https://news.yahoo.co.jp/articles/83fb5942004e48e4788418140a151d839dbf0365
千葉県・房総半島沖で1000年ほど前に未知の巨大地震があり、九十九里浜一帯が大津波に襲われた可能性があると、産業技術総合研究所などのチームが発表した。
地震の規模はマグニチュード(M)8・5〜8・8で、当時の海岸線から3キロ・メートル前後まで浸水したと推定されるという。
澤井祐紀・同研究所上級主任研究員らが、九十九里浜の3地点142か所を掘削して地層を調べたところ、津波で運ばれた砂や生物の化石などが堆積(たいせき)した新旧二つの層が見つかった。
化石の年代測定の結果、新しい層は、江戸時代の1677年か1703年に起きた地震による津波のものと推定された。
一方、2地点で確認された古い層は、平安〜鎌倉時代の800〜1300年頃のもので、該当する記録がないため、未知の地震の津波と判断した。
さらに、当時の地形などをもとにコンピューターで津波を再現したところ、実態がよくわかっていない房総半島沖の海底断層が震源だった可能性も浮上した。
現在の地形だと、同じ規模の地震が発生すれば高さ約5メートルの津波が海岸線に到来するという。
房総半島の北には日本原子力発電の東海第二原発(茨城県)がある。同原発は原子力規制委員会の安全審査に合格しているが、規制委は
「一般論として、新しい知見が出てくれば扱いを検討することになる」とコメントした。
成果をまとめた論文は、英科学誌ネイチャー・ジオサイエンスに掲載された。
政府の地震調査委員会の平田直(なおし)委員長(東京大名誉教授)の話
「房総半島沖では江戸期以外の大地震は知られておらず、重要な報告だ。より広域を調査し、震源などを特定する研究が必要となる」 >>1
東京と大阪は気をつけないと
ソドムとゴモラみたいにならないように >>4
海面が5メートル上がると思えばいいから沿岸部全滅だな これってやばくないか?ルパン三世で例えるとどんな状況だ?
1000年前なら普通に文献記録とかないのかねぇ…。
平安時代だけど。
1000年前なら記録がないのはおかしいだろ?
測定が
間違いだからだよ
>>11
パヤオが死んで庵野がシン・カリオストロ作る > 房総半島の北には日本原子力発電の東海第二原発
結論ありきのやらせ調査だろうな
東日本の震災の時も千葉結構
被害すごかった様な
木更津とかだったかな
>>21
なんでハングル教えてくれなかったの?(´・ω・`) >>9
均一にはならないと思うから、その認識は少し間違っている
場所によっては、地形により5メートル以上、波が上がるんじゃない? 東日本大震災が教訓となって、来たとしても死者は100人もいかないだろう
これは実際に来て想定外って言う流れ
対策しようって運動多分起きてないだろ。
歴史的に食らった記録が無いから、当事者なのになぜか人ごとになっちゃう。
3.11の半年前に学会で仙台平野で海岸から5キロまで津波の痕跡があるって発表があったんだよな。この発表は新聞に載ったし東京電力にも絶対に報告が行ったはず
結果はご存じの通り
千葉は平地なので、5mでも、終わる。海岸から10キロ以上の所でも完全にしずんだ
いい加減40年前の原発使うのやめてよね
>>1
民主党政権が津波対策法を審議拒否したせいで福一は爆発したけど、東海村は直前に防水工事が終わっててぎりぎり助かった >>31
普通に人住んでる
平安辺りだと地方扱いだけど関東は縄文時代からずっと人口多いよ >>39
お前理由がめちゃくちゃ
科学的に整理しておいで、文系バカには無理だろうけどwwwwwwwww 未知とかw
東京や東北の大学の連中は地元を調べず
西日本ばかり研究してるw
調べたくないんだよ
日本の太平洋側はどこが大津波に襲われてたって全然驚かんわ
海洋性地震の元のプレート運動があるのだから謂わば至極必然
地球レベルで地殻変動が起きてるから、
プレート境界上の日本はマジでヤバそうだな
>>1
あー覚えてる覚えてる
あの時のビッグウェーブに乗り損なったから今ここにいる >>54
まあその上にあるのが日本で唯一首都圏なんだよなw
発生時刻:2021/09/25 17:51
マグニチュード:0.3
深さ:2.3km
今日夕方に
富士山のマグマ溜まりがある真上で起こった地震
浅いから気になる 生きてるうちには来そうにないな
こう言うのが出たら、まずこない
>>57
あのね
文字が書けるのは貴族と寺社だけなのよ
だから残ってないなんておかしいの >>11
1,000年前に俺が来なかったか?
バカヤロウそいつがルパンだ! >>39
あべちゃんが防波堤拒否したって聞いたぞw >>35
もうちょっと前からだよ
1990年代には論文があって2005〜2009年に大規模調査で確定 東日本大地震の4年後の2015年5月30日に
小笠原沖でマグニチュード8.5の大地震があった
>>57
文字の読み書きできない農民が多いし、
そのレベルだと後世の為に記録にそもそも残そうとしないんだろうな(今も同じ)
それでも、古文書とかお寺の記録とか丁寧に探せば、津波や地震らしい記録が残っていそうだけど 千葉にはチバニアンがあるから古い土地なんだろうなあとは思う
記録が残ってないって1000年前は東京あたりだって人住んでなかった時代なんだから
千葉の海沿いの辺境の地なんかにはそんな人住んでなかったんだろう
まあ住んでたとしても豪族みたいなのいなくて字で残すとかできなかったのでは
その頃は西日本にしか文明はなかったから文献が残ってないの?
平安から鎌倉って…
とくに鎌倉時代なら幕府が鎌倉なんだから「未知」ってことはないだろ?
>>12
東日本大震災は海が山に入り込んだ地形の三陸地方を津波が襲ったからより高くなったんだろ
東日本大震災でも仙台平野のあたりは5メートルもあったか微妙だろ
千葉なら山がないから仙台と似たようなもんだと思う 今の地形で5mが押し寄せた場合のハザードマップみたいな
数年前にミヤネ屋かどっかで
やってたけどな
房総半島にある寺の鐘が津波に襲われて15m高いところで発見されたと
津波の高さが15mということだが
そりゃ東北沖との同じで
日本海溝が千葉沖にもあるからな
津波起きてて当然のこと
>>24
当時木更津駅周辺に住んでたけど確かに停電やら道路の冠水やらあったけど
ちょっとした山が多くて津波被害は言われるほどではなかったよ自分の体感だけどね
逆に言えば離れてる東日本大震災の影響ですら生活基盤の麻痺っぷりやばかったから本格的な地震きたら多分死人でまくると思う
そのくらい防災面が貧弱、台風ですら麻痺するレベル 太陽弱って南極氷溶けて2030年から氷河期来るといわれてる。
その前に世界的に大津波で沿岸全滅らしい。
NASAがもう情報掴んでるらしい。
デイアフターツモローまんまらしいで。
おかしいな
日本で起きるはずなのに起きないなんて
挙句に呪ってる国で災害が起きるなんてさ
そのまま死ね
>>13役人や坊主が文書に記しても1000年の間に消失してしまうから大変だねえ その辺詳しい学者とかは日本海側に移住検討してるみたい。
関東は大きい古墳も多いし仏教の受容も早かったぞ
人はたくさんいた
9世紀の日本は天災で滅茶苦茶だったから。
貞観地震から富士山や十和田や南海だの日本滅亡クラス
ハリケーン、温暖化、地震、火山噴火
おかしいなぁ他国で起きるんだよな
死ねよ
海から1〜2kmくらいのところに
津波がここまで来たみたいなのあった気がするけど
それとは別物?
地震でも津波でも記録残ってそうだがな
地震が無かったなら海外の巨大地震が発生源だろう
M8はヤヴァイ
サイクルくるかもな
>>83
千葉は震災対応脆弱だからなぁ コンピューターで津波を再現したと言うけど 現実はデータを入力した人間の 手加減でどうにでもなる
>>65
いつか来るんだろうな。
自分はこの大きな津波の再来を見る事ができるのだろうか?
と貞観のロマンを感じてたら、まさかほんの数年後にこんな事になろうとは思わなかったよ。 暇な時に日本列島を見てみると、千葉とか静岡みたいな真っ直ぐの海岸線って津波に何度もやられて出来たんじゃないかと思ってる
北海道の釧路辺りの海岸線も真っ直ぐだ
日本を呪ったやつは既に呪われてるのだから富士山噴火させたければ山頂に群がって暮らせばどうだ?
>>108
311で東北の海岸線が変わったか?
海岸線を侵食するのはたゆまぬ日々の波潮の積み重ねだよ >>35
備えあれば、だな。
遠州灘でも津波に備えて、浜松市南区の海岸線沿いは
団地の撤去、大規模堤防の築造など進めてる。
ほかの海岸線沿いで大規模にやっているところあるのだろうか? 房総なんか海岸沿いの地層がメチャメチャにひっくり返ってるじゃん。
カタストロフィクラスが1000年おきに起きているんだろう。
そろそろだ。
これと関連あるかな
延暦十八年(799),常陸の国(茨城県)で朝から夕方まで15 回津波がありましたが,
どこから来た津波か分からない.(1420年の静岡は4時間で9回)
銚子の群発地震と、沖にあるプレート三重点が気になる。
15回の津波というのは、場所だけではなく、発生機序が普通の地震と全く違うのだろう。
発生機序と言えば、1586年天正地震と1614年高田領地震について、今の日本の地震学は
多くの記録を「あり得ない」と排除している。発生機序を見直した方が良いと思う。
それ貞観地震(東日本大震災クラスともいわれる東北地震)の可能性も
今から1000年後に様々な記録は残ってるんだろうか
>>108 >>115
津波が原因かどうかはともかくとして、津波の被害を受けやすいのは確か。
釧路、千葉、静岡は今後30年以内の津波到達確率は60-80%位だったと思う。
500年に1回としても10万年に200回、100年に1回なら1000回だ。少しは影響するだろう。
浜名湖の今切は1回の地震で破れて、海と湖がつながった。
>>81
津波のパワーでV字型の地形を登るヤツだな。
もともと15Mだったわけではない。 縄文時代くらいまで海だったとこには基本的に住まないようにしてたのかね
誰も記録してなかったのかよ
土人しか住んでなかったのか
ウェイの民が津波に乗る俺様カッケーな写真を取りに湾岸に押し寄せるから津波後の世の中は少し良くなる
>>100
海外の地震というのはチリ地震やカスケード地震の例から考えつく。
しかし津波14回とか9回とかが一つの地震で来た例もある。遠地とは考えにくい
今考えらのは、父島付近の日本海溝地震や鴨川沖三重点の3プレート同時破壊地震くらいか。
当時人口少な過ぎて大した被害無かったんじゃねーの?
>>35
産総研がその発表をしたのは2007年
2011年の夏頃にはそれを元にした防災対策やハザードマップを
自治体に提言する予定だったはず 1000年てついこの間じゃん
つまりあと数千年はないな
記録残ってないの?日本人は昔から記録カキコする方だけどアメリカで大昔に大地震が起きて正確に何年前か解らなかったが日本にその津波が来てたのが記録に残っていたからね
文献に記録がないとなると実は日本近傍での地震じゃなく、
南米での大地震→津波というチリ地震のパターンな気がするなーこれ
県単位なら一番古墳の数多いのは千葉か茨城らしいから、人口はそれなりに居ただろ
西暦1000年あたりは藤原道長が権勢をふるっていた頃
記録ないのかね
>>137
九十九里で5mが来ると入り組んだ東北では… 南海トラフで実家が津波33メートル予想だから、5メートル言われてもなぁ
気候変動で九十九里浜も消えるよ1970年ころの半分の大きさの砂浜しかない
人口はまだ少ないし海岸から5メートルなんて利用してなかったんよ
>>137
だわな
チェホンマン二人分だろ?
余裕で倒せブクブク… >>5
なんらかありそうな気はするけどねえ
でも、800年代と1300年代じゃあだいぶ色々違ってきそうな気はする >>68
東日本大震災でも茨城沖くらいで割れが止まってるんだよね
貞観地震でも同じだったとすれば近いうちに来るかもしれんな たったの5mかよ、俺の足首辺りの高さだから問題ないわ
低いね
太平洋岸の他の地域だと15から20mクラスの津波に備えているのに
1054年の超新星については記録あるのにな
後冷泉院・天喜三 (1054)年四月[五月]中旬以後の丑の時、客星費(し)・
参(しん)の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に李 (はい)す。
>>5
ジャップはどんぐりだぞ
高度な文明があったのは大韓民国だろうなあ >>1
関東のど田舎で5m程度の津波か〜
記録はなくても不思議はないな 1300年代なら鎌倉幕府が何らか残してそうだが、800年代ならまだ蝦夷とかがいた頃か?
>>148
高さが2倍ということは重量は4倍
チェホンマン4人に上からプレスされるようなものか 山間部に到達した津波は
船戸や浪など地名に残ってる
>>81,125
遡上の最高地点に残されたのではなく
引き波の途中でひっかかって残ったなら
津波はさらに高い可能性あるしな 未知の巨大地震が中国で発生したら三峡ダムが一気に決壊する大きなチャンスになるのに。
噴火津波の可能性もあるね
伊豆小笠原の海底火山は破局噴火をかなりやってるはず
先日の福徳の噴火は凄かったが 未知の地震というものはそもそも無い
千島海溝、日本海溝、伊豆小笠原海溝、
相模トラフ、駿河トラフ、南海トラフ、琉球海溝
これ全てがプレートで沈み込む
つまりこの沈み込む場所全域、地震が起こる可能性が極めて高い
プレートの中でも、太平洋プレートの動きが一番強いと思われる
太平洋プレート西側のフィリピン海プレートも、
太平洋プレートの動きの圧力で、元々北への動きが北西方面へと歪められたとされている
真東から動く太平洋プレートの圧力で、中央構造線という
日本の東西を走る世界第1級の活断層が東西に動くのも間違いないけど、
いつ動くなんてのは誰にもわからない
もともと千葉って離島だったからな
東京の隣ですみたいな顔してるけど殆ど隣接してないし東京湾沿いも工場だらけの埋立て地だし地図から消えても違和感ない
実際九十九里沿岸の街道や主要な集落が台地の麓に沿って形成されてるから、そのあたりまで津波が来てたということでもあるんだよな
>高さ約5mの津波が到来
サーファーが泣いて喜ぶなw
>平安〜鎌倉時代の800〜1300年頃のもので、
>該当する記録がないため、未知の地震の津波と判断した。
結構ね、関東圏の歴史ってね中世とかは???なんですなあ。
いや、ウリが知らないだけなんだけど、こういう大災害でも
歴史が残らないってのはまああの時代だよね。
記事では東大名誉教授も「房総半島沖では江戸期以外の大地震は知られておらず」と
コメントを残しておりますがね。江戸になってやっとですよ。
つまり歴史が残るためには文字資料がいるわけですよ、基本的に。
まあそれが以外の理学工学考古学なところから調べることも可能だけど、
まさに>1のように。
で、800〜1300年頃の千葉県つったら当時は平将門公が覇を唱えたり
頼朝公が逃げてきたり鎌倉幕府が出来たころで、
あんまり文字が読めそうな人士、どれだけいたんすかね。
鎌倉武士団なんて高位でも相当識字は怪しかったっていうけどさ
語られないものはどれだけの大事件でも残らないんですなあ。
まあ、千葉県はね、江戸以前はガチの陸の孤島で、
京都から来るにはね海路が必要、だから南側が上総で北側が下総ですが
そういうね、ガチの盲腸県でございますから、あまり記録残らないっすね。
でも、これは千葉に限った話じゃなくて、京洛から遠い地においてはね
結構秘められた大災害、あると思うよ。
極端な話、集落が全滅すれば語るものもいないわけでね。
死して屍、拾うものなし。ついでにいえば語るものなし。
>平安〜鎌倉時代の800〜1300年頃のもので、該当する記録がないため、未知の地震の津波と判断した。
さすがに鎌倉幕府が成立していれば記録に残っているんでないの?
千年前の貞観地震の何年後に起こったが重要だ。10年前の地震の歪がそろそろなんかする頃か?
>>171
元々超のつく過疎地域だから記録なんて無いんじゃね 九十九里浜からどこまで津波がやってくるのかが大事だろ!!
>>116
地層の逆転は、カタストロフで起きるのではなく、
何万年〜何百万年もかけて、2〜3の地殻が
ぶつかり合って出来るものだ。
>>120
つーか、東日本大震災は、第二次貞観地震。
あそこは1000年ごとに起きている。
>>160
>>148
マジレスすると、高さが2倍で、後ろ方向は海方向にずーっと続いているわけだが。
こうじゃなくて
←人
←人
こう
←人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
←人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人 貴族や武士の日記が少しは残っている気もするがなあ
あいつら凄く筆まめだったから
房総とかいわき、静岡、高知、宮崎とかにある長い砂浜の海岸線が
実は繰り返す津波によって形成された津波地形って可能性はあるのかな
>>181
地震による隆起と地割れと液状化で
隙間が出来た沿岸部の地盤が波浪で侵食されやすくなったとかね >>73
関東はアイヌ系の蝦夷が住んでたんじゃないの? >>108
地図に現れてる不自然な直線は断層崖ってタモさんがゆってた >>5
1000年前の関東ってカオスだったから微妙。 千葉沖って地震多いもんな
関東の地震ほとんど千葉か茨城の海な気がする
800年代がかかるようだと、じょうがん地震津波ちゃうん?
>>189
貞観地震の津波なら逆に記録が残ってるんじゃないかな
安房の国が何百里にも渡って水没したとかなんとか >>156
>大韓民国
1948年に出来た国家が1000年前にあるわけねーだろ。
>>177
今とは全然地形が違うから、今の参考にはならんよ。 関東東北なんて16世紀の室町時代verの東日本大震災だって記録が残ってないくらいだし
>>11
不二子ちゃんのおっぱいにシリコンバッグが入ってることが判明 関東って平野だから昔の人は攻め放題、盗み放題なんだよ。
だから荒くれものしか住んでなかった。
アラスカから八丈島南方まで一気に炸裂すれば夢のM10も可能
>>128
目撃者含めて全滅したら
記録どころではないぞ 鎌倉以降なら記録に残るんじゃないかな
うちの先祖は九十九里の東端の旭市だけど、鎌倉時代からの地域の歴史がお寺で保存されていると聞いたことがある
平将門の時代頃前後に起きてたのならなんとなくわかる話ではある。それなら資料残ってないかもな
>>84
何で氷河期で南極氷が溶けるんだよ。むしろ逆だろ? まあ、ぴりっとするために一発来てもいいのかな。政権交代すれば確実にきそうだけど。
>>192
>886年6月29日(7月3日)(仁和2年5月24日) 伊豆諸島噴火。安房の国で降灰と地震(『日本三代実録』)
貞観地震の後、相模・武蔵の地震と島根の地震後には記録があるな >>198
いやー。
東日本大震災とかの記録もさ、別に死人が書き残したわけじゃなくてさ…。
あとで現地を見た生存者が書き残すもんだよね。
死体が打ち上ったり沿岸部の街が壊滅したのを、誰も知らず、
誰も記録にも残さないなんてことがあるんだろうか。 時期は菅原孝標女の更級日記から数十年前までは除外できるか
9,10世紀くらいだった場合はまだ例えば千葉氏とかその後歴史の表舞台で活躍する一族
とかも入植してないか本腰入れて地盤築いてないだろうし記録残ってないんだろうな。
地震津波原発水害 あと一つカルデラ噴火 遂にクインテット完成
>>206
当時はそこまで、識字率高くないし残っても現地人の記録口伝くらいなんじゃないの。もちろん
現地で対応とった場合とか国衙から都に報告はいくだろうけどそれが残るとは限らないし。
東北の869年にあった貞観地震って、日本三代実録に載っているもので多分それ以外はまとまった
文献資料ないんじゃないかね。で、日本三代実録がカバーしているのが9世紀後半までで
それ以降正史が編纂されなくなったので記録が残っていなくても不自然ではない気もする。 >>173
行商や漁師が訪れて、村が壊滅してるのを見て報告を入れてるやろ
海抜5mとかで見ると、春日部とか海の底やで、あの辺りから東は大湿地帯だったはず >>216
使えるけど?
発見できてないだけで、事実や事象としては存在してる。 砂浜越えたらずーっと平らなので外房線くらいまで行くかもな
波乗り道路がどれだけ防いでくれるか
高い建物殆ど無い
>>7
もうね時代は変わり変わって今は平成って言う元号なのね。
いつまでもフラフラしてないで早く成仏して下さいね。 あのときは大変だった。
5メートルの津波から必死に逃げた。下駄は走りにくかった。
>>208
義経は平泉で保護されてたし、頼朝に追われて石川県に有る安宅の関を越えて、平泉に逃げ込んでるから
あの辺りまでは開拓済みなんじゃね、だから津波の記録が残ってない方がおかしいだろ
九十九里浜だけなはずも無し、鹿島灘や東京湾へも津波は来てたはずだしね >>223
高知も千葉も長い年月で何度もの津波襲来でできた平野じゃないのかな 鹿島神宮、香取神宮はとっくに成立してたし記録あると思うけどなぁ
>>226
いや、奥州の平泉が12世紀時点で開発されているかといって上総の九十九里浜が
9,10世紀あたりに開発されているとも限らないだろ。武士団の分布からいって
東海道沿いから開発されていた感じがするので、九十九里浜あたりの開発進んだの
結構遅くても不思議ではない気がする 正嘉地震だろ
震源地は相模トラフが想定されてるが東北にも津波の伝承があるから房総沖が震源でもおかしくない
平安時代なら関東の記録は少ないが鎌倉時代なら吾妻鏡に記載されてないとおかしい
ちょっと調べれば巨大津波の痕跡が出てくるし記録も残ってるのに
何で福島原発事故の裁判は想定できなかったって無罪判決が出たんだろう
東海・東南海・南海地震 年表
600 .┤
│
700 .┤----684 白鳳--- ----- ? ------ ----- ? ------ M8.0 - M8.3
│
800 .┤
│
900 .┤----887 仁和--- ----887 仁和--- ----- ? ------ M8.0 - M8.3
│
1000┤----- ? ------- ----- ? ------ ----- ? ------
│
1100┤---1099 康和--- ------ ? ----- ---1096 永長--- M8.0 - M8.5
│
1200┤----- ? ------- ----- ? ------ ----- ? ------
│
1300┤
│---1361 正平---.=.---1361 正平--- ----- ? ------ M8.0 - M8.5
1400┤
│
1500┤---1498 明応--- ---1498 明応---.=.---1498 明応--- M8.2 - M8.4
│
1600┤---1605 慶長---.=.---1605 慶長---.=.---1605 慶長--- M7.9 - M8.0
│
1700┤---1707 宝永---.=.---1707 宝永---.=.---1707 宝永--- M8.6
│
1800┤
│---1854 安政--- ---1854 安政---.=.---1854 安政--- M8.0 - M8.5
1900┤
│---1946 昭和--- ---1944 昭和--- M7.9 - M8.0
2000┤
└──────────────────────────────────
南海 東南海 東海 規模
>>84
デイアフタートゥモロー(と、その元ネタのレポート)は、
地球温暖化のせいで氷が解けて真水になり、海流(塩水)の
循環の障害となって、南からの暖かい海流がニューヨークまで
行かなくなって、ニューヨークが凍る、という話だぞ。
>>229
山というのはだな、火山以外は、何万年とか何億年もかけて
地殻が歪んで出来た「しわ」なんだよ。
他のプレートに ぶつからないでいたプレートには山が無い。
それだけ。
>>230
「平野(山が無い)」と「海岸線の形」は別の話だ。 そんなでかい地震あったら、千葉県に住んでた藤原孝標の娘が更級日記に書いてたはず
>>235
従来の定説を大きく超える津波だったと
わかったのが2007年とかなんで。
とはいえ、電源くらいは さっさと移設、もしくは
対応策を立てるべきではある。 地下に影響するから黙っておけよ。
何かあれば住む奴の自己責任なんだしよ。
>>5
どうも大きな津波が頻繁に来る地域で昔の記録が残ってないのって
新しい津波で流されちゃったり水かぶっちゃったりしてダメになっちゃったかららしい >>166
鴨川の帰りに寄ったけど結構な秘境だよな
トレッキングしたい 地球を人間の寿命に換算すると
せいぜい1分前くらいの出来事だな
アメリカだと300年前のM9地震の記録すら存在しないんだってな
むしろその津波をくらった日本側に記録が残ってるとかいう
東京湾も海沿いヤバくね?
東海第二原発が福一になりそうな方がヤバいけど
>>1
>2地点で確認された古い層は、平安〜鎌倉時代の800〜1300年頃のもので、該当する記録がないため、未知の地震の津波と判断した。
九十九里浜にある津波(地震?)の跡が869年の貞観地震時のものだろうと言われてたはずだから、ここで発見された層もその地震のものだろう。
該当する記録がない、というのがよくわからない。 >>249
だって西武開拓が19世紀だもん
当時のインディアンにそんな記録取る習慣なかったろうししょうがないよ 千葉ってものすごく土地が余ってるよな
東京都一極集中を緩和出来ないものかな
まぁ幕張ぐらいの副都心でも閑散としてるもんなぁ
>>256
電車のアクセス改善したらいいのにね
房総の方行くのはアクセス悪くて大変 >>229
平野の形成は河川からの継続的な堆積物や海に削りとられた土砂が
継続的に堆積していく要素のほうが大きいでしょ
あと海水面の低下も結構影響していて1万数千年前の氷河期末期まで
瀬戸内海自体は存在せず本州、四国、九州は地続きだった いいからはよ起きろや 地震でも富士山の噴火でもいいから東京が滅びる姿が見てぇんだよw
>>263
江戸時代に富士山噴火してるし、大正時代に関東大震災起きたけど
東京(首都圏)は世界最大都市のままです たった1000年前で記録が無いって当時はホントに土人しか住んでない土地だったんだなw
でもその頃って平将門とかの頃ちゃうの?
>>267
ソンタクでインペーしたんだろw
国家の本質は1000年も変わっていないに違いない。 >>5
平安時代の関東か
それなりには文明はあるだろうな >>173
字の読み書きができる文化人といえば僧侶と公家。
僻地は僧侶くらいしかいなかったんじゃないの? あまり知られていないけど応長時代に横浜の金沢区で長浜千軒っていわれる集落が津波で消滅したって言い伝えがあるからね。
ちょこちょこ物証も見つかっているけど。
1192年に鎌倉幕府が出来たから、少なくとも1150年より以前に発生したものと思われる。
鎌倉幕府は地震等も記録していたため、あれば残ってるから。
ちなみに室町幕府もそういったものを記録していた。記録していないのは鎌倉幕府以前の
時代で関東地方に興味を向けなかった時代の平安時代しかない。
かに星雲の超新星爆発が記録に残ってるくらいだからこれもあってもいいはず
>>256
南の方は標高は無いのに山だらけだからね
他県に繋がるわけでもないから道路事情も悪いし たった1000年の間に大災害起こりすぎだろ日本
一生の中で必ず1回は遭遇するんじゃない?
今の人だと、阪神淡路、東北、であと一回はありそう
南海トラフかなあ、やっぱり
和歌山県串本町 天然記念物・名勝「橋杭岩」
>>211
阪神が優勝すること自体が天変地異のようなw
2005年
3月20日 福岡県西方沖地震 最大震度6弱
8月16日 2005年宮城県沖地震(8・16宮城地震) 最大震度6弱
9月 台風14号・豪雨災害 死者27人
2003年
7月豪雨 死者23人
8月 台風10号 死者17人
9月26日 十勝沖地震 最大震度6弱
1985年
2月豪雪
自然災害ではない有名な事件だと、日航機墜落事故、犀川スキーバス転落事故 トラフとかの呼び方をトリュフに変えれば美味しそうに聞こえて少しはイメージ良くなるのに。
海の近くに住む→津波
山の近くに住む→土砂崩れ
平地に住む→洪水
被害者みんな死んでて記録に残らなかったってことかね。
秀吉のお城が倒壊した1596年の伏見地震でも下関まで津波来てるし普通に869年の貞観地震でしょ。
地元に記録がなくても(すべて津波で流された?)それだけの大地震なら離れた場所でも被害が出てるはず。
>>283
九十九里なんて港も無いし、漁師も居なかったんだろう。内陸で米を作っていたら津波なんて被害にも遭わない
その頃は船さえ沖を通らない場所だからな。西からの海を使った航路は伊豆半島から、せいぜい江戸湾まで
関東にも内陸部の川を使った舟運は有ったけどな 本当は、津波じゃなくてキスショットアセロラオリオンハートアンダーブレーなんとかさんが着水した衝撃波でした
当時の人口は800万人
九十九里なんて、砂地で痩せてて作物とれない地域は人も住んでないだろ
1000年前と言えば朝鮮の白頭山の大噴火もどこにも記述が無いんだよな
まぁ当時の朝鮮半島に文明は皆無だったから当然なのだが
しかしこの地震と津波は白頭山大噴火が原因だった可能性はあるね
またメルトダウンがみれるかと思うと僕の核燃料棒も熱くなるぜ
房総半島東方沖の地震で、津波が相模湾まで回り込んで鎌倉の大仏まで到達する高さになるって…東日本大震災以上じゃね?それって…
最近横浜から移住して千葉のクソ田舎民になった
なんでも質問してくれ
>>285
東日本震災で千葉に大きい津波来てないだろ
これは貞観ではなく、
別の津波地震だろう
揺れなしに巨大津波がさらったから、
地元住民死んで記録にも残らなかった
1605年の慶長地震も津波地震説がある
震源は伊豆小笠原海溝ともみられてる
他に、
1677延宝房沖地震
1771明和八重山地震 >>295
横からだが
大きい津波の定義が判らないが、東日本大震災での津波犠牲者が出た一番南が
千葉県の旭市(九十九里の南端)のはず 今の千葉外房海岸人口と11年前の三陸海岸人口はどのくらい差があるんだろうか
この夏人生で初めて津波の夢を見ました
地震など無く砂丘でいきなり来ました
ただ地形は現実にはない砂浜と砂丘で
横に広がる山のような砂丘を乗り越えて来ました
夏に大磯と国府津に行きましたがその影響かも知れません
>>5
江戸時代に上方から徳川が下向するまで関東は湿地と森だけの無人の荒野だった。 >>297
旭市の飯岡地区(旧飯岡町)な
昔から津波被害に合うって言われてたみたいだから、伝承なりは有ったのだろう
祖母の実家がここなので >>301
平氏より少し前?
1185年まではいちおう平安時代に入るんだな。 >>277
俺の友達が小学生の頃に阪神で被災して家無くしてこっちに引っ越してきて、それから就職して東北に赴任した直後に被災して、またこっちに戻ってきてたなw 韓国人のダンスは、キムチ食による「痔」から来ている。自分がキムチ鍋で痔になってみて分かった。
痔になるとパタパタ歩き回るようになるし、その場で意味不明な動きもするようになる。
韓国人は、選挙の時でもなんでも老若男女が踊りまくる。極東アジアの日本、中国、朝鮮半島、台湾で
こんな国民は韓国人だけだ。長年、不思議に思っていたが、なんのことはないキムチ食の痔が原因だったのである。
>>297
北端だろ
そしてその局所の限定
九十九里の痕跡てのは内陸3キロまでの推定だろ
しかも高さ5mは、今は湿地だった昔より標高高いから >>303
そういうウソを垂れ流してる自称史家がいるがデタラメだ
室町幕府開府時点から関東統治は課題だったが騒乱を繰り返した挙句戦国時代に繋がる享徳の乱に至る
無人で無価値ならそんなことになりえない
当時の江戸城下は徳川時代の繁栄をうかがわせる人口集中が無かったというだけ 元民主党が堤防は意味ないと言ったのがキチガイすぎる
>>312
東京くらいの都市ならば洪水で適当に人が減ってくれた方が新陳代謝が良くなる
関東大震災、東京大空襲の後の復興と発展が証明している >>302
アホか…
延喜式で大国に格付けられた13カ国のうち、上野、常陸、武蔵、下総、上総の5カ国が関東だよ 関東大震災は既出にテンパッテルんだよ
国士無双13面待ちれべるでなwww
5mの津波なんて陸地にはさほど入ってこないだろ
東日本大震災の時の津波は20kmくらい有ったからあんな大惨事になったが
>>246
その代わり津波を警告する石碑や
民話(みちびき地蔵など)という変則的な形で記録が残されている場合もある。 1000年前って東北でも痕跡が確認されてたよな
確認されて1年後に東日本大震災が起きたんだったな。
元禄型関東大震災なら房総半島がバーンと跳ねるから
東京湾の海水が地震発生直後バッシャーンとトンキンを襲撃するんだよ
豆なwww
元禄型関東大震災津波
相模灘から房総半島では津波の被害も発生し、熱海では7m程度の高さと推定される津波が押し寄せ、500戸ほどあった人家のほとんどが流出し、
残ったのはわずか10戸程度であったという。また、鎌倉では鶴岡八幡宮の二の鳥居まで津波が押し寄せ由比浜大鳥居が破損(『基煕公記』)、伊東では川を遡った津波が水害を及ぼしたという。
津波は三浦で6 - 8m、九十九里辺りで5m、江戸湾(現在の東京湾)入り口の浦賀で、4.5mに達した。江戸湾内でも津波は影響を及ぼし、本所、深川、両国で1.5m、品川、浦安で2m、横浜で3m、
野毛では3 - 4m、さらに隅田川の遡上も記録されている[26]。九十九里浜では海岸から5Km程度内陸まで到達し、現在の白子町では1000人、長生村では900人を越える犠牲者があった[27]。
>>323
その時、隅田川を津波が逆流して
両国で船が転覆する被害があったそうだ。
ちなみに元禄地震は、かの赤穂浪士が切腹したその年のうちに発生しており、
巷では「赤穂浪士の祟りだ」という噂が流れたとの事。 FUKUSIMAがまた放射能汚染で封鎖されるのかw
海抜の比較
全国の標高・海抜情報
https://www.hyoukou-ichiran.com/
例えば、静岡市と福岡市の海抜を比較してみると静岡市は海抜5m以下のド低地なんて清水港の周辺くらいだけど、福岡市はド低地がゴロゴロしてるな。
横浜市、千葉市など東京湾内にも5m以下のド低地がゴロゴロ。逆に相模湾内の沿岸部の市町は意外にド低地が少ない。 うちは九十九里から6キロで標高6メートル
千葉は3・11以降着々と津波対策やってきてるからね
まずは九十九里有料道路の高さを6メートルにかさ上げ。道路が防波堤になる
そして九十九里にそそぐ河川をコンクリート護岸にして防潮ゲートもつけた
文献が残っていないということは九十九里一帯には、そんなに人が住んでいなかったのだろうな。
おまえら、津波だけでなくこれから海面上昇もあるからな。
>>187
ちょうど1,000年前は、1028年から始まる平忠常の乱の直前に当たるな
平忠常って、九十九里を含むちばらき県一帯が支配下だったみたい >>297
旭市は大津波が銚子を回り込んだ累積による余波で、
九十九里を津波が襲ったというのとは性質が違うだろ
九十九里は日本海溝とは角度がずれてるし東北最大級震災で被害少なら、
基本無関係 その地震を記した記録がどこかの民家に眠っている可能性は無いのか
よくネットの投稿で何の根拠も無く「〜で地震が起きます」とかいうのを見かけるけど
あれは風俗の呂布で逮捕出来ないものか
>>306
ホテルニュージャパンに泊まったら火事に会い、それでも福岡に出張に行って翌日日航機で帰ってきたら羽田沖に墜落した、でも無傷だったサラリーマンみたいだなw 1000年前なら記録残ってそうなもんだけど房総半島なんか未開の地だったから被害出なかったのかね
江戸時代に紀州から千葉にたくさん人が移住したのでそれから醤油の生産が始まったのよな
大網白里のあたりが断層っぽくて
あの辺までは水没するんだろうなと思う
>>344
文字が無かったとか
記録する立場の人もまきこまれて一緒に死んだとか
>>345
将門の乱の遠因は津波かも知れんな >>149
鎌倉時代の鎌倉近辺の地震や津波ですら記録が怪しいらしいからな 1000年前なら文献の一つも残ってそうなもんだけどな
>>350
奈良時代の文献は木簡だから土の中でも残って
平安時代後期以降の文献は紙だから土の中で消えるとか >>243
確かに天正の大地震がなければ徳川は秀吉に滅ぼされていたと思う
のちに小田原征伐で北条氏を滅ぼしたのと同じやり方で >>347
水没はしそうだけど断層ってどこなの?
なんかソースある? >>344
当時、文字が書けるのは国衙の役人くらいだろ
中央政府の貴族は地方の災害に興味ないし 関東には坂東八平氏がいたからその辺りが記録に残してたりしないのか
>>337
コレは干潟だから好漁場なんだよ、しかも水運が使えるから以外と商業も栄える どっか千葉の洞窟に壁画で津波の様子が描かれてないか
>>339
大海退…小氷河期で海面が下がった
霞ヶ浦周辺は海抜1mとかな所が無茶苦茶広くある >>341
風俗の呂布って、なんか凄そうだなw
一番人気指名したら、霊長類最強女子か女子プロ最強の男が出てきたみたいな 未知の地震て・・・場所的にチリ沖地震の津波だろうがw
日本に記録がないだけで未知とか無能すぎる
>>338
民家よりは古い寺を探すほうがいいとおもう。 まあ、文字がない時代だから記録がないのはしょうがないけど、
昔話とか言い伝え的なものは残ってないのかな
鎌倉の大仏が肩までつかった津波がまたきたら湘南は壊滅だな
鹿島神宮とかに古文書残ってそうだけど神社はこういうの非協力的なんか
日本の歴史転換点に巨大地震は起きる
もし、安政の大地震がなければもっと徳川幕府は生きながらえたはず
元寇のあとに起きた鎌倉大地震も鎌倉幕府をさらに弱らせた
記録魔の日本人がそんな規模の大地震を全く記録に残してないとは考えられない
今知られている当時の地震のひとつだったか、まだ古寺とかに埋もれている記録があるに違いない
>>5
国司は派遣されてるだろうからね
残ってないわけがないと思うんだが
海岸全域がほぼ完全に無人だったら話は別だがそれはありえんし >高さ約5メートルの津波
東日本大震災で高さ30〜40メートルの津波を見ちゃった後だと
大したことないと思っちゃうよね
376ニューノーマルの名無しさん2021/09/26(日) 11:18:04.86ID:X1uG9e5Q0
>高さ約5メートルの津波
東日本大震災で高さ30〜40メートルの津波を見ちゃった後だと
大したことないと思っちゃうよね
遡上高と真高の違いwww
>>371
鹿島神宮、香取神宮の記録には残ってないんだろ
つまり地質調査で出た津波跡の年代鑑定が違うんだよ
既存の津波か、無茶苦茶古い津波の跡かだな
記紀によると、ヤマトタケルの東征は太平洋側を陸奥国まで征服している
常陸の国も出て来るから、当時から東国も管理下にあったはず、国の記録に残ってないとおかしいんだよ
源義経を保護した平泉の藤原氏も、平家に対抗できる勢力図を持ってた、、作るには百年や2百年は掛かっているはずだよ
常陸の国の記録が残ってないはずが無いんだ 地震は自然現象だから、全く同じ震源、
全く同じ津波高の地震が来ることはまず無い
毎回違うのが地震
だから過去のデータが5mだからと言って、5m来ることは無い
東日本大震災みたいに、単に想定外になるだけ
でも考えてみれば、過去と同じ地震を比べることに何の意味が無いのが解る
だからこれから来る地震は、津波10m以上かもしれないし、数m程度かもしれない
海抜の比較
全国の標高・海抜情報
https://www.hyoukou-ichiran.com/
例えば、静岡市と横浜市の海抜を比較してみると静岡市は海抜5m以下のド低地があるのは港町だから仕方ない清水港の周辺くらい。一方、近隣の浜松市、横浜市沿岸部はド低地がゴロゴロ。
意外にも相模湾沿岸の市町もド低地は少ない。
そういえば鎌倉には頼朝が幕府を構え、駿府には家康が拠点を構えた。
鎌倉と駿府、三方を山に囲まれ比較的海抜も高く防御力の高いこの2都市。地形的にそっくりなのだ。
そう考えると鎌倉に頼朝が幕府を開き、家康が駿府を拠点にしたのは理にかなっていたのだと納得♪ この地震エネルギーのほんの何億分の1でも利用する地熱発電やれよ
有り余ってるエネルギーの利用が全然進んでないだろ
東京湾って入り口が狭いけど過去最大の津波って何mぐらいあんの?
2011年3月11日の数日前の読売新聞の記事で1000年以上前に東北で大津波がありましたとか記事があったぞ
フラグか
ってか偵察衛星の電磁波地磁場観測とかで直前にわかるんだろ
>>384
一番高いのは二丈、だから6mだな
ただ、昔は、今でいう高潮も「津浪」して記録されていて、一丈を超えるような高いのはだいたい高潮
地震による津浪は五〜六尺で、2mくらい >>156
ウリナラマンセーと言葉知らずのダブルですね 平安時代でも房総にも住人居ただろう?
寺の過去帳とかに記述くらい有っても良さそう。
謎の地震があったと認識する人が増えると過去が改変されて現実になるんじゃね?
マンデラエフェクトだったか。
当時その辺に住んでた連中使えねーな
石碑くらい立てとけよ
>>386
3.11の3日前くらいに宮城沖の海底で地震があったから
のせてみたんじゃない? >>384
実のところ言うと、実はよく解っていない
文献で残ってても、結局それだけじゃ全体像は全く分からない
しかも地震で同じ地震が繰り返すことは無いから、
過去をどれだけほじくり返しても、参考にはなるけど、
これからの地震や津波については未知数と言うのが現代科学の限界
予測されてるのは、南海トラフで東京湾奥に3m程度の津波が来る
東日本大震災でも東京にも津波が若干来てる
相模トラフだと、予測すらまだ検討段階
だから10m以上かもしれないし、数m程度かもしれない >>302
東京湾近郊は湿地だが太平洋側はそうでもないよ
鹿島、香取神社がどんだけ昔からあると思ってるんだ 東日本大震災の時に、東北でこのレベルの地震は貞観地震以来約1000年ぶりって言ってたよね
普通にその時のじゃないの?
例の東日本大震災では千葉も津波の被害あったし
九十九里町では犠牲者は出なかったけど、腰の辺りまで浸水した家もあったとか
サーフィンで世界記録が15mくらいの波だっけ?
5mなら普段の台風クラス?
>>156
小韓猿国は1940年代後半からだろw
人だったら持ってる恥という概念が本当にないんだな >>5
1000年以上前は千葉には殆ど人が住んでいなかった
4000年前くらい前は千葉は島だった 普通に貞観地震じゃないの? 東日本大震災の前のやつ
>>372
平成もなぜか村山政権の時と民主党政権の時に起きてるんだよな ちな、3.11では千葉県東方沖がなぜか動いていない。
この津波より、淡水だった浜名湖を海と繋げてしまった
「明応・南海地震(1498年)」の大津波の方が検証の価値があるでしょ
東海道の宿場町がまるごと消えうせて、
宿泊客も従業員も街道沿いを歩いていた旅人も、みんな亡くなり、
津波が戻る時の水圧で浜名湖の縁が切れて海とつながってしまい
湖の生態系がまるごと全滅した。
歴史に残る地形がまるごと変わってしまった大津波だぞ。
>>408
1000年前は縄文時代じゃないよw
そもそも下総台地があるから津波程度じゃ流されないんだわ
成田空港に行ったことある奴なら千葉県が低地じゃないことくらいわかるだろ >>409
千葉は元々あまり人が住んでなかったよ
低い山しかなくて台風直撃するし地震や津波の自然災害が多いからね
安定した暮らしはしにくい >>411
自然災害喰らってしょっちゅう場所を移動してたんだろねぇ 九十九里の街の位置を考えたら分かるだろ
海岸沿いに大きな街はない
それが答え
千葉県民はそういう意味でまだマシ
湘南は津波で目も当てられない事になるよ
>>414
そうだな
過去にどんだけ津波に洗いざらい流された思うとな まだドングリ食ってウホウホ言ってた時代だからしゃーない
南海トラフがM8クラスで起こると
高知沿岸は20数メートルの津波
5メートルとだとしょぼく聞こえる
>>5
1万年に1度の津波とかもまだ1個も見つけられてないしw
地層掘るだけなのにw 単純に5メートルと言われると危機感が沸いてこないな
津波の記録見つけても1円ももらえないからな
だから地震で死にまくるw
スポーツで国民栄誉賞はもらえるけどwww
縄文時代に津波の痕跡はあるんだろうか
津波が起こる原因は何なんだろう
引き起こされる何かがあるとしたら
それは地殻だけなんだろうか
因みに国常立といってお祀りしだした一族がおります
何故にその一族が国常立をお祀りしだしたのかは不明です
瀬織津姫と所縁深いそうです。
洪水等に関連してる神様みたいですね
>>426
そうだよ。連立ね。だから55年体制の終了を象徴してるの >>411
一番暮らしやすい瀬戸内海沿岸部に遺跡が無いとは
神武東征でも安芸と吉備の名が出てるのになぁ >>422
> 単純に5メートルと言われると危機感が沸いてこないな
儂の家は、海岸から40km、標高80mだから津波なんて気にならんのよ
ウチまで津波が来たら世界が滅びる時やし 巨大地震なら京にも情報が伝わっていても良いように思うけど、記録はないのかね。
2000年前、3000年前にも同じ様な地震起こってたら心配だ。
>>422
九十九里浜に面してる銚子市は海抜20mくらいあるがすぐ下の旭市なんて市役所がある中心部でも6mくらいしかないので町の大半が浸水する そんなん来たら
香取海から東京湾まで津波が貫通しそう
いきなり離島に放り出されたら縄文レベルを維持できるか心もとないことを考えるとね…
>>306
こっちというのは?
次はそこが震源域やないか!? >>430
西暦869年の貞観地震は国府があって東北の中心だった多賀城が大津波に襲われたから京にも伝わって文献記録として残ったけど、平安の頃の九十九里浜は辺境過ぎて
大津波が襲ってきてても記録として残りにくい。また江戸湾内は湾口が狭いお陰で津波の影響が小さくなるから、被害も少なくなって見逃されてる可能性が高い。 記録が残ってる可能性があるのは香取神宮か鹿島神宮の文献くらいじゃないかな。
アフリカから出発した人類が最後に到達した地が999年前の千葉
>>428
昔から人が住んでる地域ほど
その場所は発掘出来ないから
調べられない 師輔・実資・道長の時代なら日記に残る可能性が高い
こいつらは常陸・下総の平氏を家人にしてたから
貞盛・良兼流が伊勢・尾張に本拠を移したのが不思議だったが
960〜980年頃があやしいかもな
源氏(常陸大掾源護)・平氏(平高望が上総に下り子の国香・良兼が←の護に婿入り)が東国に下される前段階
群盗が蔓延る要因が地震津波もありえる
千葉氏の初期の分流(相馬・武石・大須賀・国分・東)に沿岸部の名字(地名)がいないもんな
系図であれもこれも言ってるのを無視すれば
確かな史料上は鎌倉以降に海上・木内と一族が広がっていく
伝承では下総平氏の一番最初の本拠は大友館といって東庄のほうにある
なのにその周辺(の地名)から一族が広がることはなかった
力点は千葉と相馬に移る
東荘は千葉常胤の6男(東六郎胤頼)に譲られその子孫が海上郡内に敷衍していく
>1
そもそも関東地方太平洋沿岸は、日本の破局災害のメッカである。
だからいますぐ、令和関東大震災が起きても当たり前である。
1241年(仁治2年)には関東地方太平洋沿岸で
少なくともM7.5以上の大地震。大津波が、相模湾沿岸を襲った。
1293年(正応6年)には有名な「鎌倉大地震」。
死者は、鎌倉、関東地方太平洋沿岸でなんと23000人程度
「明応地震」(1498年)は「南海トラフ超巨大地震」の典型として有名だが、
相模湾沿岸では巨大津波は10mを記録して被害甚大。
最近の地質調査から、その3年前の1495年にも、
関東地方太平洋沿岸で巨大地震がおき、10mの巨大津波が、
少なくとも、相模湾沿岸を壊滅させた。
「慶長 関東地方太平洋沿岸(伊豆小笠原海溝震源域のM9クラス)
巨大津波地震」(1605年)
慶長三陸地震(東日本大震災クラス) (1611年)
1677年 延宝三陸沖大地震に続く、
1677年 延宝房総沖巨大津波地震では、
三陸沿岸から伊豆小笠原諸島の。関東地方太平洋沿岸に、
10mクラスの巨大津波
元禄関東巨大地震 1703年
宝永南海トラフ超巨大地震(1707年) 富士山大噴火
「安政南海トラフ超巨大地震」(1854年)
ここらでも10mクラスの巨大津波が、
関東地方太平洋沿岸をねこそぎ浚っていった。
最近では、1923年、大正関東大震災でも
10m以上の、大津波が、相模湾沿岸 三浦半島 房総半島周辺を襲った。
まぁあってもおかしくない程度の地震ではあるな もっとスケールでかくないと
>>441
それらの文献は、日本地震史料を作るときに見ているんじゃね。
あらためて見たら見つかることも有るのかな。 今は外国人に人気らしいな九十九里浜
平将門の頃から人は居たし、昔は江戸なんてなくて京都から海路で房総半島に人が移動していたのだから記録がないのも変だな
まあ房総半島なぞ所詮は防波堤に過ぎない。住みたきゃ海辺のリゾマンにでも住めよ
縄文人は火山の近くに集落を作ったはずなのに
なして千葉
フクイチ「>>1はぁ?なめてんの?そんなショッボイ津波はさざ波だろ!」 >>445
その時代の京の都の著名な人間の日誌なら調査済みだと思われ。
ただ日誌だと富士山の噴火や貞観地震みたいに国府に影響があったレベルでないと気にも止めずに書かない可能性があるな。