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2020/08/18(火) 15:49:30.23ID:CAP_USER9今から1カ月前の「戦闘突入」に、雅子さんはどんな思いで挑んだのか。雅子さんとの共著『私は真実が知りたい』を刊行した大阪日日新聞編集局長の相澤冬樹記者が、雅子さんに改めてロングインタビューした。
「もう大体7月15日で相澤さんともお別れだよとか思ってて。これでもうサヨナラできると思ってた。とにかく7月15日までは頑張ろうと思ってたんです」
いきなりの“爆弾発言”だ。そんなことを思っていたとは気づかなかった。
話の主は赤木雅子さん。森友の公文書改ざんを無理強いされ、命を絶った財務省近畿財務局の職員、赤木俊夫さんの妻。「すべては佐川理財局長(当時)の指示です」と改ざんの実態を書き残した俊夫さんの「手記」を3月18日に本紙で公表し、同じ日に国と佐川氏を相手に提訴した。
新型コロナウイルスの余波で裁判が遅れていたが、ようやく7月15日に始まった。国・財務省との闘いが火蓋(ぶた)を切った今、改めて赤木雅子さんに、この4カ月の体験と俊夫さんへの思いを聞いた。
不安でした
冒頭の発言は、提訴から裁判開始に至る間の心の揺れを尋ねる中で飛び出した。私と一緒に夫の上司らを訪ね歩いた時のこと。
赤木 やっぱりね、行った時はね、もうすごい高揚してるんですよ。で、相澤さんは、そこから記事を書かれるから、たぶんそのまま突っ走るけど、私、そこでストンと落ちるんですよ。
−ああいう大きな出来事をやった直後が危ないですね。「こんなことやったって無駄です」っていきなり言われたのを覚えてます。
赤木 そう。やっぱり落ち込むんですよ。
−そういう意味ではね、そもそも取材を受けるっていうことにも、ものすごく後ろ向きだった時期が長くて。うまくいかないことがいろいろあったじゃないですか。あの時もだいぶ…。
赤木 もう、へこみました、超へこみました。だからもう取材なんか一切断ろうと思ったし、もう…。
−実際そう言ってましたよ。「もういいです」って。
赤木 言ってましたかね。
この流れで冒頭の発言が出る。裁判の初日が終わってしまえば報道の熱も冷めるだろうし、私とのやりとりもなくなっていくと考えていたようだ。でも、実際は違った。
−でもね、7月15日が見えてきて、あの頃から怒濤(どとう)の取材を受けるようになったじゃないですか。一番の大きなきっかけは、やっぱりTBS「NEWS23」の小川彩佳さんと「報道特集」の金平茂紀さんだったと思います。あれが非常にうまくいってね、放送後もすごく評判よくて。
赤木 すごく大きかったです。で、あの取材を受ける前にNHKの取材があったので、ちょっと慣れてたんです。家で取材を受けたので。
NHKとは、クローズアップ現代の取材。早くから赤木雅子さんに接触を図り、担当ディレクター2人が5月の時点で雅子さんと会っている。何度か面会を重ねて信頼関係を築き、自宅での撮影取材にこぎ着けた。
−NHKの取材が終わった後、「すごい疲れた」って言ってましたね。
赤木 4時間かかったからね。
テレビ番組の取材はどうしても相当な時間がかかる。そのことはあらかじめ雅子さんに伝えていた。
−追加取材もあったでしょう?
赤木 あったんですよ、3時間。
−だからね、相当しんどかったと思うんですけど、あの時はあまりへこんだように見えなかったんですよ。「次はもういいです」とは言わなかったですもんね。
赤木 それはあの人たち(取材ディレクター)のおかげやと思う。うん。それでちょっと慣れてた上にあのTBSの取材があったので、すごくよかった。
NHKとTBSの取材がうまくいったことで弾みがつき、その後はちょっとあり得ないぐらいの連続取材となった。在阪民放5社すべての取材を受け、新聞・通信社の取材も相次いだ。それは負担が重すぎないかと心配する声もあったが、結果的には裁判直前の13、14日とフルに取材を受け、15日の裁判初日に臨んだ。
続きはWebで
大阪日日新聞
2020年8月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/column/nowake/200813/20200813051.html
★1 2020/08/16(日) 10:58:56
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