2006年〜2011年までの復興期で頑張ったからこそ最高の土台が出来て、今大ブームが起きていると思うわけですよ。
レインメーカーショックだよなぁ。やっぱり。あれで全てひっくり返った。
柴田桜庭の参戦は2012年か。今ではありえないくらい、柴田へのブーイングがすごかったな。
2012年の大阪大会はスゴく印象に残ってる。
2月はレインメーカーショック
6月は棚橋涙の「プロレスは大丈夫です」
11月の裕次郎iwgp初挑戦
ヨシハシも凱旋直後はヒール全開だったよな。レフェリーに唾吐いたり、オカダを奇襲したり如意棒で相手の首締めたり。
凱旋直後のヨシハシ語録
「俺は新日本プロレスに捨てられた男」
「オカダは俺の踏み台になるだけの存在」
「本隊トップの棚橋の首を獲る」
2月の大阪は内藤が悲願の中邑戦初勝利だったのに直後のオカダで全てかき消されて可哀想だったな。
インターコンチなんか、10円玉時代はあってもなくてもいいようなベルトだったのに、ドームの桜庭戦で一気にひっくり返ったよな。個人的にはその後の2013年の防衛ロードでほとんどあのベルトは完成されたと思う。
いやいや、カード屋が大ギャンブルかまして勝っただけだから
棚橋vs後藤かなやっぱ
今は皆がそのスタイルでベストバウトを更新出来るか競ってる感じ
あれがベースになってる
バレクラ創立かな
今は会社の道具だけど初期は文句無し
インターコンチの中邑飯伏がひとつのピークだったのかもなあ
23お前名無しだろ2019/09/09(月) 11:57:37.18
つまんね
流行っている感を出すために金を使ったとか小賢しいな
この頃にWWEのようにあくまでショーですとカミングアウトしてほしかった
新規で食いついてきた連中をいまだに騙しているのはちょっとな
AJ飯伏のIWGP戦みたいなカードはいまはもう出て来ないな。
28お前名無しだろ2019/09/22(日) 01:44:28.50
暗黒期や
33お前名無しだろ2019/10/26(土) 14:41:14.02
そうでもない
当時のtop4の中邑AJが抜けた時は心配したけど、全く動員が落ちず杞憂だった。
つれづれなるまゝに、
日くらし、
硯にむかひて、
心に移りゆくヨシハシ事を、
そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ