日本にとっては、朝鮮半島の「核」は、実は当座の話題でしかない。日本の人々が絶えず慮(おもんぱか)るべきは、「そもそも日本にとって、朝鮮半島とはどのような空間か」ということである。
≪韓国を覆う「西欧世界」の表層≫
「朝鮮半島は事実上、中国の一部であった」。去る4月、習近平中国国家主席は、フロリダでドナルド・J・トランプ米国大統領との米中首脳会談に臨んだ折、こう語ったと伝えられる。習近平主席の発言は、特に韓国メディアの批判を浴びたものの、「文明」の観点に限って評するならば、彼の認識は決して誤ってはいない。
梅棹忠夫(生態学者)が1950年代後半に発表した「文明の生態史観」学説でも、サミュエル・P・ハンティントン(政治学者)が90年代前半に披露した「文明の衝突」仮説でも、朝鮮半島は「中国」文明圏域の一部として位置付けられているのである。それは、この2つの学説で日本が独立した「日本」文明圏域を成していると説明される事情と比べるとき、確かに対照的である。
ちなみに韓国は、文明の構造上、日本による植民地支配と朝鮮戦争後の米韓同盟の樹立の結果、「中国」文明圏域としての厚い底層の上に、日本、そして米国を含む「西欧世界」の二重の文明層が表層として薄く乗っていると説明できる。
従来、韓国保守政治指導層は、さまざまな政策展開に際して、その文明上の「薄い表層」が剥がれ落ちないように腐心してきた。「中国」文明圏域の特色としての専制による統治が金日成執政期以来、現在に至るも続く北朝鮮に比べるとき、第二次世界大戦後の韓国が北朝鮮と異なる道を歩み得た所以(ゆえん)は、その文明上の「薄い表層」にこそ反映されている。
≪「あちら側」に向かう文大統領≫
然るに、韓国政治の文脈で進歩派に位置付けられる文在寅韓国大統領は、そうした「薄い表層」を保つことには決して熱心ではない。朝鮮半島におけるナショナリズムの本質は、結局のところは、「中国」文明という「厚い底層」に拠(よ)りつつ、その文明圏域の内で永きに渉り「自主の立場」を貫いてきたという意識にある。
文在寅大統領が「親中・傾北」色を指摘される一方で、強烈な「コリア・ファースト」主義の徒であると説明される事情は、この「朝鮮半島ナショナリズム」の本質を踏まえる限り、決して不思議ではない。
事実、文在寅大統領は過般の「光復節」演説中、「朝鮮半島で再び戦争があってはならない」という認識の上で、「朝鮮半島での軍事行動は韓国だけが決定でき、誰であっても韓国の同意なく軍事行動を決定することはできない」と強調した。こうした姿勢は、明らかに「朝鮮半島ナショナリズム」の発露を示すものであっても、戦後韓国の「自由と繁栄」を担保した文明上の「薄い表層」を保つことには何ら結び付かない。
故に、仮に今後、北朝鮮情勢と米中関係の行方に応じて、文在寅大統領が「朝鮮半島ナショナリズム」を刺激する政策展開に走るならば、それは、米韓同盟の空洞化と日韓関係の希薄化の加速を促すことになるであろう。そして、それは、日米両国を含む「西方世界」のネットワークの観点からは、韓国が「あちら側」に去っていくことを意味する。
このようにして、韓国が「あちら側」に去った後、どのような風景が出現するのか。筆者が日韓関係に関して確実に指摘できるのは、従来の日韓関係の宿婀(しゅくあ)であった歴史認識案件はおおかた、落着するであろうということである。
≪主張の「説得性」は乏しさを増す≫
日本にとって、対韓歴史認識摩擦の激化が招いた弊害は、米国を含む「西方世界」での声望が、それによって毀損(きそん)されたということにある。メディアにせよ学術にせよ法にせよ、当代国際社会における「規範」と称されるものは大概、「西方世界」のものが下敷きになっている。対韓歴史認識案件は、韓国が納得しようとしまいと、「西方世界」を納得させれば、それで日本にとっては諒なのである。
韓国が「あちら側」に去ってしまえば、「あちら側」に去った韓国と「こちら側」に立ち続けた日本とでは、米国を含む「西方世界」にとって、どちらが信頼に値するのか。それはあえて語るまでもない。
http://www.sankei.com/column/news/170901/clm1709010006-n1.html
(続く)
≪韓国を覆う「西欧世界」の表層≫
「朝鮮半島は事実上、中国の一部であった」。去る4月、習近平中国国家主席は、フロリダでドナルド・J・トランプ米国大統領との米中首脳会談に臨んだ折、こう語ったと伝えられる。習近平主席の発言は、特に韓国メディアの批判を浴びたものの、「文明」の観点に限って評するならば、彼の認識は決して誤ってはいない。
梅棹忠夫(生態学者)が1950年代後半に発表した「文明の生態史観」学説でも、サミュエル・P・ハンティントン(政治学者)が90年代前半に披露した「文明の衝突」仮説でも、朝鮮半島は「中国」文明圏域の一部として位置付けられているのである。それは、この2つの学説で日本が独立した「日本」文明圏域を成していると説明される事情と比べるとき、確かに対照的である。
ちなみに韓国は、文明の構造上、日本による植民地支配と朝鮮戦争後の米韓同盟の樹立の結果、「中国」文明圏域としての厚い底層の上に、日本、そして米国を含む「西欧世界」の二重の文明層が表層として薄く乗っていると説明できる。
従来、韓国保守政治指導層は、さまざまな政策展開に際して、その文明上の「薄い表層」が剥がれ落ちないように腐心してきた。「中国」文明圏域の特色としての専制による統治が金日成執政期以来、現在に至るも続く北朝鮮に比べるとき、第二次世界大戦後の韓国が北朝鮮と異なる道を歩み得た所以(ゆえん)は、その文明上の「薄い表層」にこそ反映されている。
≪「あちら側」に向かう文大統領≫
然るに、韓国政治の文脈で進歩派に位置付けられる文在寅韓国大統領は、そうした「薄い表層」を保つことには決して熱心ではない。朝鮮半島におけるナショナリズムの本質は、結局のところは、「中国」文明という「厚い底層」に拠(よ)りつつ、その文明圏域の内で永きに渉り「自主の立場」を貫いてきたという意識にある。
文在寅大統領が「親中・傾北」色を指摘される一方で、強烈な「コリア・ファースト」主義の徒であると説明される事情は、この「朝鮮半島ナショナリズム」の本質を踏まえる限り、決して不思議ではない。
事実、文在寅大統領は過般の「光復節」演説中、「朝鮮半島で再び戦争があってはならない」という認識の上で、「朝鮮半島での軍事行動は韓国だけが決定でき、誰であっても韓国の同意なく軍事行動を決定することはできない」と強調した。こうした姿勢は、明らかに「朝鮮半島ナショナリズム」の発露を示すものであっても、戦後韓国の「自由と繁栄」を担保した文明上の「薄い表層」を保つことには何ら結び付かない。
故に、仮に今後、北朝鮮情勢と米中関係の行方に応じて、文在寅大統領が「朝鮮半島ナショナリズム」を刺激する政策展開に走るならば、それは、米韓同盟の空洞化と日韓関係の希薄化の加速を促すことになるであろう。そして、それは、日米両国を含む「西方世界」のネットワークの観点からは、韓国が「あちら側」に去っていくことを意味する。
このようにして、韓国が「あちら側」に去った後、どのような風景が出現するのか。筆者が日韓関係に関して確実に指摘できるのは、従来の日韓関係の宿婀(しゅくあ)であった歴史認識案件はおおかた、落着するであろうということである。
≪主張の「説得性」は乏しさを増す≫
日本にとって、対韓歴史認識摩擦の激化が招いた弊害は、米国を含む「西方世界」での声望が、それによって毀損(きそん)されたということにある。メディアにせよ学術にせよ法にせよ、当代国際社会における「規範」と称されるものは大概、「西方世界」のものが下敷きになっている。対韓歴史認識案件は、韓国が納得しようとしまいと、「西方世界」を納得させれば、それで日本にとっては諒なのである。
韓国が「あちら側」に去ってしまえば、「あちら側」に去った韓国と「こちら側」に立ち続けた日本とでは、米国を含む「西方世界」にとって、どちらが信頼に値するのか。それはあえて語るまでもない。
http://www.sankei.com/column/news/170901/clm1709010006-n1.html
(続く)