月以来4度目だ
新アルバム、平野さんはいないし、エンヤトットバンドも無いのはなんで?
それで自由になったのかい〜自由への長い旅 の繋ぎ方って、76年のセルフカバーでの展開に意図的に似せたのかな?
矢野顕子の声いらん 邪魔 がっかりだ
あそこだけカット出来んかなあ…出来るわけないわな
新アルバムの「それで自由になったのかい」、ガールズロックバンドThe Newsが91年にカバーした(歌詞一部変更)のとアレンジが似てるw
徹子の部屋 ゲスト予定
9月17日 月曜 Mステ ウルトラフェスの為 O.A.休止
9月18日 火曜 藤田弓子 亡母の発案で伊豆へ移住し30年
9月19日 水曜 岡林信康 坂崎幸之助 フォークの神様が美空ひばりさんとの秘話を
9月20日 木曜 木村佳乃 パパ似?ママ似?娘たちの子育てに奮闘
9月21日 金曜 樫山文枝 日色ともゑ 50年前…朝ドラ「伝説のヒロイン」が
だいぶ喋りがスローモーになった感もあり、あまり力強い曲は
年齢的にきついかという印象もあるが、お元気そうで良かった。
>>274
これな、
結局、田頭道登氏とは最後どうなっちゃったんだろうね? 売り手が勝手に値を釣り上げてるだけだろ?
元々はミニコミ誌的な自主出版の本だったはず
>>276
御大の方から絶縁したんじゃないのか?
本の中では田頭氏宛ての手紙が大量に開陳されてるけど
あれ、御大の許可とったのかなあ? ストーカーじゃないけど、変節?をネチネチという印象
>>281 取ってない というか、昔はそんなこと気にしない 蒸発後に政治的活動をしなくなったからか?
中川五郎や長野隆は50年経っても未だにひきづってるがw
パンタとかと、左翼洗脳した若い女の子ら(向上委員会)と
仲良くやれるからね
「腰まで泥まみれ」は、元ちとせのカバーバージョンの方は
けっこう好きなんだが。
>>274
田頭道登さんが書いた岡林さんの本、確かもう一冊あったよね? >>281
>>284
うろ覚えだが、御大の当時の恋人(「愛する人へ」「君を待っている」のモデルの人か)と
田頭氏と三人でキューバに渡るつもりだったのが、
いつの間にか御大が彼女と別れて吉田日出子とねんごろになってキューバ行きをドタキャンし、
田頭氏呆れる…みたいないきさつだったような >>293
マジか?
ええ話やけど、どこにそんなことが書いてあるんだ? 吉田日出子は、はっぴいえんどの鈴木茂に乗り換えて、小日向文世、高橋克典 という順番で。。。(全員年下やんw)
今の嫁さんだったの? 自分がどこかで読んだものでは
最初の彼女は、デビュー時に通いつめていた部落解放同盟
(「チューリップ」の歌詞の元になった当時小学生のあやこちゃん
もいた)で知り合った女性だとか、今の嫁さんは(「村日記」によれば)
郷里の幼馴染で、「あら、岡林さんとこのノブちゃん、歌手にならはって
たの」みたいな感じ。
情報が錯綜しとるが、ありがとう。
解同の女から美空ひばりまで、モテ具合がなかなか手広くて流石だな
近々NHKのラジオに出るんですかね?
金曜日の坂崎さんのラジオで大物フォークシンガーと録音した事を言ってました。
最近お付き合いのある方って言ってましたので、拓郎さんやこうせつさんじゃ無いと思いますから、岡林さんの可能性がありますよね?
金曜日の時点では、まだ解禁出来ないらしいです。
Gの祈りは何の権利関係でCDにされないんだ?
東映?ビクター?
それともご本人がこの曲が嫌いってことはないよね?
余り知られて無いが、南田洋子と長門なんとかの唄番組にチャゲ&飛鳥と岡林は
共演した事がある。
録画しとけば良かった
中川五郎はいいよ 主婦のブルースはまさにあの時代のアングラソングの代表
今も戦争反対ソングを唄ってるとこもいい
おれは高石ともやが??という感じ
>>299 このあいだの公開リハでGの祈りやった。
1980年だからビクターのInnvitationレーベル
シングルのみで、埋もれてるのは「怪人二十面相を追いかけろ」もあるな(1974コロ) 現在入手不可なシングル。はほかにこれがあるね。
友よ(1968 山谷ブルースのB面で 高石友也とのデュオバージョン)
夕べの祈り/ ムーンライト (1982 ウシャコダがサポート)
祈りの朝 1996
1981/11 グラフィティ 発売
1982/6〜翌年春 映画「きつね」撮影
1982 平行してウシャコダとライブ
1984 ライブツアー開始a
高石ともやって「さぁみなさんご一緒に〜」とか観客席に呼びかけるけど、だれも高石の唄
知らないしみんなで合唱するようなヒット曲あった?
それと泣いてるのか笑ってるのかわからない歯を食いしばってるような表情が
なんか痛々しい。
中川は「腰まで泥まみれ」を今でも唄う
岡林は唄わない
それが痛々しいんだよ
まだやってんのかというような、時代に取り残された感がある
長野隆(五つの赤い風船のベース)も中川五郎と同様。
つうか中川は「間違ってる」からな
お前は間違ってんだよって言ってやっても仕方ないが
いや、間違っていない。
今の時代だからこそ唄うべきで時代をリードしている
面白いなあ。
共に70才。
岡林信康はプロテストソングなどさっさとやめて気楽に好々爺として、生きている。
その昔史上最高のスーパースターとして、商業主義のど真ん中にいた、沢田研二が、今や反権力の象徴のような曲ばかりで、
問題行動も数知れず。
若いころと今が逆転した二人が絡んだらなにか面白そうやわ。
沢田は若い頃から芸能界に入ったから
おそらく学生運動を羨望のまなざしで見ていたのだろうと推測する。
だから今やってんだろな
もちろん間違ってるけどなw
「もっと積極的にデモの先頭に立って反戦を歌え! 軟弱!」
とか言って岡林を吊るし上げたのは、他でもない労音や左翼だから
辟易して当然・・ 沢田はその時代は論外でむろんのこと、中川も左翼的
にはずっと優等生でやって来たとすれば(ポルノ小説的なもので問題に
なった事があったというのも、中川にとってはいかにも反権力的表現のような)、
そのへんの違いかもしれない。
自分はその世代ではないので、半分は推測ではあるが・・
>>318 反博 での対立、新宿西口「広場」で歌わなかったことなど。。(岡林に限らず) なんぼなんでも沢田研二ごときと岡林を同列に語るのは岡林に失礼というもの
そういえばファンの中でブログ書いてる中高年がいて、民主党の政権交代を吉田拓郎の病気と岡林の復活?と絡めたバカがいたな。
沢田研二は沢田研二でエンターティナーとして天才だろ。
フォークの分野で比べるのは違うかもしれんが、ごときなどと呼ぶ方が失礼
>>321で思い出したが
山口百恵が谷村 新司の曲でヒットを飛ばした時、永六輔のラジオ番組に二人が出演した事がある。
六輔が谷村をイジり出して、「アイドルとして保守の代表だった百恵ちゃんがどんどん先鋭化して
ゆき、大阪時代に革新だったアリスが保守化してゆくとかなんとか」とからかい始めたところ
谷村がムキになり「僕らは色んな事をやって行こうと思ってるんです」と言ったら六輔がすかさず
「あっ、なるほど新自由クラブみたいなんだ」と笑いながら茶々を入れて谷村は絶句、
聞いていてなんか俺は胸がスッとしたのを覚えてる >>321 の続き
コイツは62歳の模様 「アベ」とか言ってるパヨクw 「友よ」はJリーグで 下位チームサポーターがよく歌っている時代w
「日本人にはエンヤトットのDNAがインプットされてる」と岡林が言うが違うんじゃないかなぁ
俺の家の近くに保育園があるが民謡かけても園児はあまり乗ってこない
洋楽をかけると自然にリズムを取り踊り出す。
岡林の年代までの老人にはエンヤトットのリズムがインプットされてるかも知れんが
今の若者には洋楽のリズムが母親の胎内にいるころからDNA化してるように思う。
拓郎スレでメッキの剥げた集金アイドルを絶賛していた馬鹿が紛れ込んでいる
狂人は巣に帰れ
山谷ブルースは20代でも知ってるが
友よは、知ってる人間少ないな。
だって、「遠い世界」にと、「友よ」は音楽の教科書(ゆとり世代前後?)
に載ったんでしょ(選定した人間は何者やというのもあるがw)
だから、その世代前後のJリーグのサポーターが歌ってんじゃない?
元々の意味は全くわからないままで、「君の涙、君の汗が報われるその
日が来る〜」って、ま、スポーツの応援歌っちゃ応援歌的ではあるわねw
Jリーグで思い出したが、FC東京の開幕戦で、味の素スタジアムで歌ってたなw
>>300
>>253
それはそうと、11月23日 (祭日) の朝だったと思うけど、
NHKラジオ (第一) の番組に岡林が出演するとか NHKラジオ第1『岡林信康・50年の軌跡』11月23日放送、ゲストは坂崎幸之助と山下洋輔
11月23日(金・祝)午前10時05分〜11時50分
今週金曜日の坂崎のラジオ(Kトラ)に出演予定だな。
昨日、サンケイホールブリーゼ(大阪)でのコンサートに行ってきた
ステージに登場して早速「皆さんこんばんは!沢田研二です!今日は客席満員なので最後まで頑張って歌います!(大爆笑)」と、いきなり岡林節が炸裂
新アルバム「森羅十二象」のレコーディングに参加した京都フィルハーモニー室内合奏団(総勢20名) と加藤実さんのピアノをバックにしたコンサート最高でした!ホンマに良かった!感動しました!
「へえ〜」と思うような意外な曲も歌いました
岡林自身、歌ってる最中に感極わって何度か歌声を詰まらせ涙ぐむ場面が ありました
曲目や印象に残ったMCを書こうかと思いましたが、19日20日に六本木でコンサートがあり、そちらと内容が被ったらアカンので21日以降にまた来ます
>>342
50年前も「それで自由になったのかい」でジュリーを茶化してたよな、
またジュリーを茶化したのか。こりゃおもろい! 20日のライブチケットをさっき買いました
後ろの方みたいだけど、まあいいか
昨日、コンビニで週刊朝日をパラパラめくって立ち読みしてたら、林真理子の対談ページの
ゲストが岡林だった
学生運動の映像に 「友よ」 などの歌がBGMで流されることに対し、嫌悪感を示していた
もう二度と歌わないとのこと
岡林 「自分は学生運動なんかまったく縁がなかった。 新宿西口広場のフォーク集会にも
行ったことはない」
まあそれは仕方ないんよね 時代の歌だから
たしかに学生運動には参加してなかったかもしれんが
時代が友よを作らせたわけでやはり時代とシンクロしてるんよ
西田佐知子のアカシヤの雨がやむときも同じ
「友よ」は Jリーグの一部チームのサポーターが歌う時代w
友よ でさあ
すごいスロウで静謐なバージョンあるじゃん
あれは何バージョン?
>>348
1971年日比谷野音の狂い咲きコンサート >>343
歌詞にある「ブタ箱」からジュリーはその後PYGを結成した? >>349
「友よ」は狂い咲きが最後のテイクなのかな 「友よ」「私達の望むものは」は狂い咲きコンサートが最後やね
岡林の自著には「友よ」は歌いたくなかったが、狂い咲きは今まで作った曲を全て歌うと宣伝したもんだから仕方なく歌ったとある
六本木のライブに行くんですが、公演時間は3時間ぐらいですか?
帰りの電車の指定席を事前に買いたいのですが、3時間半ぐらいだと思って
余裕をもって取った方がいいかなと
東京、良いステージだった。
山下洋輔がいないのが残念な編成だったな。
>>356
>>342です
楽しんで来られたみたいで良かったですね
何歳になっても相変わらず凄い方ですわ 先日解散した 黒猫チェルシーの澤竜次は、岡林の親戚筋。それで自由になったのかいをライブで歌ったことがあるらしい。
で、何時間のライブでしたか?
2時間半ぐらいでしょうか
今日早いのは、今日中に家に帰るから?
最終ののぞみ?
>>361
今更だが2時間半くらい。楽しんで下さい 佃煮にしたくなるぐらい年寄りばっかりだった
葬儀屋や墓の営業やってる奴は行けばいい
隣の婆さん、スマホの電源も切らないクソパヨクだった。(安保 というのを変換してたので)
>>347
自衛隊でも隊員たちに歌われているそうな
右にも左にも愛されている名曲w
>>348
ファーストアルバム 「私を断罪せよ」 に収録されているヴァージョンかな
高石友也と共演した (高石の声はほとんど聴こえないが) 速いテンポのほうは
シングル盤のみの発売だったと思う
岡林本人はしっとりと歌ったヴァージョンのほうが好きだったという 70年代前半にビクターから出ていたベスト盤LP『岡林信康の世界』に収録されていた
「友よ」はスローバージョンのほうだった
歌っている途中でフェイドアウトされて歌詞が最後まで聴き取れなかった
今回が最後のツアーかもと思っていたがまだまだ元気そうで安心
拓郎や泉谷の方が先に逝きそうだな
>>342です
12月6日(水)サンケイホールブリーゼ(大阪)
@ロコモーション
A山谷ブルース
Bチューリップのアップリケ
C今日をこえて
DGood・My・Darling
Eミッドナイトトレイン
〜休憩〜
FGの祈り
Gモンゴル草原
H君に捧げるラブソングI山辺に向いて
〜アンコール
J虹の船唄
K自由への長い旅
@A岡林ソロ
BCD岡林+加藤実(ピアノ)
EFGHIJ岡林+京都フィルハーモニー室内合奏団
K岡林+加藤実(ピアノ) ロコモーションを歌い終わった後 、サンケイホールについて語る
「今から50年前の1968年3月27日にこのサンケイホールで【あんぐら音楽祭】というイベントが行われ【帰って来たヨッパライ】が大ヒットしてスターになっていた【ザ・フォーククルセターズ】やいろんなミュージシャンが出演しました。
まだプロデビューしていなかった自分も出演して歌わせてもらったらスゴくウケてしまって、会場に来ていた音楽関係の会社の社長 に【毎月給料5万円あげるからウチに来なさい】と言われ本格的にプロデビューするきっかけになった会場です」
僕が>>342で書いた意外な歌とは「 Good・My・Darling 」と「Gの祈り」なんです。
私事ですが岡林のコンサートやライブに行くようになってから約30年で今回のコンサートは21回目なんですが、この2曲の生歌を初めて聴きました。
岡林がコンサートで歌うことはもう無いと思ってました。
あるサイトによれば過日東京で行われた公開リハーサルで歌ったんですね。
「Gの祈り」を歌い始めたら会場から大きな拍手が起こりました。
最近になって何故「 Good・My・Darling 」を歌うようになったか?、それと「Gの祈り」を作った時の詳しいエピソードとタイトルの「G」の由来について語ってました 「虹の船唄」を歌っている合間にリズムに合わせて観客に無理やり
【いいぞ!いいぞ!岡林!】
【日本の宝だ!岡林!】【世界の宝だ!岡林!】
【CD買うぞ!岡林!】【10枚買うぞ!岡林!】
と唱和をさせて歌い終わったらハイテンションで
「大谷翔平は大リーグで二刀流で活躍しているが俺は弾き語りもやった!ロックもやった!演歌もやった!亡くなった加藤和彦君に手伝ってもらってテクノポップスもやった!エンヤトットもやった!大谷翔平より俺の方がスゴいんだ!諸君!わかってるのか?!(大歓声)」
岡林がエンヤトットスタイルのコンサートを発展的解消をして弾き語りライブを始めた頃に大阪ローカルのラジオ番組にゲスト出演して
「弾き語りのスタイルがこんなにしんどいとは思わんかった。とにかく疲れる。コンサート活動もそんなに長くナイヨ(笑)」と語ってました。
2年前に大阪・堺で行われたライブに行った時は疲れた様子で最初から最後までずっと椅子に座って歌ってました。
70歳を過ぎて随分と老け込んだ感じで、ホンマに長くないのかな〜と思ってました
でも今回のコンサートの岡林は元気一杯でした。
いつまでもコンサートやライブ活動を続けてほしいです
長々スミマセンでした
御大には是非一度『手紙』を地上波で歌って欲しい!
解放同盟からクレームが来て確認糾弾されるかなw
>>372
表示できないけど、岡林が若いころに自費出版した本の写真なんだな
表紙には彼の直筆で
「友よ! 戦いの炎をもやせ」の文字 解同は、「べつに、ウチはあの曲にクレームなどつけたことはない」と言う(らしい)。
単に放送側の自主規制だったというのが真実なのだろう。
自分もNHKのラジオでフルタイム聴いたのが初めてなので、普通に流せばなんの
ことはない。
ベ平連は、ソ連から資金援助受けてたそうだし、ベトナム戦争終結後のベトナム難民については何もしなかったし。。。
>>385
あれは単なるコミンテルンだよ
つまりインチキ おととい徳武ジュニアが出演したライブでお父さんも来て後ろで授業参観のように
見つめていました
ジュニアってハーフなんだね
>>380-383
『手紙』の歌詞の元となった「死の前の手紙」(結婚に反対され実際に自殺してしまった被差別部落
出身の若い女性の遺書)が収録されている本「わたしゃそれでも生きてきた」の版元が、
部落問題研究所という解同と敵対している日共系の出版社だから、
解同の視点から見れば、『手紙』は間接的に敵対勢力のプロモーションと写る
…というのは考え過ぎだろうか もしもキャベツが 無かったら
お好み焼きは不味くなる〜
>>391
御大もチューリップは歌っても手紙は歌わないもんね…残念だよ 当初考えていた歌詞の意味と今のイメージが違うことで
今は歌えると。「チューリップ〜は、今の僕の中ではあれは父と娘の
歌なんやないかと思うのよ」だから、部落のことじゃなくても歌える
のだが、「手紙」は、どう逆立ちしてもあの歌詞だから動かしようが
ない。
高田渡の「自衛隊に入ろう」
高田のライブに岡林が加わったバージョンがあるが
調子に乗ったおどけたコーラスで邪魔してるな
高石ともや
「岡林はチャンピオン病で目立ちたがり屋なんだよ」
>>391
それは十分考えられるんじゃないか。
かといって御大は日共系でもなんでもなかったもんだから
そういったセクト間闘争に巻き込まれるのが嫌で
段々「手紙」も歌わなくなったんだろう。 >>398
ピート・シーガーもボブ・ディランの路線変更を批判してた
そうそういつまでも師匠の希望通りにはいかんよ 「愛する人へ」
「君を待っている」
「オリビアに」
「グッバイマイダーリン」
「遠い朝」
等に代表されるふられ男のしみったれた女々しい曲を書かせたら抜群なんだよなあ
突然スレが上がると死んだかと思ってドキッとするやんけ
>>404
実際しみったれてるだろ。それがいいんだよ いい意味で使ってるのに理解できないのかね。
岡林の意図が曲理解できてないじゃん。
「オリビアに」は、ふられたり、別れたときの曲じゃないだろ
408の言う通りだ。グッバイマイダーリンはそれまでの岡林と違って「CMタイアップでも歌いますよ」だし、「遠い朝」は自身が述べている通り自身が当時漠然と監視でいたものを具現化したものを具現化したものだし
過疎ってるな
昼の番組の美空ひばりの話題で、ゲストの徳光が
「フォーク関係の人とかも交流があって、泉谷しげるとか
岡林しんこう・・」 ・・えっ? しんこう?
のぶやす だろ って、誰か訂正しろよ
メディア情報
FMCOCOLO76.5(関西エリア)
MOON LIGHT MAGIC
6月10日(月)6月17日(月)2週連続各24時〜25時
ゲスト:岡林信康
プカプカ」のヒット曲で知られる「ザ・ディラン」の元メンバー大塚まさじが2011年2月からパーソナリティーを努め、毎週ゲストを迎える音楽番組
大塚がデビューした頃、岡林はすでにフォーク界のスター、URCの先輩後輩でもある二人のトークを楽しみにしてます
良かったら聴いてみて下さい
坂崎とコラボしたやつな
これはディランのジョンウェズリーハーディング的なものを感じる
ラジオ今週も聴いたで
ギターの話 岡林のギターを今山下達郎が持ってる話
山下洋輔のピアノの話
>>42 D-50(椎名和夫経由) レコーディングで使用 でしょ >>420
やっぱ有線に加入せんと聞けんのかね
このために加入するのはちょっとねえ >>422
そのギターはトップが駄目になって同じ型のを買い直している。 山下達郎は自分のコンサートで蒼氓を歌う時例年People Get Readyと風に吹かれてと私たちの望むものはの歌詞を織り込んでいたが今年のツアーでは私たちの望むものはを入れなかった。
>>430
情報ありがとう
当方大阪なので大竹まことのラジオ番組の存在を知らんかってんけど、番組のホームページに入って聴くことが出来た
岡林と大竹の掛け合い面白かった 美空ひばりとこの人はどこまでの関係なの?
美空ひばりって山口組の会長と深い仲なんでしょ?
馬鹿呼ばわりする人はどうかしてる。
美空ひばりの岡林信康に対する愛情は、
残された映像を見れば伝わってくる。
農業に従事してた時期の映像に、人糞を田んぼに撒く岡林信康を写した姿の近くに、
美空ひばりが映ってた。
なんか毎日いっしょに飲んでたらしいよ
ひばりさんからしたら芸能界外のアウトサイダーと飲んだりするのが
楽しかったのだろう
なんやかや、激しい人生だったが
最後に大泉逸郎の「孫」のような「さよならひとつ」が
歌い手としての彼なりの答えだったのだろうか
いい歳こいてるくせにつまらん意地張ってないで手紙を歌えよ
>>445
幾度となく繰り返した自己批判の末に生まれた
岡林の最高傑作だろう 私たちの望むものは
決して私たちではなく
私たちの望むものは
私であり続けることなのだ
ここがすごいよな
いつか届け この想い
いつか届けこの祈り
誰をうらむ事もない
夢と消えても
あたたかい季節に
燃えつきた 熱すぎる命
それでも 俺の胸に
たしかに届いた
遠い唄 聞きながら
今は待つだけ 今は待つだけ
復活の朝という新曲、聞いた。
めちゃくちゃ良いね。
やはりフォークの神様、心の深くに響いてくる。
今はこのご時世で動けないけど、御大にはいつまでも元気でいてほしいし、
コロナがおさまったら、すぐにでもコンサートやってほしい、切望しています。
新曲 芸スポではぼろくそに言われてたけどね オールドサヨクの自然回帰妄想 人がいなくなればすべて解決するみたいな
逆に言うとポルポトの虐殺思想に似てるんじゃないか
ポル・ポト政権とは、1975?1979年の間にカンボジアを支配した共産主義政党「クメール・ルージュ」の指導者
であるポル・ポトによる独裁政権です。
ポル・ポトは、原始社会を理想とし、全国民を農業に従事させるといった極端な政策を行なっていました。
そして、医者や教師などの知識人や反抗する者に対しては厳しい迫害を行なっていました。
具体的にポル・ポトが国民に対して行ったことを挙げていきます。
・都市に住む人々を田舎に強制移住・強制労働
・不満を述べたり、規則を破った者は拷問・処刑
・教養のある者(ただメガネをかけている者も含め)は邪魔になるため拷問・処刑
・病人や幼児年寄りは不必要のため処刑
今聴いてみました
なんか昔のディラン回帰?ブロンドオンブロンドの頃の。
自然礼賛というかまあ自然回帰ていうか これってすぐ左翼だなんだって
言われちゃうけどそうじゃなくてこれこそ本当は保守の原点なんだよね。
保守思想の根幹
ただ夢落ちかよw
まあでも何百年後かの夢想かなと
先日URCレコード読本が発売されましたが
新たな証言はなく『岡林、信康を語る』からの再掲ですね
西岡(たかし)さんもないですね
よくSFに描かれるような、終末期以後の地球みたいなイメージでしょうか
人間存在に対する葛藤やジレンマはナウシカ的世界観にも近い
優しく歌われているが、それはもしかしたら悪夢かもしれないという深さ。
今祈る〜ひとり旅〜
このメロが最近頭から離れん
タイトル流れ者だと思ってた
>>436
岡林は見た目がよくてカッコよくて話が面白いからな
そういう男と飲むのがただ楽しかったというだけだろ URC読本見つけた
パラパラとめくった
買うのはやめた
番組情報
第二回全日本フォークジャンボリー記録映画「だからここに来た」
CS歌謡ポップチャンネル
10月16日(金)午後9時〜午後22時30分
誰ぞこの子に愛の手を/怪人二十面相を捕まえろ、のアナログシングルをケットだぜ。
まさか手に入るとは思わなかった。
〔にっぽんの歌こころの歌〕
ジャパニーズ・ポップス
岡林信康作品集
「友よ」の歌詞の3番他者が介在していることを明言したのを明言したぞ。
チューリップのアップリケでおおたにあやこの名前を出した。
小山田の件で大炎上した「クイックJAPAN」だが、岡林とサンボマスターの
対談を通じて、両者を引き合わせたのも「クイック」だったのよね(今もその号、
手元にあるけど)
渋谷系からフォークまで幅広かったが、「あんな雑誌さっさと廃刊しろ」世間から
ぶっ叩かれりゃ、まあしょうがないかあそこまでの騒動になった以上は・・
>>495
元フォークキャンパーズのリーダーをやっていた鈴木君が三番をつけてくれました とのこと 現代版の「ヘライデ」を望んじゃいけないんだろうな‥
うちがナンボはよ 起きても
お父ちゃんのマラ 膣トントン打ち込んではるw
石原慎太郎がなくなったが、くそくらえ節の中でしぇい年(青年)の国を造るため
とか言って国会議員出馬のことを揶揄ってる
まあ初期の歌が好きな恥ずかしい奴だけどさ、3ケ月で3つしかなかったから
つい書いちゃったぜ
心の地図を静かにたどれば
深く埋もれたあなたに会うだろう
>>503
俺も好き。
あの頃のポップス調の肩の力の抜けた感じ、いいよね。
神様って崇められたり、田舎に籠るほど音楽性に悩んだり、エンヤトットとかと比べて、
な〜んにも考えてなく、ま、生活のために出しときますかって感じ(あくまで私見ですが)が逆にいいんだよな。 客「泉谷!」「泉谷!」「泉谷!」
岡林「俺は誘拐犯じゃない!」
会場内大爆笑
コンサート:街はステキなカーニバル
(芝郵便貯金ホール)
私を断罪せよ でエレキで2曲弾いてた中川イサト逝去
わからんのは見前にとべでも今日をこえてをやってるよな
あれはいらない、
今夜は朝まで踊りましょDVDをゲットした
岡蒸気の音源と被りまくり?
近況は、今の時点では4月ぐらいまででしょうか。
時は流れ、中津川世代の方々もかなり鬼籍に入られ、拓郎も引退、
同世代で若い連中とフェスなどで元気なのは泉谷と(系統は少し違うが)
小田和正ぐらいでしょうか(山下達郎とかは、少し下のほうの世代か)
御大は特に大病の経験も無いと思うので、畑でも耕しながらゆっくりと
やってほしいですな。
数十年の間も、未聴のアルバムのほうが多いので存命の間にまとめて
購入できればいいか・・と思っとります
岡林ファン歴33年大阪在住の54才の男です
オリビアニュートンジョンが亡くなりました
岡林のファンになって間もない頃に初めてコンサートに行った時に(京都府亀岡市民会館)「オリビアに」を聴いて、この曲が大好きになりました
と同時に岡林はこの曲をどんな女性をイメージして作ったんだろう?奥さん?娘さん?以前付き合っていた女性?それと何故この曲のタイトルに「オリビアに」って付けたんだろうという疑問が湧きました
後年、パソコンが普及してネットでいろいろ調べて見ました
岡林が1970年頃に付き合っていたタレントのY・Hではないか?という情報も有りましたが結局はわからず終いでした
時を経て、2015年8月に大阪府高槻市で行われた岡林のコンサートに行きました
自分にとって岡林の18回目のコンサートでした
第2部の1曲目に「オリビアに」を唱い、その直後に「オリビアに」は誰をイメージして作ったのか?また作った時の心境など詳しく話してくれました
自分は「オリビアに」はある女性をイメージして作ったとばかり思っていましたが、なんと!岡林の口から飛び出した答えは父の岡林勝治氏をイメージして作ったとの事でした
当時、新しいアルバム(セレナーデ)を制作するにあたりラブソングを1曲作ろうと
その時に幼い頃、父親から聞かされたある話を思い出したそうです
父親はすごく背が低くて、その事に凄くコンプレックスを抱いていた
そして見栄を張って自分を大きく見せようとよく高下駄を履いて街を歩いていた
その高下駄すら上手く履く事が出来ずにしょっちゅう転んでいた
そんな事が続くうちに父親は「自分は何故見栄を張って自分の体を大きく見せようとしているんだ。背が低くて何が悪いんだ、もう見栄を張る必要は無い、高下駄を履くのは辞めよう」
この出来事は父親が後に牧師になり教会を建てるきっかけの一つになったそうです
「オリビアに」の3番の歌詞にある「本当は普通の可愛い子、君は背伸びをした、高いヒールの足が折れ何度もつまづいた」
はまさしく高下駄を履いて転んでいる父親の姿をイメージした
岡林の話を聞いて「いろんな歌の作り方があるもんなんだな〜」と思ったと同時に「オリビア=岡林勝治氏」という事が判り長年の疑問が解けてスッキリしました
でももう一つの疑問、この曲のタイトルが何故「オリビアに」なのか?はまだ判っていません
ここまで来たら直接岡林本人に直接聞くしかない
コンサート終了後に出待ちをして岡林に会う事が出来てサインを頂いたり、一緒に写真を撮って頂いたた際に質問をぶつけました
岡林から帰って来た答えは「タイトルはそんなに深く考えてないよ。自分に取って父親の存在は凄く大きいんだけど、その父親の存在を大きく上回るぐらいの絶世の美女の名前をタイトルに付けようと思って当時人気のオリビアニュートンジョンから引っ張って来ただや。別にキャサリンでも何でも良かったんや」
長文の連投スミマセンm(__)m
そうだったのですか
私は完全に、あの曲は同郷の奥さんへのラブソングだったと
思っていましたが・・まあ、そう思ってたとしても
「べつにええよ、それはそれで」言わはるでしょうけど
>>522
54歳!なんと若い岡林ファン!w
33年前ならエンヤトットの頃か。 >>522です
>>525
おっしゃる通りです
岡林は自著で「あの娘と遠くまで」を例に挙げて「あの娘って何に置き換えてもいいんだ、聴く人が自由に受け止めて楽しんでくれればいいんだよ」と言うてますし
>>526
33年前は岡林がエンヤトットスタイルをやり始めた頃ですね
エンヤトットスタイルの第1号アルバム「ベアナックルミュージック」が発売される少し前です
岡林のコンサートに初めて行ったのは21才の時ですが高校一年生の頃からいろんなフォーク系中心にいろんなミュージシャンのコンサートに行ってます
自分より若いお客さんは見掛けたことがないです(笑) >>527
エンヤトットやる直前の、アコギ一本で独り全国ドサ回りやってた頃の岡林が一番好きだ。 >>528
>>527です
1984年6月から開始した「ベアナックルレビューツアー」ですね
お客さんが最低200人集まればギター1本抱えて何処でも行きます!は良いのですが、週刊ぴあで僕の地元大阪府下で何ヵ所かコンサートが行われる情報を知って主催者にTELしてもキャパ200人の会場が続いていたのか「すみませんチケットは前売り券完売しました」との返事ばかり
やっとこさ初めて行ったコンサートが京都亀岡市民会館でした 【アーティスト】南條時雨
【タイトル】RUNNING TO THE SUN
【ジャンル】Pop
【スタイル】Acoustic
【使用音源】Guitar
【YouTUbe】ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
今日 NHKーBSでふたりのビッグショー 「岡林信康 ・泉谷しげる」がやるぞ。