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戦時中、極秘に特殊兵器を開発したとされる通称「陸軍登戸研究所」。謎に包まれていた研究所の「暗部」を掘り起こしたのは、1980年代からの高校生や市民らによる地道な活動だった。
約30年の活動記録を展示する企画展が、明治大学平和教育登戸研究所資料館(川崎市多摩区)で開かれている。コロナ禍でしばらくはオンラインでの開催となる。
旧陸軍は1937年、川崎に実験施設を開設。39年から通称登戸研究所として、本格的に生物兵器や風船爆弾、偽札などの研究開発をしたとされる。戦局の悪化で長野県などに疎開し、敗戦で解散。その際、研究所に関する資料は焼却されるなどし、徹底的に破棄された。
闇に葬られそうになった研究所の活動を明らかにする突破口になったのは、主に高校生たちだった。80年代末、法政二高(川崎市中原区)の生徒が、川崎市の中原平和教育学級のメンバーらと、研究所に勤めていた人の名簿を頼りに調べ始めた。
同じ頃、研究所の疎開先になった長野県の赤穂高校(駒ケ根市)の生徒たちも、長野に残った研究員らの聞き取りを始めていった。
つづき
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