>>1
『俺はスレ立て嫌儲王になる!』って思ってるのは伝わるけどさ、ならもうちょいマシなスレ立てろよハゲ
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これもう半分明智光秀だろ.... ふーん、でも所詮極東の猿島での猿芝居のひとつでしょ?
クロムウェルくらいガチでやりすぎだろ…ってくらいやってから騒げよ
ノブヤボだと尼子にボコられた雑魚ってイメージしかない
足利義教が万人恐怖と言う恐怖政治やったせいで誅殺された
将軍殺しとか強者に抗うケンモメンタルを刺激してくるね
ぶっちゃけ日本史は詳しくないから語れないけど
こんな奴初めて聞いた名前だし大したことねーんだろうな
安倍晋三くらい偉業を成し遂げてから語れ
うちの大名家も巻き添えで死んでるんだよなあ
南朝から神器回収できなかったら普通に滅んでた
義教が死ななけりゃ歴史は大きく変わったろうなぁ
応仁の乱も戦国も無かったかもしれん
守護って毛利や伊達レベルの役職でしょ
将軍に拝謁できる機会もそれなりにあったんじゃないの
>>18
毛利は国人衆だから赤松のが遥かに格上
三管四職に食い込む名門だよ 満祐はその背丈の低さから父と共に三尺入道などと呼ばれていたことから低身長症(軟骨無形成症・身長が120cm程)だった可能性もある。またそのコンプレックスゆえに、足利義持・足利義教と2代に渡って将軍に反抗したのではないかとの説もある[注釈 11]。
これもう半分室町のユピピやん
確かに説明好きみたいね
あんま説明が好きなんて人いないからな
元々そういうわけじゃなかったっぽいけどね
何だろうね
ジャンプとかも説明好きだよな
言い方だけどね
説明してもいいんだけど結局耳障りの問題で中身あるわけじゃないからな
目的も収束させることとかブランド名先に言ったりすることだから説明ではないんよね
それに名刺が先みたいなのは中身を外部委託してる保守につくということなんよね
要はピクロスに賛同できるかですよね
ああ吊るしてるやつの話か
吊るしてるからでしょ
ブッダは絶賛されるけどその後についてはみな口を閉ざすっていうことじゃないの
嘉吉の乱の前に足利義教とあまり仲がよくなかった一色氏と土岐氏の頭首が暗殺されてる
それで次は赤松だって盛んに噂されてたんで殺される位なら一か八かこっちから暗殺してしまえとなった
なんで大河ドラマで足利尊氏とか後醍醐天皇をやらないの?🥺
最期は討伐軍に攻められて切腹だからショボイ
討伐軍も倒して一時代を築いたなら評価も変わる
庭のカルガモの赤ちゃんがめっちゃ可愛いんですよ見に来ませんか?
マジか行く行く→殺害
>>23
足利郡の出だから
本姓は当然だけど「源」だよ 一応、大河花の乱で映像化されてる嘉吉の乱
萬屋錦之介山名宗全が現場にいたので
まあ後南朝が滅してやっと一息と言う時期だし
このあとで応仁の乱だしね
発端の一部という形で一緒くたな感じで薄めだよね
何気に鎌倉期からの赤松と足利の因縁の集大成という観もあってドラマチックな印象なんだけどな
中高教科書では一文で済まされちゃってるのもあるし影薄い
>>27
こういう最期は切腹ってよくあるけど
そういうことにして華もたせた話多そう ご先祖さまって言いたいのか
同情の余地ありって
そうかな
>>23
普通に足利庄に根を張る一族だからでしょう
スレタイの赤松だって赤松村の出だし
実際の氏は源...というか大抵の武士は源か平では 尊氏の代からずっと敵対してきて、義満の代でようやく弱体化に成功した山名氏が赤松氏を倒した功績で復活するんよ
その目の上のたんこぶの山名氏を再び弱体化させようと頑張ったのが足利義政で、これが応仁の乱の一因になるんよ
>>38
藤原氏も結構いるよ
源氏以上に土着の人たちの家柄ロンダに使われて真偽不明だけれども 誰だよって持ち回りで侍所の長官やってた四職(赤松、京極、山名、一色)のうちの一家
義教が独裁傾向強すぎたせいで三管領の細川、畠山、斯波が機能しなくて乱後の処置がぐだぐだで侍所頭人の山名持豊が対応する
その後これで力を蓄えた山名と評判を落とした細川の対立が26年後の応仁の乱の一因へ繋がる
江戸時代なら御家取り潰し確実だが、赤松家再興できてるのがいかにも室町幕府らしい
その20年後ぐらいに日本がめっちゃくちゃになるからなぁ
日本で総理が暗殺された5年後くらいに第三次世界大戦起きたら総理暗殺とか誰も覚えてないだろ
この嘉吉の乱のせいで将軍独裁の道が途絶えて守護大名の権力が維持されるってのが応仁の乱につながるんだよね
次代の義政は結局守護大名の圧力に抗えなくて文正の政変→御霊合戦だしね
>>33
赤穂浪士の切腹で本当に腹切ったの1人だけだってな 大河太平記の赤松は濃かったね
いつも半裸で毛皮しか着ない山賊みたいな感じ
>>50
明石散人の「二人の天魔王」の方が面白いかも 応仁の乱あたりはマジで面白いけど
映像化やストーリーにされてるのが少ない
信長誕生ぐらいから江戸あたりはゲームとか含めて多いのにな
足利分家が三河に多いんだよな今川 細川 仁木 一色 吉良
赤松って円心からいっつも暴れてんな
戦国時代でもカンベー関連で出てきたし
>>1
その後、家を潰されて残った一族が南朝の天皇を殺して神器を奪って北朝に渡して
お家再興までが赤松家のピーク。 東漢が崇峻天皇を殺害したのはいわゆる神殺しでええの?
>>29
赤松氏が表舞台に登場するのは
南北朝の赤松円心のころからで
創作になりやすい戦国時代中期には浦上氏や別所氏に
とって代わられてるからなあ
一番最盛期が戦国初期の赤松政則のころだけど
この時代の播磨備前とかネタにならんしな 日本史って聖徳太子と頼朝と秀吉意外は全部「内戦してました」なので興味ゼロだった
時代が進むにつれ、昔のそのまた昔のことは興味持たれなくなる気がする
時代劇だってだんだん見られなくなってるっていうだろ
源平時代や足利時代なんかどんどん遠のいていく
>>55
一本筋が通ってなくてごちゃごちゃしてるし終わりもなんかうやむやなイメージだわ
映像化やゲーム化には向いてなさそう 一応江戸幕府でも庶流が旗本として存続したらしい
一族で一番出世したのが肥前有馬氏(キリシタン大名とは別)
この辺の時代がよくわからん
ゆっくり安倍晋三に解説してほしい
>>54
それデマだけどな
出来レースに文句言わせないためのイカサマクジ >>61
聖徳太子(厩戸王ではない)は実在しないし、頼朝はお家騒動の御輿でしかないし、そのチョイスがよく判らんw 西洋史に慣れた目から見るとまるで意味不明じゃないの
クーデターなら赤松がそのまま政権をとればいい、と西洋人なら思うだろうけど
なぜか追われてもいないのに逃げて自分の屋敷に火を放ち
国に逃げ帰って籠城して自殺
日本人から見るとまあそんなもんかと思うけど行動に西洋の常識が一切通じない
>>69
形式的にもクジをやったのならデマではないな >>72
「クジで決められた」はデマだと言っている
アスペか? >>76
それが「通説」なんだけど
ひろゆきの真似なんかしてないでまともな歴史書読んでみなよ、青年くんw >>77
つ、通説w
やっぱり何もないのな
早く死ねよアスペジジイ 室町時代はやったことに対する知名度が低い人が多すぎる
>>9
>>32
やっぱり悪いことしたらバチ当たりますわ。
三種の神器を奪還した時も、後南朝で人殺しまくったそうですからね。
復活した赤松政則は、鷹狩りへ行って泊まった寺で急死(たぶん暗殺)
養子の義村は、家臣に幽閉されて殺害。
その息子の晴政は、家臣にそそのかされた我が子に攻められて、分家の城に
避難して死亡。
その息子の義祐は、家臣とも我が子とも折り合いが悪く、もうめちゃくちゃのうちに死亡。
その息子の則房は、秀吉に降伏したものの、その後どうなったか不明。
豊臣政権下で阿波住吉1万石の大名になったという説が有力だが、独立した大名ではなく、徳島の蜂須賀家の属将扱いだった可能性がある。
そうでなくとも、1万石って但馬竹田城主になった分家の2万2千石の半分以下。
分家は、但馬の鉱山の管理もしており、竹田城の遺構からして10万石く
らいの力があったと言われるので、赤松本家の体面も糞も無い。
いつ死亡したのかすら不明。
関が原の戦いの後の佐和山城籠城戦で、城内で死んだ武将の1人に赤松左兵衛の名があり、それが則房の可能性が高いそうだが、
石田家の家臣扱いになっていたのか?
別の大名が特別に応援に来たにしては扱いが小さすぎ。
いやいや、そいつは則房の息子の則英だと言う説もあるが、則英は実在しなかったという説もある。
少なくとも、則房が小さいながらもチキンとした大名であったなら、
こんな曖昧な結末にはなっていないはず。
豊臣政権下でよっぽど冷遇されていたのでは。
で、但馬竹田城主になった分家は、騙されて寝返って切腹。 まぁ、「軍師官兵衛」の序盤に赤松と別所がちょこっと出てきたから、
赤松・別所ファンはもしいたらそれで満足するしかないんじゃないかな。
「花の乱」は第1話の始まりが満祐の謀反からだったし。応仁の乱の1シーンで政則出てきたし。
別所は「秀吉」にも「おんな太閤記」にもチョイ役で出てきたし。
なんだかんだ言いながらも、赤松一族(別所含む)は恵まれているよ。
そう言えばSOPHIAのドラムが赤松と言う名前だけど出身地からして関わりありそう
>>79
つう‐せつ【通説】
1 世間一般に通用している説。「—に従う」
2 全体にわたる解説。「王朝文学—」
3 深く考え抜かれ真理に到達した説。通達した説。
先人の研究の集大成に草生やすことしか出来ないのは哀れだね
もう少し頑張ろうな
>>78
籤引きは伊勢と並んで「二所宗廟」とされる石清水八幡宮で執り行われたから「神託」に近いと思うよ
しかしそこに「何人」の意志も働かないと考えるのはあまりにもお花畑過ぎるよね >>84
だから具体的にどちら様の説なんだって聞いてんだろ
ボケてんのかガチアスペか言い逃れかどれなんだクソジジイ >>60
なんか赤松とか北畠とか信長の野望で知らん間に滅亡してるイメージしかない… むしろ黒田官兵衛から遡ったほうが良さそう
兵庫県立考古博物館 特別展示室
2013年10月05日(土)~2013年12月1日(日)
動乱!播磨の中世
-赤松円心から黒田官兵衛まで-
http://www.hyogo-koukohaku.jp/events/p6krdf0000005eas.html
◆概要◆
兵庫県の中世史を語るうえで欠くことのできないものに播磨国守護赤松氏があります。
赤松氏は円心則村(1277~1350)の時、後醍醐天皇の命に応じて鎌倉幕府倒幕に尽力し、
後には足利尊氏に従って室町幕府の成立に果たした多大の功績により嘉吉の乱後の
一時期を除いて戦国時代に至るまで播磨国守護として君臨します。
一方、戦国時代末期の播磨に赤松氏の陪臣の子として生まれた黒田官兵衛孝高
(よしたか)は、羽柴秀吉の軍師として縦横に知略を巡らし、やがては天下人
秀吉さえも恐れさせた播磨が生んだ英雄です。
今回の展覧会では、赤松氏ゆかりの遺跡から出土した発掘資料や伝世資料を通して、
円心に始まる南北朝時代の赤松氏の台頭から戦国時代末期の黒田官兵衛の登場と
赤松氏の滅亡までをたどります。 >>78
神様から選ばれた神託ってことになってるからな 室町幕府って印象薄いよな
いつ終わったのかよく分からん
>>92
陰謀論者で草生えた
そいつの本が学説を支配的にしてんか?あ? 播磨の別所とか小寺とか
あそこらは全部、赤松の分家やろ
赤松は播磨、美作、備前守護やったから
分家いっぱい
>>93
学説に基づき本を書いてるんだが?
籤の意味も判らず「籤引きがー(キャッキャ)」って言ってるバカには理解できないかもしれんがね >>95
学説を元に妄想垂れ流しても本にはなるんだよ馬鹿
で、いつ通説になったんだ? では「籤引きは出来レースに後ろ盾を与えるため」が妄想であるという「学説」を誰が唱えてるのか教えてくれるかね?
「漫画日本史」みたいな子供向けの本から仕入れた情報で「義教は籤引き将軍(キリッ)」なんて言ってるヤツには聞くだけムダか…
>>97
お前が噛み付いて来たんだからお前が最初に示すのがスジだろゴミ
それで話を擦り替えたつもりか >>1
ホモには厳しい反LGBTの星それが赤松満祐 >>100
陰謀論者の名前挙げただけだろ
具体的にって何度言わせてんだ馬鹿 >>103
「籤引きには家臣団の意志は反映されず、義円が籤で選ばれたのは全くの偶然だった」と主張する学説or学者は誰ひとりとして挙げられないってことね
承知した これ映画にしてもいいくらいの事件だが不思議と注目度が低い
>>105
まずお前が通説である事を何も証明できないってことね
承知した そもそも、こんなレスするクソガキに絡んだのが間違いだったわw
76 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW be8f-fNge) 2022/05/13(金) 08:59:36.19 ID:2RpcC7ZS0
>>75
なんかデータあるんですか? >>108
ざまあみろ
組みしやすしとでも思ったんだろうなカスジジイ >>109
❌組みしやすい
⭕与しやすい
な
「与しやすい」が正しいという学説を出せ!
とでも喚いてみるか?
与しやすいも何も相手にすらなってねぇけどな >>110
☓デマ
○陰謀
これを正当化できる学説でも持ってくるか?
それはすでに相手になってないけどな 権威主義民族だから「上」に逆らった人間は完全無視か完全な悪としてしか教えない
くじ引き候補者四人とも出家した状態だったのに出来レース扱いは笑うわ
陰謀論唱えるなら義教が選ばれたことで誰が得するのかもセットで主張してくれよ
親が神戸の某ホテルの催しに行ったら
すげえ気分が悪くなったんで
ネットで調べたら
この反乱の際に山城になったところで
親の先祖が赤松さんの家来だったな
キリスト教の領主の話は原爆投下の世界大戦の戦後の混乱期の軍部の天皇に即位宣言した人物の中にキリスト教がいたということである。
戦乱の室町時代の逸話は原爆投下の世界大戦の戦後の混乱期の軍部の天皇に即位宣言した人物による争いを戦乱だからと戦乱の時代の歴史に書き加えたものである。
踏薄氷時節の万人恐怖は北極圏の北方諸島や南極圏の南方諸島の諸勢力の原爆投下の世界大戦の前後の政治体制である。
季瓊真蘂が看聞御記での等持院に関する反乱を実行したものであるが大河内顕雅と大河内顕雅の護衛に対する反乱である。
足利家が征夷大将軍になったのは北条家からの上奏文により北条家から征夷大将軍を譲られたからである。
実在しないという人物の方が実在しているし非実在説を主張している学者の学説により創作されたのは実在しない松浦武四郎であって松浦武四郎の話は元さえない福島第一原発が爆発した後の共同経済活動の報道の会見の後に制作された捏造の話である。
足利義教って無能じゃなかったっけ?
室町幕府は3代将軍義満の印象が強すぎて、他が薄くなる
聖告の降誕の伝説は多数の崇拝対象の人物の伝説である。
>>71
他の家からしたら、主君を殺した大罪人ということで、滅ぶし領土を奪う大義名分が立つじゃん
勢力をだんだんと大きくして、事実上の最高権力者になったところで玉座を奪うならわかるけど、
赤松程度じゃどうにもならん >>127
>無能じゃなかったっけ?
今川義元と同じで死に方の印象だけで無能と思われがちなんだが、生前の実績を見ると義満にひけを取らないくらい有能 義教とは当初良好な関係であり、宿老の1人として義教の諮問に応じたり、義教の邸宅訪問を受けたり、永享10年(1438年)11月に3度目の侍所頭人を任されるなど幕府内の長老格として権勢を振るうが、やがて義教は有力大名を誅殺しだすと、永享10年3月には家臣3名が義教によって殺害され(『看聞御記』3月15日条)[5]、永享12年(1440年)3月17日に弟の義雅の領土が没収されて一部が遠縁の赤松貞村(持貞の甥)に与えられた[注釈 3]。満祐も領地を没収されて貞村に与えられると言う風聞が起こるなど[注釈 4]、次第に対立の色を深めていった。
>>98
漫画日本史をなめちゃいかんぞ。主流歴史学者の権威が監修してるからそこらの糞歴史本よりよっぽど価値がアル >>130
ほぅほぅ。死に方だけで判断してはいかんね >>132
ああ、それは舐めてるわけじゃないよ
しかし子供向け故に少し踏み込んだ所の内容には触れられてないことも多いから
特に腐してるわけじゃない >>71
クーデターならいいけど、赤松のは単なる暗殺だからな
トップ殺しただけでなり代われるような単純な話じゃない 足利の基盤の弱さからすると、義満はよく頑張ったと思うわ
ほぼ権威と忖度だけで支配できるのはすごい
他の将軍は無理だったけど
>>136
義満は将軍家と天皇家を一体化させようと努めたし
権威の重要性がよくわかってたな >>1
確かに世が世なら明智光秀並みになってた人物なんだが不思議と注目度が低い
579 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2006/06/27(火) 03:23:57
赤松左馬助則繁だな。
当主・赤松満祐の弟で25歳の時(1424年3月14日)に
前管領・細川満元の邸宅での酒宴で将軍の側近(安東某)を要撃して殺害して逃走(殺人事件)
嘉吉元年(1441年)6月には甥である赤松教康と共謀して将軍を殺害(殺人事件)
嘉吉の乱を起こして幕府軍と戦う(国内紛争を起こし、中央軍と戦う)
幕府軍に敗北後、菊池氏を頼って九州にまた逃走。
その後、対馬と朝鮮に拠点を持ち、高麗の官軍を相手に朝鮮半島を荒らしまわり(他国侵略)
嘉吉3年(1443年)6月に来日した高麗の使節団が赤松左馬助則繁を名指しで幕府に
討伐を求める(国際問題に発展)
文安5年(1448年)正月、対馬より九州肥前に上陸開始。
少弐教頼と連合して大内教弘と合戦(国内紛争・対地方軍戦)し
教頼・則繁連合軍は敗北し、三度逃走。
河内の当麻に潜伏中のところを細川持常の命を受けた甥の赤松則尚に討たれて(同族争い)
京都で晒し首。49年の生涯でまさにやりたい放題。 そもそも応仁の乱までの室町時代って教科書でも複雑なわりにページ数少ないよね
建武の新政から応仁の乱までのうまくまとまってる新書とか参考書ないのかな?
逆に言えば赤松円心から応仁の乱までうまく小説にまとめられる作家が出てきたら室町時代の評価も変わると言うことかw
>>142
バンデットが続いていたらそこそこ名作になった希ガス 倒幕まで一致団結して戦い抜いた足利党が
九州落ち辺りから怪しくなって
観応の擾乱で完全に内ゲバ始めるのが諸行無常
>>141
南北朝とか戦局グッチャグチャになった割には足利家の優勢が覆らないまま終わってるし、深く触れないほうが理解しやすいんだろうな >>141
イマイチ印象が少ない理由ってそれだよねぇ室町時代 >>144
新田氏が足利一門という最近の研究に基づけば最初から内ゲバともいえる 室町は義満ほどの傑物が出てきても
どうしようもないくらい時代の転換期だった
家康がやったように太平を築くシステムを作るのは大事なんだな
尊氏って
家康が関ヶ原で負けて東北まで逃げ出してそこから捲土重来して三成倒した、みたいな
そう言う大ポカやってるからなあ
そこから復活できるのは凄いんだけど
るろうに剣心で赤松ってキャラいたけどなんか関係あるのかな
無いか
義教の実績
・後醍醐の子孫が九州王気取りで好き放題していたが征伐軍を送って屈服させる
・鎌倉殿(関東公方)は関東支社長のはずが独立勢力となってしまった
これにも征伐軍を送って屈服させる
・比叡山延暦寺を軍事力を背景に屈服させる
・イエスマンを貫いた細川家以外の有力大名家の家督に介入して弱体化従属化させる
宴会に呼ばれてホイホイ行かなければ
強い将軍を貫徹できたろうに
分家の久留米藩の有馬伯爵家のほうがもっと有名なのよね
有馬記念ってのもそこからだし
◆御一家衆・・・本家に次ぐ地位で、足利将軍の直臣になっていたのもいる
七条家、伊豆守家、播磨守家、有馬家、←←←
上野守家、在田家、本郷家、広岡家、永良家
◆御一族衆・・・前者よりはワンランク下扱いの赤松一族
別所家は16世紀後半に台頭したことはご承知のとおり。
下野守家、遠江守家、能登守家、宇野家、間島家、上月家、別所家、
佐用家、豊福家、得平家
◆年寄衆・・・赤松一族以外の重臣
御一家衆、御一族衆の分家もある
浦上家、喜多野家、富田家、小寺家、←←←
中村家、上原家、堀家、櫛橋家、
依藤家、明石家、薬師寺家、城所家、後藤家、衣笠家
>>138
めちゃくちゃやってんな
狂犬すぎる
この辺大河でフォーカスしても面白いんじゃないか 兄は将軍殺し
弟は倭寇
確かにこれまで誰も小説や漫画にしなかったのが不思議である
こことも関わる
「後南朝紀行」~井上あさひアナ
奈良県川上村。村民たちが金剛寺の朝拝式に臨みます。自天王の神具を捧げ持つのは
後南朝の功臣・楠木正理の子孫に当たる楠木さんです。
楠木さん「後南朝は終わったって、皆言いよりますよ。でも、自天王さんの御霊は
俺らの心の中に、ずっと生きていはるんですわ。これからもすっとね」
若い命を赤松残党の凶刃に散らした自天王。悠久の時を経て、後南朝は今も
川上村の郷士たちの心の中に生き続けています。
(NHK奈良支局)
>>155
同じように次から次へ転戦して東海地方からから九州にまでたどり着いた
ヤンキーの水野勝成を先にやると思うわ